宮古島には戦争の慰霊碑がいくつかある。
沖縄本島のように地上戦はなかったので戦闘で
犠牲になった人はほとんどいなかった。
マラリアや病気で亡くなった人の方が多かったと聞いている。
ただ一つ、市街地から少し離れた丘に特攻隊の慰霊碑がある。
宮古島の空港を飛び立った最後の特攻隊がいた。
昭和20年7月28日朝、台湾の基地を飛び立った
龍虎隊8機は石垣島で給油し宮古島に降り立った。
宮古島到着後夜11時再び雲一つない月明かりの中、
沖縄近海に群がる米連合艦隊にむけて飛び立った。
離陸直前8機のうちの一機がパンクして飛ばなかった。
2機はエンジン不調で戻ってきた。
実はこの特攻に使用されたのは通称赤トンボと
呼ばれる練習用の複用機だった。
最大積載量60キロの練習機に250キロの爆弾を搭載しての
出撃であったので離陸するだけでも大変なことだったそうだ。
当時のゼロ戦のスピードは550キロに対して爆弾を
搭載した赤トンボは130キロのスピードしか出なかった。
この赤トンボの特攻機は最新式のレーダーを備えた
駆逐艦キャラハンその他3隻の艦艇を撃沈、
大破の戦果をあげている。
駆逐艦が敵機と気づいたのは20キロ先で
激突まで10分の距離。
海面スレスレに飛行して木と布張りの機体は弾が
貫通して撃墜されず体当たりしている。
これが特攻における最後の戦果であったそうだ。
碑には「背を丸め深く倒せし操縦桿」
と記されている。