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キムの上海日記 (外伝)

2004年10月から上海に赴任。中国でのExcitingな生活を日記として掲載。

【四日目 拉薩にて】

2006年05月11日 00時02分54秒 | Weblog

早くも拉薩3日目となった。
初日こそゆり坊の貰ってきてくれたDinamoxのお世話になりはしたが、目覚めると大分体が適応してきているのが分かる。不定期に訪れていた手足の痺れ(原因不明)も収まってきている様だ。さて、今日はいよいよ拉薩の外へ観光だ。扎嚢(ダナン)か達孜(タクツェ)のどちらにしようかかなり悩んだんだよね。達孜にはゲルク派の総本山であるガンデン寺(甘丹寺)があるし、扎嚢にはチベット仏教建築の最高傑作と言われるサムイェ寺(桑耶寺)がある。結局、つい最近チベットを訪問された「ゴッド奥」の助言によりサムイェ寺を訪れる事に。何といっても、チベットの国教を仏教と定め最初に建立したのが他ありなんこのサムイェ寺ですからね。インドから招かれた聖職者達が集まったのもこの場所だしね、まさにチベット発祥の地とも言える場所でしょう。

眠い眼を擦りながら、8時半にロビー集合。俺はいつも通り、朝飯を食わないので時間ぎりぎりに一階へ。一見、誰も居ないのかな?と思ったが皆さんはちゃ~んと食堂の方にいらっしゃいました。周りを見渡すとお客はほぼすべて外国人(白人系)。日本人は1人もおらず、なんだか不思議な感じ。ちらっと朝食を見てみると、ヨーグルトとか、パンとか、ベーコンとかね。所謂コンチネンタルってやつ?皆は朝からマサラ茶みたいのを飲んでいらっしゃいます。俺もちょっと時間があったので、生姜茶を頼み、特注のマサラオムレツとやらを進められるままに食ってみる事に。このマサラオムレツ、普通のオムレツに香菜とか葱とかを加え、ピリッと辛い。うーん、なかなかいける。ネパールから来たおっさんがまた愛嬌あってよろしい。全く英語に聞こえない英語もまた愛嬌。そうこうするうちにお釜ガイドの仁君登場。よっしゃー、出発だってことで元気よく出発。

ホテルの外では今日一日チャーター予定の車が待っているはず・・・待っている。いるが・・・でかいな。これ15人乗り?おれら6人なのに。まあ、いいかってことで、皆で贅沢に使う感じで乗車完了。ところがどっこい、この車の遅いこと。最高時速でも60kmくらいしか出てないっぽい。なんで「っぽい」かって言うと、メーターが壊れてて動かないの。だから実際には何キロ出ているのが全然分からないんだけど、後ろの車にどんどん抜かれていく始末。こりゃあかんわ。実は、このチャーター車に関しては事前の旅行会との交渉において最後まで大揉めに揉めた項目なんだよ。そもそも俺の趣向として、中国を旅するのにパッケージツアーが大嫌いなんだけど、ここチベットにおいては拉薩から外に出るときには必ずガイドと車をチャーターしていないらしい。本当かどうかは怪しいが、正式がGuidanceとしてはどうも嘘では無いらしい。規則を破って、公安に捕まった場合には最悪のケース、国外追放になると脅されて仕方なく自由行動は断念。そんじゃあ、そのツアーって幾らなの?って事で交渉していたのがこの車代金とガイド料金。最終的には車は2日間貸切で3800RMB、ガイド料金は450RMBまで落ちたんだけど、俺の感覚からすればまだ3倍くらい高い。先方は目的地までの距離やチベットの物価の高さを挙げて納得するように迫ってきたので、今回きっちり見極めてやろうと、ガイドと車に関してはいつもより厳しい眼で見ているわけだ。

そんな観点で言えば、今回の車は購入から20年くらいは経ってそうだし、足は遅いし、全てのメーター(スピード、距離、それにガソリンメータまでも!!)が壊れている・・・。おまけにガイドは頼りないお釜ちゃんだし。ってことで、早速朝一番に旅行会社に電話をし、今日はともかく明日はもっと良い車に交換。ガイドもできれば交換するように依頼。走り出してしまった今日はもう仕方ないが、と思ったけど、やっぱり今考えてもあのガイドで1日を潰してしまったのは勿体無かったな。翌日のガイド李小姐が素晴らしかっただけに、余計感じてしまう。やっぱり、歴史遺産を巡る場合には十分なバックグランドがあるか、良いガイドと共に廻るのでなければ、何が素晴らしいのか?さえ気付かずに終わってしまう危険性がある。今回の旅ではこのあたりを改めて認識させられると共に、自分の勉強不足を何度も後悔させられました。

タラタラと街を走る事数時間、ようやくバスはダナン(扎嚢)へ到着する。実に何も無い。これが街?ってくらい本当に何にも無い。たぶん、お店が20軒くらい並んでいるだけで、後は民家と麦畑しかないの。まあ、普通の民家の生活が垣間見れて良かったけど。サムイェ寺にも何にも無いらしいので、まずはここで腹ごしらえすることに。向った先は町はずれの小さな小さなお店。お願いして出てきたのは西蔵麺(チベットらーめん?)とツァンパ。チベットらーめんはヤクの骨で採ったスープに、ぱさぱさの麺がはいった(俺からすると)酷い食い物だった。スープはまあまあだったが、麺がね・・・。ツァンパはまあ悪くなかったが、その辺のおっさんが手も洗わずに握ったようなのがちょっと気になってあまり食がすすまず。ホテルで予備用にチョコを買ってきておいて良かったな・・・。驚いたっていうか、笑えたのがガイドの仁君。彼はからっきしチベット料理が駄目。駄目どころか大嫌いみたい。ツァンパをちょっと口にしてはマズ~っと顔を顰めてオカマらしく大騒ぎ。「僕はチベット料理、好きじゃないデスヨ」だってさ。なんでチベットでガイドやってんだよ?当然西蔵麺もお断り。自分で昼食を持ってきているらしい。これがまた大衝撃。なんとビニール袋一杯のオレンジ?ゼリー。あの蒟蒻ゼリーの安っぽいやつみたいのね。分かるかしら?あれを20個くらい持ってきているのよ。そんでもって、車の助手席でゼリーを一個一個開けてはズルっって吸ってるの・・・。面白すぎるよね。ちなみに、俺らの会計は6人で15RMB。今回の旅の最安値更新は間違いない。

この後、サムイェ寺へ向う為に船渡し場へ移動する事に。またも走る事1時間。舟は最近少ないから車で行くとか、船の予定は元々入ってなかったとか色々運転手とガイドと揉めたものの、やっぱり舟に乗りたかったので船着場へ。と思ったら、ちょうど舟が出発するところ。俺らも乗せてもらおうとしたら、船は15人の定員オーバーってことで結局乗せて貰えずに、次の船を待つことに。見た感じ20人以上は乗ってたみたいだけどね。次の船が何時来るかは全く当てが無いとの事だったが、近くで見張っていた警察が居なくなったとたんに、一般乗船用では無い小船で渡してくれることに。6人の貸切で150RMB程。いや~思い通りだな。ラッキー。舟はなんとも言えない雄大な景色の中、浅瀬を迂回しながらゆったりと対岸へ。ちょっと寒かったけど、楽しい1時間でした。対岸からはまた別の車に乗り換えてサムイェ寺へ。お寺に行く途中で眼にした光景は、ちょっと驚き。西蔵のイメージには全くなかった「砂丘」の連続。もうちょっとであれは砂漠だよ。どうも後で聞いたところではここ数年、急激に西蔵の砂漠化が進んでいるらしい。原因は定かではないみたいだけど、地形が風化しているとも、新疆あたりから砂が飛んできているとも言われているみたい。いずれにせよ、この調子では数年後には今と全く違ったチベットの景色になるかもしれない。

そして、ようやくたどり着いたサムイェ寺。うーん、たしかに長い年月を経てきた風格がある、ような気がする。須弥山に似せて作られたと云う大殿は確かに立派な感じだ。入口の幸せの鐘を鳴らし(ジャンプして鳴らすの!)、早速境内へ。ここでまたまたやってくれた仁君。いきなりマニ車を反対に廻し始めます・・・それはやばいでしょ。釣られて俺も2つくら逆回ししちゃったよ。幸せが逃げるって。サムイェ寺は仏教で言うところの世界観を立体で現した曼荼羅とも言われているんだけど、ガイドが悪かったせいか、あまりそういう実感が沸かなかったのが残念だったな。まあ、密教の仏像や、消された壁画なんかは結構面白かったけどね。

寺を後にして、迎えに来た車の乗る。疲れていたのが結構爆睡。1時間半が経ち、眼が覚めてもまだダートを走っている。ここ何処よ?聞くところでは、サムイェに至る道は現在改築中で40kmものダートになっているらしい。船着場あたりまで戻るのに一旦ツェタンまで引き返す必要が有り恐ろしく遠回りな道なのだ。早く言えよな。今夜は19時半からホテルで民族舞踊を見る予定だったと伝えてあったのに、到着は8時になるとの事。またやってくれたよ仁君。隣に呼んで、何のガイダンスもしなかった仁君を叱り飛ばす。まったくガイドとしては本当に駄目だわ。困った仁君は会社に電話して、厳しい客だから明日は変わってくれるようにって電話しだす始末。だったら朝から変わっとけ!

結局バスは20時半にホテルに到着。途中で、姫がホテルに電話して公演を21時からにして貰えるように交渉していてくれたので、結構余裕だと思ったら、なにやら雰囲気が変。今にも公演が終わった彼らが帰ろうとしている・・・ありゃ?どうなってるの?と思いきや、公演は20時から開始していたとの話で、21時とは言ってないとの事。そんな訳ネーだろとしばらく揉めたものの、帰ってしまっては公演が見れないのよね。そこで交渉の末、我々か仕切りで300RMBで再公演して貰うことに。元々1人25RMBのはずだったから、倍になっちゃったってことね。この金額を聞いた、楽団のメンバー、ニコニコ顔で戻って来る来る。今になってよく考えてみたら、奴らぐるになって担ぎやがったかな?まあ、踊りは踊りでなかなか楽しかったからいいけどね。やたら広い部屋に俺らだけで、贅沢な気分も味わったし。インド料理食いながらの見学もなかなか良かった。特にタンドリーチキンがかなり美味。ビールでMMと酔っ払ったところに、例の愛想の良いネパール人に進められてネパールブランデーを試す事に。これがまた結構いける。かなりフルーティで強く、高地では酔いますねー。快心開心!

酔った後の階段辛かったなぁ。心臓破裂するかと思ったよ。

※ 写真は苦難の末たどり着いたサムイェ寺です。


ノルブリンカ

2006年05月10日 04時53分12秒 | Weblog

この場所こそが14世が暮らしたタクテン・ポタンです。
彼の自伝である「Freedom in Exile」(邦題ダライラマ自伝)にも何度も登場してくる舞台となります。解説は何も無いですが、おおくの敬虔な信者達が訪れます。ここの公開を許している中共も結構凄いよね。それとも許さざる得なかったのかな?

やかん

2006年05月10日 04時48分26秒 | Weblog

拉薩の日差しは強い。
この街では帽子、サングラスと日焼け防止対策は必須だ。
この不思議なシステムは溢れんばかりの太陽を集めヤカンの水を温めるマシーン。
実際には温める所では無く、かなりの温度まで上昇するっていうか、焼けどする。

【三日目 拉薩にて】

2006年05月10日 04時27分12秒 | Weblog

いよいよ今日は布達拉宮の見学だ。
これまで映像では何度も見たあの場所に立てるかと思うと、ウキウキしますね。この5月から観光シーズンに入った拉薩では、多くの観光客が押し寄せてきている為、布達拉宮の見学も全て事前に整理券を配っての時間順番制。俺らは代理店に頼んで、チケットを手配して貰ったが、この日の入場時間は12時丁度。ってことで、午前中は拉薩に程近いゲルク派の最大寺院であるデプン寺を訪問する事に。8時半にロビー集合ってことで、8時に目覚ますが、隣で寝ているアフロの様子がちょっと変。どうも頭が痛く動けないらしい。高山病の恐れもあるってことで、デプン寺は諦めて近くの病院に向う事に。残りの5人はタクシーに乗り一路デプン寺へ。ちなみに、拉薩内のタクシーも一切メーターは使わない。だから毎回毎回価格の交渉をしなくちゃいけない。面倒臭いったらありゃしないけど、仕方ないのです。大体市内であれば7~10RMBで、セラ寺やデプン寺辺りだと20RMB前後ってのが相場の模様。

デプン寺、思ってたより良かったな~。特に何があるわけでは無いんだけど、何と言うか、所謂これまでもっていたチベットのイメージにそっくりな感じ。高地にあるお寺に小豆色の袈裟を着た大量のお坊さん。まさにそんな感じ。岩山には大量のタルチョがはためいていて蒼い空にカラフルな眺め。巨大な厨房ではお坊さん用の食事を作っているのが眺められました。主食はツァンパと呼ばれるハダカ麦の一種を炒って粉にした物をお茶やバター等で捏ねた物で、日本的に言うと麦焦がしみたいなもの。それにジャガイモや春雨なんかを食べているみたい。ちょうど午前中のお祈りの時間中だったらしく、大聖堂では数百人の坊さん達が不思議な呪文を唱えているが実に不思議な光景でした。そしてそれを普通に見学できちゃうことに驚きと喜び。

そしていよいよ布達拉宮の見学だ。11時半に布達拉宮の西門前に集合。ここで、ガイドの仁君と待ち合わせ。今回のチケットを手に入れてもらうのだ。現れた仁君、実や昨夜もチラッと会ったのだが、実に頼りない感じ。まだ若い23歳で重慶出身の漢族。チベットにはまだ2、3ヶ月とかでガイドの経験はかなり少ない感じ。日本もちょっと変。それ以上におかしいのがその態度。あきらかにオカマな仕種。中国にもオカマが居たんだな~と驚き。何にせよ、MMと仁君にチケットを手に入れに行って貰いさっそく入場。アフロもぎりぎり間に合わせるあたり、さすが見所は外しません。おまけに、1人チベット医学を体験してきたとあって、姫がしきりに羨ましがって居りました。

さて、布達拉宮。これを見学するのが実に大変。まず、正門から紅宮の入口に向うまでがなが~い登り。これだけ高い標高だと、それだけで疲れちゃうのよね。ハアハア言いながら、ようやく入口へ。残念ながら現在は補修中とのことで、白宮は見学できず、紅宮のみの見学。これまた中は5層くらいの階層構造となっているので、異常に急な階段を上へ上へと登っていく。ようやくたどり着く先は第四層だ。ここには布達拉宮で最も聖なる場所と言われる聖観音堂が存在する。ここで見た布達拉宮の壮麗さや、感じた荘厳さは言葉や文章にはなかなかしづらいので、できれば写真などで紹介できればと思う。やはりここは自分の眼でみなければいけない場所だと思う。ただ一つ言えることは、布達拉宮の中には確かに超越的な存在を感じさせるような感覚を呼び覚まされる場所であったって事かな。

結局2時間半ほど観光をしていただろうか?効くところでは布達拉宮全体では1,000にも及ぶ部屋があると言う。建物のほんの一部を見ただけでこれだけの時間が掛かってしまうようでは、全体を見るには2,3日はないと見切れないだろうな。見学後、いい加減にお腹が空いてしまったので、近くにあった蘭州牛肉麺のお店を試してみる事に。これが結構当たり。麺は腰があってなかなか旨く、俺の食った干麺はソース焼きうどんのような味がしてちょっと懐かしかったな。アフロはここで冒険して新疆炒麺を試してたけど、なぜかあの懐かしい羊ちゃんの味も匂いもしませんでした。ちょっと残念。

昼食の後はノルブリンカへ。ここは歴代ダライラマの夏の離宮だ。現ダライラマ14世の子供時代はここで過していたって場所。ちょうどこの日は5月1日の祝日ってことで、ノルブリンカの敷地内は市民に無料で開放されているみたいで偉い人込み。そこかしこにテントを張って、ビール飲んだり、トランプしたり、歌唄ったり。なにやら騒がしい。全然離宮って感じがしないのがちょっと残念だったな。もっと静かな時に見に来たかった。中には多くの離宮があったが、8世の離宮(ケルサン・ポタン)、13世の離宮を見学。もちろん、一番のお目当ては14世の離宮(タクテン・ポタン)だ。

言うまでも無く、1950年代に中共軍がチベットを侵略し、1959年にダライラマ14世がインドへ亡命後、中共政府の方針として中国国内にてダライラマ14世を崇めることを禁止している。偶像崇拝どころか活仏信仰のチベット仏教においては各寺院や家庭に聖人達の写真が所狭しと飾られているのだが、このような理由によって街や公の場所で現ダライラマ14世の写真を見ることは一切無い(あったら反共徒として捕まるんだろうな・・)。だから、ノルブリンカでも他の離宮ではいろんな解説が英語・中国語なんかで付いているんだけど、この14世の離宮だけは玉座も寝所にもな~んにも付いていない。それがまた変な違和感を感じさせる。かつ、部屋の傍で小豆色の服を着ている坊主?も、よく見ればその服は袈裟には見えず護衛のようだ。顔も漢族のようであった。ひょっとすると、人民解放軍か公安の人間が変装して見張っていたのかもしれない。。そういや、ポタラにも軍人がちらほらみかけれらた。実際に、これまで丸2日間拉薩で過ごして来たが、14世の写真は街のどこであっても一度も見かけることは無かった。替わりにパンチェンラマ10世の写真が異常に多い。

離宮内にダライラマ14世も文字は全く存在しないが、市民にとってはここが14世縁の地であることは間違いない。多くの巡礼者がこの地を訪れ、14世の利用していた家具に触り、額を近づけ、寝室、玉座に五体投地を行い敬虔な祈りを捧げている。俺は見かけることが出来なかったが、後で聞いた話では五体投地を行っている人々の中には涙を流していた人も居たとの事だ。年老いた老人や老婆を多く見かけたが、かれらは間違いなく50年代の中共の暴風をかいくぐり死線を潜り抜けて来たのだ。ひょっとすれば、14世がこのノルブリンカからインド目指して亡命して行った時も彼を守る為に何万人もが布達拉宮を囲んだデモの中の1人だったのかも知れない。結局、人の信仰や想いってものは力では変えられないってことだ。人間の想いは強い。

ノルブリンカの見学を終えると、既に5時を回っている。それ程動いた感覚は無いのだが、平地を歩くのも結構億劫になる。そこで、夕食の7時までは自由行動ってことで、多くのメンバーは一度ホテルに戻る事に。俺はアフロと共に市場をうろつきながらお土産を探すが、なかなかこれ!ってものがないままTimeUp。18時半にホテル戻り、4階の部屋まで階段を登るのが面倒であったため、1階でビールを飲みながら皆が下りてくるのを待つ事に。昨日は拉薩初日ってことで、一滴のアルコールも口にしていなかったんだよね。ここのビールは良く冷えていて、美味かったな~。弱いくせに2本も空けたら、結構くらくらしてきましたね。いい感じ。

夕食はSnowlandってレストランで、チベット料理を試してみる事に。最初は英語のメニューがやって来たが、ぜんぜんイメージが湧かないので中国語&チベット語のメニューを貰い、アフロの持ってきた指差しチベット語を駆使してオーダー。前から食べてみたかった多くのチベット料理を試す事ができました。まっ、結論的には激ウマな物は全く無かったけど、激マズの物も無かったって感じで。中でも結構いけていたのは、ツァンパと呼ばれる麦で作った団子みたいなもの(チベット人の主食)、ポテトの辛い炒め物、ツァンパ粥はかなり良い。それとヨーグルトはか~なり酸っぱく俺好み。これは好き嫌いが出そうだけど、俺は好き。

そんなこんなで、明日も早いので今日も早めにホテルに引き返してきた我々でした。明日はダナン地方へ向かいます。

マニ車

2006年05月09日 03時25分52秒 | Weblog

これまたジョカン寺を囲むように設けられた「マニ車」の列です。
この中にはサンスクリット語で書かれた(チベット語かも・・・)経典が収めれれており、廻した数だけお経を唱えた効果があるとの事。必ず時計回りに廻していきますが、気をつけないと目も廻ります。

バルコル

2006年05月09日 03時23分19秒 | Weblog

ジョカン寺を囲むようにつくられた巡回路であるが、日中は道中お店がで出店されており、単なる市場と化している。お土産なんかを買うにはいいが、やっぱり価格交渉は必須です。

大昭寺にて

2006年05月09日 03時21分14秒 | Weblog

ジョカン寺の本尊である「釈迦牟尼像」です。
チベットにおける最も重要な寺院であるジョカン寺の中のご本尊ってことですから、チベット仏教徒にとっては最も神聖な像になるかもしれません。

【二日目 拉薩にて】

2006年05月09日 02時59分45秒 | Weblog

いよいよ憧れの土地、チベットへ出発する日が来た。
この日、起きて直ぐゆり坊から貰ったDiamoxを一錠飲んで準備万端。これで高山病も多少は和らぐに違いない。早速成都の空港へ向い、拉薩へ出発。珍しく飛行機は定刻に出発し、時間通りに到着。この成都からもまだ2時間も飛行しないと拉薩には到着しない。一体全体、中国ってのはどんだけ広いんだ?と1人つっこみつつも午前10時過ぎには世界の何処よりも蒼い空と言われる西蔵(チベット)の土地を踏む。空港に降り立った瞬間から鼓動が激しくなる。期待感とは異なる心臓のバクバク感・・・あー、ここは空気が薄い。やはり3800Mともなると、ちょっと運動しただけでも息が切れますね。ふと見れば、空港に着いた瞬間に外人連中が服を着まくりだす・・・やばいよそんなに寒いの?と思いきや、思った以上に暖かいっていうか日差しが異常に強い。そして空・・・蒼い。これが求めていたチベットの空か。ちょっとばかりにやけながら呟いちゃう。

空港からはタクシーに乗り移動。あいかわらず交渉がMustなんだが、どうやらここはタクシー全部でカルテル結んでるみたいで、120元から1元も負かりませんでした。空港から市内へは約100Km程とのことだから、まあそんなに高くないけどね。地球の迷い方には空港から市内へ至る道は景色が凄いので、寝ないで楽しむようにって書いてあったけど、実際問題それ程たいした感じでもありませんでしね。あいかわらず、適当な本ですね。道はきちんと舗装されたしっかりとした道で、車は快適にスピードを出します。およそ1時間ほどで市内へ到着。あー、拉薩もなかなか栄えているな~、しかもその辺の中国の田舎街と同じだな~なんて眺めていると、突然視界が開け左手に憧れの「赤い山」ポタラ宮殿が視界に入る。世界最高所にある世界最大級の宮殿だ。いよいよここまで来たなーと、なんとも言えない充実感が体を満たす。

まずは、荷物をおいて、チェックインってことで、これから四日間もお世話になるホテルへ直行。今回お世話になるのは「敦固大酒店」。何ともカラフルなホテル!かなりチベットっぽい感じ。繁華街も目の前でなかなか良いホテルです。外人のガイドは拉薩で唯一の純チベットホテルと言ってたけど、ガイドブックによってはネパール系って書いてある。ただ、確かに部屋に中にまでチベット風の装飾がされており、ちょっと落ち着かないが雰囲気は良い。なにより素晴らしいのは、窓から覗く外にくっきりとポタラ宮殿が見えること。この部屋からは朝陽のあたるポタラ、昼の光に輝くポタラ、夕暮れのポタラ、夜のポタラの総べてを眺める事が出来るのだ!そしてこのホテルの最悪な事は、エレベーターが無いって事。まあ普通だったらそれ程気にしないんだけど、この標高3700Mの場所で、毎回毎回4階の部屋まで上がるのは至難の事なのよね。息切れまくりですよ。

高地に着たばかりということで、無理はせずにホテルで1時間ほど休憩。その後、各自出かける用意をし、まずは聖地の中の聖地「大昭寺(ジョカン寺)」へ向う事へ。ここはチベットを建国したソンツェンガンポ王とその2人の妃の伝説に彩られた、拉薩の中でももっとも聖なる地と看做されており、チベット仏教の総本山でもある。チベット各地から五体投地しながら拉薩を目指す敬虔な仏教徒の全てはこのジョカン寺を目指して遥かな道のりをやってくるのだ。我々のホテルから歩いて5分程の場所にあるこのジョカン寺の正面では、噂に聞くこの五体投地を早速生見学。若者も年寄も男も女も分け隔てなく一身にジョカン寺の正門に向かい五体投地を繰り返す。写真を撮るのも躊躇われる真剣さであったが、こっそりと邪魔にならないように数枚撮影する。すべての信者の真剣な目が印象的であった。その後ジョカン内を軽く巡り、屋上から拉薩の街を一望する。来た時にはなんとも中国ナイズドされてしまった印象であったが、ちょうどポタラ宮殿辺りを境にしてジョカン寺の方はまだまだチベットっぽい雰囲気を残した街並みのようだ。当初見た街並は中共(中国共産党ね)による漢民族の移住計画による新市街の模様だ。ジョカン寺を囲むようにひろがるバルコルと呼ばれるストリートは小さな露天がびっしりと埋め尽くされていて、見ていて飽きないが、これといって欲しいものはほとんど無い。

朝からなにも食わずにいたために、さすがにお腹が空いた為にその辺でポテトを買ったり、鳥の唐揚げのようなものを買い食いしながら色拉寺(セラ寺)へ向う。ただし、折角向ったものの、この日は時間切れで見学できず。残念でした。結局、この後4日を拉薩で過していたが、予定が一杯で再びセラ寺を訪れる時間がとれず非常に残念な結果となってしまいました。この後17時半ごろホテルに戻り、再度夕食まで休憩することに。なんだかほとんど運動らしきことはしておらず、街を見て歩いているだけなのにやたらと疲れます。空気が薄いからなのでしょうか?18時半に18時半に夕食の為ホテル1階で待ち合わせる予定にして、部屋で軽く昼寝とおもっったら、な~んと1時間半も寝坊して20時に集合。目をさました時にはまだまだ日が高く、本当に20時なのか何度も確認してしまった。ただ、このお昼寝のお陰で高山病にも大分適応してようで、心臓の鼓動は大分収まってきたかな。手足の痺れが突発的に発生するのが困りものだけど。

夕食はホテルのレストランでネパール料理を中心に楽しみました。姫とゆり坊は軽い高山病のためか時差ぼけの為か部屋で寝ているとの事。残りの4人で食事を楽しみましたが、この日は念のためアルコールは我慢しておきました。頼んだ中ではヤクのキーマカレーが美味かったな。残念ながらこの日はタンドリーが無かったので、後日再チャレンジすることに。夕食を終えると10時を過ぎていたが、昼寝をしていた為に元気一杯。この頃には寝ていたゆり坊も姫も復活し、腹こなしの為に、みんなで夜の布達拉宮まで散歩することに。夜のポタラもなかなかでしたよ。

明日はいよいよメインの一つ、ポタラ宮殿の中へ!
※ 写真は夜のポタラ宮殿。

キム

【初日 成都にて】

2006年04月30日 01時59分45秒 | Weblog

キムです。

いよいよ今年もGWの旅が始まりました。いや~、毎年毎年素晴らしいですね。1年の中でここまで長期に休めるのって、年に数回しかありませんので、毎年せっせといろんな所に冒険に出かけておりますが、昨日更新した通り、今年のGWはチベット(西蔵)と桂林を中心に巡ってくる予定です。初日の今日は成都泊。明日は8時の飛行機に乗ってラサに向かうので、今日に引き続き早起きとなりそうです。おまけに標高500Mの成都から拉薩の3600M程まで一気に昇るのです。いや~、高山病がちょっと怖いですね。折角の観光なのに、高山病にやられてたら面白くもなんともありませんからね。今日は出来るだけ早めに寝床に入り、たっぷり睡眠とらなければならないらしいです・・・って言ってももうこんな時間だけど。

ところで、成都と言えば、思い出す去年の9月。九寨溝を夢見て意気揚揚と虹橋空港に向かってしまい、顔面蒼白になったのも今では楽しい記憶ですが、今回はばっちり6時半に車を手配し、みんなそろって浦東空港へ。飛行機も遅れること無く、預けた荷物も無くなる事無く、平穏無事に成都へ到着です。さすがに結構南下してきただけあって、成都は異常な暑さです。Tシャツ、短パン、サンダルがこのあたりでは正しい姿のようですね。早速ホテルに向かいチェックイン。ちょっと驚いたのが、空港から成都の市内に向かうタクシー。通常中国の地方都市だと、こういった空港のタクシーってメーターでは絶対に走らずに必ず吹っ掛けてくるので、まずは交渉してからじゃないと乗れないのよね。このルールを知らない人は、いざ目的地に到着した時に必ず揉める事になります。ところが、この成都、驚いた事に普通に賃走!!いや~驚きました。成都は都会ですね。ちなみに、今回は「蜀都大夏賓館」三ツ星ホテルに宿泊です。まあ、繁華街からも近くなかなかでしょうか。荷物を置いて、着替えを済ませ、まずはお昼ご飯を食べに行く事に。四川と言ったら、四川料理。それもお昼に食うなら坦々麺でしょって事で、ホテルの人お勧めの「龍炒手」に向かいました。結構大きなレストランで、一回は庶民向けのホールになっている。二階席、三階席は個人の最低消費が決まっているコース。我々は直ぐに席に座れる三階席に座り、お一人様88RMBコースを試してみる事に。このコースはグループ用に大皿が10品くらい出てくるのに加え、各個人に12種類の四川シャオチーが付くんだよね。シャオチーってのはまあ、軽食とかおやつって意味なんだけど、水餃子や坦々麺、それに白玉みたいのが付いてきて、かなりバラエティー豊富でしたよ。冷えた青島ビールが最高でした。

続いて、今回最初の観光地「大熊猫基地」ってことで、パンダ研究所を訪れる事に。なんでもこの場所はかなり多くのジャイアントパンダを人工繁殖させているらしく、赤ちゃんパンダを見たり、抱っこしたり出来るらしい!市内からはちょっと距離があったが、車で走る事30分で無事に到着。入園後、早速お目当ての赤ちゃんパンダ(幼稚園って書いてあったな)を見に行く事に。ただ、幼稚園はちょうど掃除中であんまり眺められなかったけども、3歳弱のパンダが笹に貪りついている姿は結構可愛いものでした。1歳未満のパンダもほんとに人形みたいで可愛いの。んでもって、青年パンダやら成人パンダやらを見つつ、そういや、写真撮らなきゃねってことで、もと居た場所に引き返すことにしたわいいが、これがチョー驚き。まあ、パンダを抱いて写真撮るって言ったら、結構お金掛かるだろうな~、多分1人100RMBはするに違いないと思っていたら・・・とんでもない。なんと、去年生まれた小さいパンダを抱いて写真を撮るだけで1人1200RMBも掛るとか言ってるのよ!!有りえねー!!120RMBの間違いだろって、何度も確認するが、一円たりとも下がらない。もし高いのならば、3歳のパンダでよければ1人400RMBでいいよって・・・・それも充分高すぎだろ。高すぎっていうよりも、本当に有り得ない金額だよね。だって、6人で写真撮ったら7200RMBも掛るんだよ?それって、上海→成都の飛行機のチケットと変わらないくらい高いよね。この研究所の一般職員の給料なんて、一ヶ月に400~600だろうから、1200って言ったら何ヶ月分の給料だよねえ??こりゃ、中国人で写真撮る人なんて一人も居ないだろうな~と思いつつ、我々も断念。向こうは最後まで強気で、高いと思うなら撮らなきゃいい、くらいの態度。正直頭にきましたね。

この後向かったのが、三国志ゆかりの場所「武候祠」です。ここは三国志でも有名な劉備と諸葛亮が祭られた祠なのです。四川と言えば、昔で言う所の巴蜀ですからね、三国の中のちょうど蜀にあたるあたりで、成都には劉備や諸葛亮に関連する遺跡などが点在している模様です。中でもここは2人が祀られている場所として、中国人にも結構な人気のようでした。祠は劉備と諸葛亮それぞれ分かれては居るんですが、君主である劉備の奥に配下の諸葛亮が祀られていたのが、ちょっと面白かったですね。劉備の祠の左右には三国史中、蜀の関連する武将達の像が飾られており、簡単な解説が掛けられておりました。日本で人気がある武将(例えば、黄忠や、馬超、趙雲・・・)などよりも普通の文官なんかの扱いが重かったりして、中国的視点で見たときの三国史ってのはまたちょっと違うな~っと面白かったですね。武候祠の横は小さなお店が出店のように出ております。ちょっと浅草ちっく。四川のシャオチーが所狭しと並んでいたり。各お店をひやかしながら進んでいると、こんな所でも出会ってしまいました、アホな外人組み。折角四川まで来て、しかも武候祠の横でお昼ご飯にコーラとピザ食ってるの。思わずアホぢゃねーの?って言いたくなるのを我慢するのが大変でした。ちょっと歩きつかれた所で、一休みに入ったお茶屋さんはなかなか良かったですね。各々好きなお茶を頼んで、無駄に広い椅子にの~んびり。お湯が無くなる頃、おねーさんがお湯を足しに来てくれます。のんびりトランプでもいいかな~。

一度ホテルに戻り、夕食へ。20時を過ぎているのに、まだ外は結構明るいです。向かった先は9月に引き続き、「陳麻婆豆腐」に向かいます。到着するまではあんまりお腹空いてなかったカナ~なんて思っていたけど、あの辛味は一口食べ始めると堪りませんね。麻婆豆腐はもちろん、前菜で頼んだ豚肉の大蒜和えや、鶏肉の山椒スープ漬けがかんなり美味かったです。みんな額に汗を滲ませながら大満足。いや~やっぱ美味いわ。腹ごなしにお店からホテルまでお散歩。途中で明日用にお水を2本買い足しました。なんだか疲れたねーってことで、アフロと共にホテルのマッサージに行く事に。色々いろいろと薦められましたが、本日は70分の足裏マッサージコースへ。へんなねーちゃん2人で、四川訛りが強くて言っている事がなかなか理解できませんでしたが、マッサージはなかなかの出来でした。アフロは直ぐに寝てたし。戻ってきて、さー日記でもUpするかと、シャワーを浴びてお水を飲もうと、さっき買った水を口にしてゲっ・・・・これってミント水じゃん。日中MMが買って大失敗したやつ。俺らもひっかかったな・・・。しっかし飲めたモンじゃないこのミント水。一体全体なんなんでしょうかね?成都では水っていうとこれなんでしょうか?不思議です。