goo blog サービス終了のお知らせ 

哲学日記

ブッダ一代の説法を一言に要約すれば

 ブッダ一代の説法を一言に要約すれば、
それは
 
不放逸

 

不放逸は、日々の仕事を一所懸命真面目にやるとかいう意味ではない。
それでは、ピントのずれが酷すぎて全く別物になってしまう。

 

不放逸とは、
 
今ここ に気づく
 
ことだ。

 

それが sati であり、
 

 

 
 
 
 

イメージ 1

 ブッダの遺言は

怠ることなく精進せよ不放逸

だった。


ブッダは常々

 

不放逸は不死の境地である。
放逸の人は死人に等しい

 

と説いた。


これによって、

ブッダの「怠るな」が、とにかく何でもまじめに精一杯がんばれ、といったあやふやな指示ではないとわかるだろう。

何事もさぼらず真剣にやるという普通のことが、不死の境地とはいえないからだ。

たとえ血を吐くほど死に物狂いに仕事をしても、そこに不断のサティがあれば不放逸となるが、サティがないときはただの煩悩でしかない。

 

ブッダ入滅に立ち会った当時の弟子たちは皆、それをはっきり知っていたはずだ。

 

ブッダの遺言「怠るな」は、
 sati を怠るな
という意味だ。
「今ここ(瞬間の現在)」に気づき続けよ
という端的な指示だ。

 

「不放逸」についてスマナサーラ長老の明解な説法があります。…ブッダ独自の用語「不放逸」は、日々の仕事を一生懸命やる事ではない。不断のサティのことだと。マーヤーデーヴィー精舎関西定例瞑想会「Q不放逸ということば」 (左のリンクをクリック。15分ほどの説法が聴けます)

 

 
より引用させていただきました。
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 (My Favorite Songs)   
 ザ・マッコイズ。
「フィーバー」
もう1曲。
「Hang On Sloopy」
 
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る