縁側で日向ぼっこ

本、アニメ、マンガなどのレビュー、備忘録

「いのちの始まりと終わりに」柳澤桂子

2024年02月19日 | 本 レビュー

「いのちの始まりと終わりに」2001/6/1

柳澤桂子

再読です。

ちょっと調べ物をするために、柳澤さんの本を開いたら

読むのが止まらなくなってしまいました😸

 

生命科学者である柳澤桂子さんが、生と死の倫理を問い、

いのち本来のあり方を考える内容となっています。

本の内容はかなり重く、いろいろ考えさせられました。

 

人工授精、体外受精、精子銀行、代理母、高齢出産、出生前診断、クローン

自殺幇助と安楽死、老人医療、倫理、自然...

 

20年以上前に書かれた本ですが

内容的には今読んでもかなり勉強になりました。

 

本の中で私自身も考えさせられた箇所がありました。

(本文より)

2001年1月11日に放映された、NHKの「ETV2001 シリーズ・いのちの対話」の中で、

アジア辺境の地で17年間も医療をおこなってきた中村哲医師が話していました。

(中村哲医師は2019年12月4日アフガニスタンで死去)

 

内乱でたくさんのけが人が出たときには、重傷の人から治療するのではなく、

助かると予想される人から治療するというのです。

重傷の人は放置して死ぬにまかせておくわけです。

 

また重い障害が残って、その家族が共倒れになりそうな場合は、

その人を見殺しにするとのことでした。

「私は人殺しです」と中村医師はいいます。

 

阪神大震災のあとでも、この負傷者のランクづけの問題が考えられていました。

最近の戦争では、けが人に色のちがう札をつけて、処置の順序をきめたりしているようです。

治る見込みのない人は放置されるわけですが、もしその人に意識が残っていたら、

どんなに辛い思いをすることでしょうか。

 

極限の場合、人はこうせざるを得ないということは納得できます。

仕方がないでしょう。

医師に見放された人は、どんなに苦しくても放置されるのでしょうか。

モルヒネなどで自殺幇助をしてはいけないでしょうか。

おそらく、そのような余裕もないことはたくさんあるでしょう。

 

人間はいつでも最高の医療を受けられるとはかぎらないのです。

そういう考えは甘いのでしょう。

戦争は禁じられるべきですが、天災はいつやってくるかわかりません。

平和な世の中でもいのちの選別はおこなわれる可能性があります。

 

☆感想☆

以前ある本で「トリアージ」という言葉を知ったとき、最初は重傷の人が優先だと思っていました。

そうではなく、命が助かりそうな人を優先するという事実は結構ショックでした。

仕方がないことかもしれませんが、

重傷で意識があったとしたら、それは耐え難い苦痛なのではないか?

柳澤さんがいうように、モルヒネなどで自殺幇助できたら..と思ってしまいますが

今の日本の法律では、そんなことできませんよね..

 

今後日本に大きな自然災害が起きたとして、そういう状況になったら

いのちの選別がおこなわれるってことなのか?

なんともやるせない気持ちになりますね...

 

また、柳澤さんは、こうも言っています。

(本文より)

技術の進歩にともなって、「いのちを感じる」能力も失われてきているような気がします。

いのちを感じるということは、大脳辺縁系の仕事かもしれません。

 

私たちは、大脳新皮質があまりにも大きくなってしまったために、論理に特別な価値を与えています。

理路整然と説明できないことには意味がないと思いがちです。

 

けれどもすでに考えてきたように、論理からはずれた直感、

本能などの価値をもう1度見直す必要もあると思います。

(本文終わり)

 

☆感想☆

個人的には直感や本能を大切にして生きています。

技術の進歩は素晴らしいけれど、なんでも論破するような世の中はどこか息苦しく感じます。

だいぶ暖かくなってきて、現在は梅の花が見頃です。

自然に目を向けるといろいろないのちに出会えます。

花の匂いや鳥の声を聞いていると心が落ち着きます。

頭でっかちにならず、もう少し自然と触れ合う時間を持ってみるのもいいかも♪