哲学日記

ヒルティの言葉。自他力?

 
キリスト者ヒルティの言葉を引用させて頂きます。
引用文中の強調は私です。青文字がヒルティ引用文、黒文字は私の意見です。
 
だれでも、その生まれつきの気質をすっかり変えてしまうことなど、出来るものではない。
むしろその特質をそのまま純化することの方が、はるかに容易である。
(幸福論第二部「人間知について」草間平作・大和邦太郎訳)
 
そのためには、まずありのままの自分を深く信じていなければならないとおもう。
ブッダは「自灯明」と示し、臨済禅師は「病は不自信の処に在り」と断じて、自分を信じることの重要性を説いた。

生まれつきの気質をすっかり変えてしまうことなど、出来るものではない。
 
人は誰でも、他人に知られたら恥ずかしいことを隠れて思ったりしたりしてる。
大部分の道徳的たろうとする人々は、その恥ずべき自分の思いや行い全体を粗雑に圧殺しようとするが、それはできるものじゃない。
その結果は、信じられない自分を自他に隠す偽君子に成り下がり、一生の辛苦がむだ骨折りになる。
他人は騙せても自分は騙せない。
ダメな陰の自分を自分だけはごまかしようもなくよく知ってるからだ。
それゆえ自分を信じることができない。
自分を信じない者の人生は必ず失敗に終わる。
 
真の自信が持てなければ、自分の特質をそのまま純化せよというヒルティの有益な助言も実行できない。
大抵の人が実行困難にちがいないこの方法を、ヒルティはきわめて容易だと教えてる。論理の混乱ではなく、ここは
易往而無人(大無量寿経にある言葉。弥陀仏を信じるだけで、だれでもた易く往生するのに、そのように信じて往生した者がほとんどいない)
 
の消息に通じる話になってる
 
普通無理な丸ごとの自分を心底信じきるという「神速の一手」を使えるのは、自分の生まれつきの気質を変えようとせず、その特質をそのまま純化する(できる)人に限る。
はっきり言うと、生まれつき下意識で自分を深く信じている人間だけが、「神速の一手」を使って覚醒した自信に帰着できるということだとおもう。
つまり、人間は、自分を深く信じて生まれてくる人間とそうでない人間の2種類しかいないともいえる。
そして、自分がどっちの人間か確かめたいなら、実際に特質をそのまま純化するを本気でやってみるしかない。ややこしいことに、この確かめる行為が最終結果に影響する可能性も排除できない。
 
 
 
 
人生にはどうでもいい事柄が実に限りなくあるものだが、そうしたことではつねに他人の意志に従うべきである。
そうすれば楽に人生が送れるし、よい友達も造作なく出来る。

(同)


悪に出会ったら、それを赦すよりも忘れる方がはるかにまさっている。
赦すのは、まだ幾らか苦々しいあと味が残り、また「下らぬ」侮辱者を超然と見下ろそうとする一種の傲慢がつきまといやすい。

(同)


よい企ては常に即座に実行しなければならない。
すぐに実行できないような企ては、決して重要なものとは認められない。

(「人生の段階」より)


※ヒルティ 【Carl Hilty】
(1833-1909) スイスの法学者・哲学者。
プロテスタントの立場から倫理的著作を残す。
著「幸福論」「眠られぬ夜のために」など。
〔大辞林〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(My Favorite Songs)
Part Time Lover - Stevie Wonder【和訳】
 
(過去記事編集再録)
 
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