氣まぐれ剣士の言いたい放題

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600 猫も杓子も

2007-12-25 08:07:26 | Weblog
氣まぐれ剣士の言いたい放題

600 猫も杓子も

犬と猫は、スピリチュアルな視点から考えた場合、とても興味深い存在だそうです。

「犬」という漢字は、「天」という文字の上の横線が、短くなって、右にずれると、「犬」になります。天からの使い、「天使」でもあるそうです。
 英語でも、犬の英語は、「DOG」ですが、これを、逆にすると、「GOD」で、神になりますね。神の使いでもあるかもしれません。
 あと、人間が、古代から、崇拝してきた星、「シリウス」がある星座は、「大犬(おおいぬ)座」です。犬の魂は、シリウス意識とも関係あるという説もあるそうです。

「猫」という漢字も、偏の部分は、獣偏で、動物をあらわしているだけですが、つくりの部分の草冠は、「王冠」や「月桂冠」を現しているという説もあります。「田」の字は、「クロスエネルギー(キリスト意識)」を包んで守っているという意味だそうです。猫は、「キリスト意識をもっている存在」という意味が、漢字に隠されているかもしれませんね。

それにしても、猫は、不思議な存在です。聖書の中に、猫がでてこないというのは、聖書学者の中で、最大のミステリーだそうです。ねこは「現実の世界と夢の世界の両方とも現実だということを、深く理解している存在」なのだそうです。そういえば、猫は、よく眠ります。「寝る子」が、「寝子(ねこ)」から、「猫(ねこ)」になったという語源説もあるそうです。

 猫の語源で、他にも、面白い話があります。
 仏弟子を釈子(しゃくし)というそうです。お釈迦さまの弟子、お釈迦さまの教えを受け継ぐ者という意味です。また、神官の長を神主(かんぬし)というそうです。その神主の下の位を禰宜(ねぎ)というそうです。そしてさらに、禰宜の子孫を禰子(ねこ)といいうそうです。

「猫も杓子も」という言葉は、もとは、「禰子も釈子も」であったといわれます。つまり、お釈迦さまの弟子も、神様の弟子も、みんないっしょにと言うことです。日本では昔、宗教といえば仏教と神道の二系統でしたから、禰子と釈子で日本国民すべてとなります。これから転じて「どんなものも、みなすべて」の意味になったのです。

皆さん、知ってました? 猫も犬も素晴らしい存在だったのですね。
この「言いたい放題」もいつの間にか600話にもなってしまいました。すごいですね。
自分自身に「あんたは偉い」と言ってやりたいです。これも皆様のご贔屓のお陰ですね。ありがとうございます。まだまだ続きますよ。
次回をお楽しみに。                          以上