キムの上海日記 (外伝)

2004年10月から上海に赴任。中国でのExcitingな生活を日記として掲載。

共産党配下の溥儀

2006年02月03日 18時39分41秒 | Weblog

共産党の宣伝を行うかのように、毛沢東言語録に自筆の「愛新覚羅溥儀」とサインされております。なんだか物悲しいですね。

偽満皇宮

2006年02月03日 18時36分48秒 | Weblog

これが偽満皇宮のメインの建物「新宮殿」となります。
屋根には満州国王家の紋章が燦燦と輝いているのが、なにやら寂しいです。
手前には「9.18を忘れるべからず」という江沢民の標語が掘られた碑が置かれております。


集安 五日目

2006年02月03日 18時29分24秒 | Weblog

【集安 五日目】

ようやく辿り着きました。遠かった~、けど嬉しい誤算で本当は7時間掛かると覚悟していた所、バスはとてつもないスピードでかっとばし、5時間程で長春から集安に到着しました。17時半出発のバスで22時半着。変なところに降ろされて、極寒の中タクシーも無かったらどうしよう?ホテル閉まってたらどうする?という不安がよぎる中、親切なバスの運転手がホテル(集安賓館)の近くまで連れて行ってくれました。そして下りた所にはバイクタクシー?が待機していたので、これに乗ってホテルまで。2RMB程。雲南のロバ車よりも安いね。ホテルも無事に空いてはいたが、フロント居らずちょっと戸惑った物の、無事にチェックイン。当然ながらこの辺境の街にInternetの環境が有る訳が無く、折角書いているこの日記もいつUp出切るのかは全く不明。今回は中国を旅しながらリアルタイムで日記の更新を行おうと新たな試みでPCと共に旅に出たものの、やはり中国の田舎ではまだまだ回線が確保出来ずに、苦労しております。毎日見てくれている人も居るみたいなんで、出来るだけ早めにUpしてLive感が出ると面白いのにね。

そう、今日は旅の折り返し地点の五日目だ。早くも半分か~、という気持ちとまだ半分残ってるのか~という気持ちの60:40くらい。そろそろ旨い日本食が恋しくなって来たな。昨日引いた風邪も薬を大量に飲んで寝ていた為か、なんとか抑えられているみたい。今日も無理はしないようにしてたけど、寒いのは如何ともし難いからね。バスの中も寒かったけど、なんとか我慢して到着。そう、今日ようやく「集安」へ辿り着けました。集安は吉林省の南端且つ、北朝鮮との国境の街で僅か50Mか100M程の鴨緑江によって隔たれております。今日は遅く着いたので、観に行きませんでしたが明日の日中、この目で北朝鮮を眺めてきたいと思います。楽しみ。もう一つの集安の楽しみは2004年に世界遺産に指定された高句麗の遺跡群です。明日はこのあたりが観光の中心になりそうです。あわよくば朝鮮族の美しい小姑娘さんとお知り会いになりたいものです。まあ、それは明日のお楽しみ。

さて、今日はちょっとゆっくり目の9時半にロビー集合。チェックアウトを済ませ、荷物を預け市内観光へ出発です。長春で観光といえばただ一つ。それはあの満州帝国の旧跡ですね。つい先日から紫禁城、ラストエンペラー等など清系に嵌っていた自分にはぴったりのテーマ。行く先はあの溥儀が満州帝国の皇帝に即位し、十数年を過ごした皇宮跡です。その名も「偽満皇宮博物院」です。気付きましたか?「偽」とわざわざ詠われるこの皇宮。共産党支配化の中国では満州帝国はあくまでも「偽物」であるって事を公言するために、このような名前をつけているようです。他にも国務院や軍事部の旧跡が残っておりますが、その名前には全て先頭に「偽」の文字を付けて、偽満州国務院とか偽満州国軍事旧跡といった名前になっているのです。その意識し具合がおもしろいですね。その「偽満皇宮博物院」ですが、これは予想以上に見応えがあり、3時間近くもしっかりと見学してしまいました。想像以上にすばらしかったです。つい数十年前の歴史の息吹がしっかりと残っており、当時を回顧するにも素晴らしい資料でした。ここも北京の故宮と同じく、日本語による電子ガイド(100RMBのDeposit+貸出料20RMB)がついており、ちょっと不思議な直訳ガイドを聴きながら観光する事が出来ます。本などには書いていないような内容も教えてくれるので、非常に有効です。ガイドには電子マップも着いており、自分が何処にいるか?何処が訪問済みか?などを点滅で示してくれながら、ガイドのある場所へ行くと、勝手にガイドが始まります。これは便利。ここへ行くならば是非かりるべきでしょう。

偽皇宮は江沢民の9.18を忘れるな!という大きな石碑から始まります。この場所、共産党にはいいように利用されているみたい。こんなの見せられるとやっぱりここも日本人である事がバレルのがちょっと怖くなる。門を抜け、絹キ楼に入るとそこはもうまるで1930年代そのままで、溥儀やその皇后媛容、皇妃譚玉麗の生活の場が今もほとんどそのまま残されております。当時不倫の為にこの絹キ楼に軟禁された皇后媛容のアヘン吸引室までそのまま残されており、歴史好きには堪らない場所です。他にも、溥儀の執務室や、関東軍の回し者であった吉岡氏の執務室などが残されており、どこにも歴史の息吹を感じずにはいられません。特に圧巻だったのが、溥儀博物館です。。詳しい題目は忘れましたが、確か「皇帝から一人民へ」みたいな標語でしたね。ここには彼が生まれてから、清朝最後の皇帝として即位してから、最後北京にて一人民として死ぬまでの一生が多くの写真と遺物と共に紹介されております。華やかな皇帝時代、5度もの結婚、3度の皇帝即位、傀儡国家元首、日本訪問、ロシア抑留、中国抑留、一人民としての余生といった内容です。基本的には、溥儀を日本の傀儡に甘んじつつ国を売った売国奴として大きな罪を犯した犯罪者であると述べつつも、中国共産党に10年もの人間「改造」によって、立派な一人民となった彼は最後は良い人民として生命を終えた、とのストーリーになっております。んで結局は、これだけの大罪を犯した売国奴であっても共産党はその命を奪う事無く、あたたかい教育で一人民として更正させてあげたのです。これは歴史上に例のない素晴らしい事です。って結論になるわけです。歴史に翻弄され、日本の傀儡となり、シベリアに抑留され、共産党に改造され、今尚共産党の広告塔として利用され続ける溥儀って人ははたして何を胸中で思っていたのか?一度酒でも飲みながら話を聞いてみたかったですね。

さて、じっくり偽皇宮を見た後は、おなかが空いたので東北名菜の水餃子店へ・・・やっぱり今日も餃子だ。他に無いのか?と言いたくなるが、他にはあんまり選択肢がないんだよね。まあ、結構旨かったのでいいんだけど、やっぱりちょっと飽きてきたな。その後はブラブラと街を散歩して、ホテルに戻り荷物をピックアップしてバス乗り場へ向かいました。先日のバスと違って、一応豪華バスではあったけど、やっぱり窓際からの冷気の凄まじさには体が震えます。今日も暖かくして寝ないとね。

2005年02月02日 午前1時 集安にて

※ 写真は偽満皇宮の溥儀の玉座です