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WEB漫画「獣人ちゃんと愉快な仲間」まとめ

品川区と鉄道の歩み2

2009-01-24 22:38:36 | 東京
③「鉄道路線の主役は東海道か中山道か」:明治2年、関東と関西を結ぶ幹線鉄道の計画がされたときに、東海道ルートをとるか、中山道ルートをとるかで政府は揺れた。東海道には船が充実しており、また有事の際に海岸沿いは他国の攻撃を受けやすいという軍部の後押しで、中山道ルートを中心に工事を検討したが、中山道は山や谷が多く、建設が困難だと判断され、明治19年に東海道ルートに決定。この決定によって、既に開業していた新橋~横浜間も東海道本線の一部になりました。もし、鉄道幹線に中山道ルートが選ばれていたら、現在のまちの発展にも影響が出ていたのかもしれません。
そんなことから横浜~国府津(小田原市)が明治20年に開通。待望の新橋~神戸間が開通したのは明治22年のことでした。徒歩から鉄道の旅へと変わり、風景は車窓から楽しむものになりました。
そんな時代背景を表すものの一つに「鉄道唱歌」(明治33年)があります。

④「日本鉄道品川線=シルクロード」:現在の山手線は品川線に端を発しています。明治18年、東北本線赤羽停車場と東海道本線品川停車場を結ぶ品川線が開通しました。実はこの路線は、明治17年開業の上野~高崎間の高崎線と同時に計画された路線です。当時唯一の外貨獲得物資だった生糸を高崎から横浜港まで運ぶシルクロードが大きな目的でした。当初は貨物列車中心で旅客列車はほとんどありませんでしたが徐々に乗客も増え、明治18年に目黒停車場、明治34年に大崎停車場、明治44年に五反田停車場と駅も増えて行きました。大正14年に旅客専用線として環状化され現在の山手線になりました。





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