最近、徒然草を再読し始めた。かつて読んでいたのはもう50年くらい前の高校時代だ。理系志向の人間にとっても大学受験の対策に徒然草くらいは読めないといけない時代であった。仏教や儒教などの思想に彩られた吉田兼好の思想は、当時の私に理解できたはずもなく、記憶に残っている部分は少ないのだが、高齢者になった私には耳が痛くも、参考になる部分が多い。それはともかく、千年ほど前の日本語と現代の日本語の差には驚かされる。言語の変化の速さは予想以上だ。話は飛ぶが、原子力においては廃棄物処理が問題になる。放射性廃棄物の半減期は10万年にも及ぶ。将来に亘って10万年単位で放射性廃棄物の管理を行って行かなければならないのである。10万年前と言えば、地球上にはネアンデルタール人が生活していた。それを思うと10万年後に現在の人類が存在しているとは限らないし、存在していたとしても、言語は相当変化しているだろう。10万年後の言語変化など想像することもできない。千年ほど前の吉田兼好の文章でさえ読むのに苦労するのであるから、10万年後の言語は今と相当異なったものになっているだろう。10万年後まで、将来の人類に、放射性廃棄物の管理方法や危険性をどうやって伝えていったらよいのだろうか。まぁ、短期的には言語の変化も緩やかであるから、徐々に伝えていくことは可能かもしれない。それにしても、10万年の世代間倫理を考え、原子力の放射性廃棄物の問題を将来の人類に伝えていくには、相当の工夫がいるようだ。原子力の問題は50~60年未来のことを考えるだけでは済まされない途方もない問題なのだ。
荒井公康
荒井公康