哲学日記

神仏と大衆の間で玉虫色になる専門家たち

 以前テレビで、仏教や神道やキリスト教に関する国民の疑問に、僧侶や神主や牧師が答える番組を見た。

 

 

 

 確固たる神仏の教えが一方にある。

他方、大衆には、神仏の教えがこうあってほしい、のみならず、こうでなければ容認しないという頑固な意向がある。

 

 国民の税金や信者の援助によって維持されている寺や神社や教会の経営責任者スタンスの一面を持つ者達が、この間に挟まれて、苦し紛れに発明した、国民大衆の意向を全面的に是認しながらも、神仏開祖の教えにも反しないふう玉虫色の伝統的折衷案のかずかずが、番組の中で披露されていく。
その注意深く巧みになされた賢い解釈と説明の百花斉放を聞いて、これは皮肉で言うのじゃなく、心底感心した。

しかし、この種の賢さはいくら極めても、肝腎の悟りや救いの為に何の貢献もしないのが事実だとおもう。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(My Favorite Songs)  
ビー・ジーズ/マサチューセッツ
 
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