気まぐれ剣士の言いたい放題
236 心と体
「私たちの《肉体》も《心》もただの道具である」だそうです。
この「体」も「心」も本当の自分自身ではないそうです。
この世で生きるために与えられた「道具」に過ぎないということ。
コンピュータで考えてみましょうか。
コンピュータを使うためにはハード(体)とソフト(心)が必要です。
しかし、コンピュータを作動させるためには、電気という「気」がなければ動きません。電気がなければただの箱、置物にほかなりません。
だから、今まで自分だと思っていた肉体は、自分ではない。
自分という「気」が生きるための必要な仕事を行う道具ということです。
心もまたしかり。
だから与えられた道具(肉体と心)を十分に使いこなすには、いかにすれば気を多く取り入れられるかなんですね。昔の人たちがあらゆる修行を重ねてきたのも、根底には多く気を取り込むための修行だったという解釈もできます。その気が流れる状態というのは宇宙と一体のとき。この状態が無念無想の状態というわけで、多くの宗教家が説くところです。
「天の意志にかなった状態を作り上げれば、おのずから気は流れ込み、病気も不運もこない人生を与えられる」
これが天風哲学の真髄だそうです。
「あなたのおなかが痛いときは、道具の一部が故障していると信号を送っているだけで、あなた自身が痛いわけじゃない。となりのおばちゃんのおなかが痛いのといっしょだと思え」と天風さんは言います。
さすが天風さんですね。気まぐれ剣士のおなかが痛いときは隣のおばちゃんのおなかが痛いと思えばいいのですね。でも、隣のおばあちゃんのおなかが痛いときは、気まぐれ剣士のおなかが痛くなるのでしょうか?
いかがでした。
次回もお楽しみに。
以上
236 心と体
「私たちの《肉体》も《心》もただの道具である」だそうです。
この「体」も「心」も本当の自分自身ではないそうです。
この世で生きるために与えられた「道具」に過ぎないということ。
コンピュータで考えてみましょうか。
コンピュータを使うためにはハード(体)とソフト(心)が必要です。
しかし、コンピュータを作動させるためには、電気という「気」がなければ動きません。電気がなければただの箱、置物にほかなりません。
だから、今まで自分だと思っていた肉体は、自分ではない。
自分という「気」が生きるための必要な仕事を行う道具ということです。
心もまたしかり。
だから与えられた道具(肉体と心)を十分に使いこなすには、いかにすれば気を多く取り入れられるかなんですね。昔の人たちがあらゆる修行を重ねてきたのも、根底には多く気を取り込むための修行だったという解釈もできます。その気が流れる状態というのは宇宙と一体のとき。この状態が無念無想の状態というわけで、多くの宗教家が説くところです。
「天の意志にかなった状態を作り上げれば、おのずから気は流れ込み、病気も不運もこない人生を与えられる」
これが天風哲学の真髄だそうです。
「あなたのおなかが痛いときは、道具の一部が故障していると信号を送っているだけで、あなた自身が痛いわけじゃない。となりのおばちゃんのおなかが痛いのといっしょだと思え」と天風さんは言います。
さすが天風さんですね。気まぐれ剣士のおなかが痛いときは隣のおばちゃんのおなかが痛いと思えばいいのですね。でも、隣のおばあちゃんのおなかが痛いときは、気まぐれ剣士のおなかが痛くなるのでしょうか?
いかがでした。
次回もお楽しみに。
以上