氣まぐれ剣士の言いたい放題
380 裁く
自分を「裁く」と卑屈になります。他人を「裁く」と傲慢になります。
どちらにしても、心が「砂漠(=裁く)」になりますね。
キリスト様の言葉の中に、
「許す者は、許される。許さぬ者は、許されない。裁く者は裁かれる。裁かぬ者は裁かれない」と言うものがあるそうです。
『投げ掛けたものが返って来る。投げ掛けなければ、返らない』と言うのが宇宙の法則だそうですから、当然と言えば当然の話しですね。
「裁く」心の刃が自分の内側に向くと、罪悪感や無価値感を感じて卑屈になり、ウツや自閉症になってしまいます。
同様にそれが外側に向くと、正義感や使命感が強くなり、 傲慢で尊大になり、独善的で怒りっぽく、孤立してしまいます。
どちらにしても何かを「裁く」と、ゆとりやうるおいがなくなり、心が「砂漠」になってしまうのです。
「裁く」ことは、「差(が)苦」ことだそうです。自分と他人、自分と常識などを比べて、差を付けるから苦しくなるのですね。
自分の中の価値観の「物差し(=スケール)」が強ければ強いほど、その目盛りが細かければ細かくなるほど、「裁く」ものが増え、ドンドン自分が苦しくなります。
「物差し」は道具に過ぎません。必要に応じて使えば良いのですね。
自分をあるがままに認めると言うことは、 自分の中の「物差し」を放棄してしまうことではなく、必要に応じて、出し入れ自由に出来ること。「物差し」の目盛りを無限大にまで拡大出来ることです。
それを「スケールの大きな人」と呼ぶのです。
氣まぐれ剣士も「スケールの大きな人」になりたいですね。でも、スケールの大きな時は多分酔っ払っている時だけでしょうね。
いかがでした。
次回もお楽しみに
以上
380 裁く
自分を「裁く」と卑屈になります。他人を「裁く」と傲慢になります。
どちらにしても、心が「砂漠(=裁く)」になりますね。
キリスト様の言葉の中に、
「許す者は、許される。許さぬ者は、許されない。裁く者は裁かれる。裁かぬ者は裁かれない」と言うものがあるそうです。
『投げ掛けたものが返って来る。投げ掛けなければ、返らない』と言うのが宇宙の法則だそうですから、当然と言えば当然の話しですね。
「裁く」心の刃が自分の内側に向くと、罪悪感や無価値感を感じて卑屈になり、ウツや自閉症になってしまいます。
同様にそれが外側に向くと、正義感や使命感が強くなり、 傲慢で尊大になり、独善的で怒りっぽく、孤立してしまいます。
どちらにしても何かを「裁く」と、ゆとりやうるおいがなくなり、心が「砂漠」になってしまうのです。
「裁く」ことは、「差(が)苦」ことだそうです。自分と他人、自分と常識などを比べて、差を付けるから苦しくなるのですね。
自分の中の価値観の「物差し(=スケール)」が強ければ強いほど、その目盛りが細かければ細かくなるほど、「裁く」ものが増え、ドンドン自分が苦しくなります。
「物差し」は道具に過ぎません。必要に応じて使えば良いのですね。
自分をあるがままに認めると言うことは、 自分の中の「物差し」を放棄してしまうことではなく、必要に応じて、出し入れ自由に出来ること。「物差し」の目盛りを無限大にまで拡大出来ることです。
それを「スケールの大きな人」と呼ぶのです。
氣まぐれ剣士も「スケールの大きな人」になりたいですね。でも、スケールの大きな時は多分酔っ払っている時だけでしょうね。
いかがでした。
次回もお楽しみに
以上