カテゴリー「同期の近況」の中にこの記事「各位の情報発信」を作りました。
管理者以外の方はこの記事のコメントで各位の情報を発信してください。
管理者が一つの記事として掲載することもあります。
ここのコメントで すきかってに情報をあげてください。 2013.05.19 管理者
ここにあがったコメント(各位の近況)は2年たったら削除することとします。 2017.10.25 管理者
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ここにあがったコメント(各位の近況)は2年たったら削除することとします。 2017.10.25 管理者
私は2016年1月25日のデビュー以来、10年目に突入した現在も、つたない写真を取り入れて楽しく綴り、友人達の貴重なコメントを頂いて、生活の一部になっています。
一年前に綴ったのもが、毎回アウトルックに入ってきて、懐かしくもあり、頑張っていた自分を発見し、また頑張る糧にもなっています。友人達への生存確認にもなりますね。
何しろ、無料で利用させてもらっているのがありがたいことです。こんな時が来るとは思っていませんでした。これもトランプ・ショックですかね。
さて、これからどうするかです。有料ブログは面倒ですし、新しいシステム取得して使いこなせるかなども不安です。これが後期高齢者ですかね。
この際やめてしまおうか?いつかは命尽きて載せなくなるときがきます。その時の記事の削除は?
今朝、草創期の記事を読み返して、感慨に浸りましたけれど・・・。
goo blogご利用の皆様はいかがでしょうか。
ステージ中央に君臨するのは、高橋真梨子さん。K20より一つ年上のお姉さま。時の流れに身をまかせ、GLORIA, フレンズなどお馴染みの曲をアップテンポにジャジーにアレンジして歌い切った。
「立ちっぱなしで疲れない」「綺麗と言われるより可愛いと言われたほうが嬉しい」圧倒的な歌唱力とは裏腹のたどたどしいお喋りが観客を一層魅了する。フィナーレのランナーはご夫婦で来られた方々への讃歌かもしれない。
終了後のロビーは、興奮冷めやらぬ状況がいつまでもいつまでも続いた。
7時9分発の通勤快速に乗り、職場に向かう日常が再び始動した。毎年いただく某社の手帳の1頁目に年始めの思いを記す。若き時は、「飛躍」「向上心」「国際社会で通用する」などなど血気盛んな言葉を記していたが、今年は「感謝」と書いた。
妻への感謝、良き同窓生に恵まれた感謝、健康体に生んでくれた両親への感謝、総勢14人の家族で新年を祝うことができた感謝、様々な思いが交錯する。
本日の予定は、午後から年始回り、そのままネオン街へ、明日の予定は、ANAインタコンチで賀詞交歓会、いつもの居酒屋で鯖の塩焼き定食のランチ、その後新年会、・・・まさに日常の再始動である。
本年も宜しくお願いします。
>希望ヶ丘のピッコロでランチ... への返信
家族でランチしに行ったのですか。 よく思いついたね? あれっ沼田君初めてだっけ? いやいや以前にピッコロごいっしょした記憶あるけど。
料金は手ごろだよな。 僕が言うことじゃないけど、また使ってください。
近々 今年のお礼を伝えるのとあそこで買えるカレンダーを求めて伺うことにしてます。オーナーから君の話がきけるでしょう。
昨日12/17に家内と弟夫妻の4人で行きました。
予約時に牟田さん竹下さんの仲間です、と伝えておきました。
ママさん大いに喜んで、帰り際に"また(同期の)皆さんでいらしてください"とおしゃっていました。
ランチは地中海手作りコース料理、デザートまで含めてボリュームたっぷりで美味しい。
ワインボトルとグラスワインを追加し、ビール1本含めて一人3000円、お手頃でした。
僕も毎週見てますが、トレンディードラマとしてだな。読んでみるのもいいかな とは思うが、そこまで。
脚本家 大石静さんって「頭いいな」と感心してるのと、こんなおばちゃんだったんだと改めて。
知ってる事かとも思いますが、今君が読み始めた「アーサー-ウェイリーよる“The Tale of Genji”」 先月の「100分で名著」が取り上げてました。これを拝聴しましたが、このイギリス人は天才ですね。日本人が読み切れない古文をここまで解釈して、日本語に再翻訳して、ここまで解り易い、平安文化を見て来たような翻訳 ただただ感心させられました。
75の手習い どうか読破されますように。
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/blog/bl/p8kQkA4Pow/bp/p39a07jd23/
NHK+のどこかに第4回目の見逃し再放送があると思いますが。
神高の古文の授業で源氏物語がとりあげられたが、そもそも興味を持たなかったことと、和文の難解さに桐壺の書き出しだけで白旗を揚げた記憶が蘇る。毎週繰り広げられる平安絵巻に俄然興味が湧いてきたが、果たして、再びあの難解な和文に再び向き合うことができるだろうか。
英国人翻訳家アーサー-ウェイリーよる“The Tale of Genji”。この翻訳書が1935年に発行されたことで、源氏物語が世界最古の長編物語として世界に知られるようになった。英国人があの難解な、あの長編の和文を読み解き、英国人が理解できるように翻訳した驚愕の書である。
衝動買いの悪い癖が頭をもたげ、我が家に”The Tale of Genji”が届いた。1帖の桐壺から54帖の夢浮橋までびっしり1200頁に収まっている。厚切りステーキ3枚の分厚さである。
難解な和文が英国の文化に馴染んだ言葉に置き換えられ、また、主語が明示されていることによって、神高の吉村先生の授業よりはるかに解りやすい。ただ、いわゆる逐次訳ではなく、原文の意図するところを丁寧に補いながら翻訳されているので、関係代名詞が幾重にも重なり、何度も振り返りながら読み進めている。はてさて、ゴールまでたどり着くことができるであろうか
https://blog.goo.ne.jp/machapi-blog/e/96dcba7ee2b86a56d3fa1b962e04f890
しかし、私はこの猛暑で日本橋の「大江戸」まで出かける元気がありません。せいぜい横浜高島屋5階の「野田岩」です。
久しぶりの臨場感あるグルメリポートを拝見して、鰻重をいただいた気分ですが、そうだ、冷凍庫に眠っている「宮川」の高島屋通販の鰻を温めて、柳川風卵とじでも作りましょう。
9月に入り、季節外れの夕涼みを楽しむべく、日本橋の鰻店Oに向かう。新日本橋駅から徒歩3分、創業200年の老舗である。打ち水をされた玄関は夕涼みに相応しい。仲居さんのからころからころという下駄の音が日本橋ならではの雰囲気を醸し出す。
吉永小百合さんご推奨のビールで喉を潤し、お相手の来店をお待ちしていると、ほどなくお見えになった。いまなおOBとお付き合いいただいている現役諸氏に感謝である。前もってお願いしていた肝焼きに加え、銀杏、畳いわし、うざく、鰹のお造りとともに焼津の銘酒磯自慢を重ね、四方山話が佳境に入っていく。
そろそろお重にしようかとの以心伝心の頃合いで、霜月のご飯少な目と赤だしをお願いする。蒸し加減、焼き加減、香ばしい香り、お見事。岸朝子さんをして「おいしゅうございます。」と言わしめた味を堪能した。
お着物の女将からご機嫌ですねと言われ、次回は新酒の頃にと答弁をしてしまった。夕涼みの時間はとうに過ぎ、三越まで酔い覚ましのお散歩と相成った。ごちそうさまでした。
宜しく、御願い致します。
岐阜の実家に、お盆の帰り、お墓参りをしてきました。クーラーがなく、暑い・暑い・・・
LE GOLF NATIONAL。バリ近郊に、かくも広大なスコットランドを彷彿させる平地があることに驚く。馬の背のフェアウェイ、谷底の深いラフ、アイランドグリーンなどなど、選手が舌を巻く難コースである事が伺える。
嘗て、ELECTRICITE DE FRANCEへ出張した際に、フランスでは、お父さんが一人楽しむゴルフは人気が無く、サイクリングのように家族で楽しむスポーツが盛んと伺ったが、時代が変わったのであろうか。いずれにせよ、松山選手の快挙に拍手を送りたい。
追記:セリーヌ・ディオンのCDをアマゾンに注文したが、待てど暮らせど入荷のお便りが無い。世界中の俄かファンが衝動買いをしたのであろうか。
昨日座間のハーモニーホールで母校の合唱祭に出っくわしました。覗き見ることは出来ませんでした。
代わりに母校生を観察し、いろいろ考えましたね。
そこんとこを自分のBLOGに書いたので紹介します。お暇な方どうぞ。
https://blog.goo.ne.jp/machapi-blog/e/3431184e782231013df97e4fa0af7df3
コロナ前から強い要望があったものの、旅行会社によると、コロナが蔓延以来、寄港地のOKがなかなか出ず、今回やっと開催に漕ぎつけられたそうです。
彼女とは同じセクションで勤務したことも有り、校歌際にも何回か客席応援で来てくれました。座間のオペラ鑑賞も毎回一緒でした。
現役時代に御夫君が他界されてからは両方の母御さんと一緒に住み、お二方を見送られて、お子様達は家庭を持ち、お孫様達にも恵まれています。
秘境を旅するのも趣味で、今回もその延長でしょうが、いかに、気楽な身分とは言え、一人参加で3ヶ月も日本を離れることへの英断と、バイタリティーには感心するばかりです。
ともあれ、明日、私の近所のレストランで、役所仲間、音楽仲間、ダンス仲間の仲良し4人組みでランチ会を開きます。シェフに予約の時に頼んでおきました。彼女のデザートのお皿にチョコレートでメッセージを書いてもらいます。「Bon Boyage」と。
私も暑さにくすぶっていないで、私なりの「一夏の経験」を捜しましょう。
13時30分の開演から途中15分の休憩がありましたが(このときドレスのお召し替えをされていた)、また、終演後ののホワイエでのご挨拶も含めると16時過ぎまでずう~っと立ち通しの若さには、彼女の奏でるストラディバリウスなみの美しい音色以上に感激しました。驚きでした。
コロナ禍で出不足と運動不足による足腰の衰えを感じているばかりの私は、「これではいかん!」と喝を入れられました。
今回のコンサートのご縁とは、私の妹の同級生が、昔そのバイオリニストさんのお子様のベビーシッターを務めていたご縁から始ったものです。
4月にはヴィニヤフスキのバイオリンコンチェルト第2番を演奏されます。演奏もさることながら、ドレスのスパンコールとかビーズもご自身で装飾なさるそうなの、そちらもまた楽しみです。
番組では、女性エンジニアが開発から商品化に到るハードルを一つ一つ粘り強くクリアしていく姿が克明に描かれている。物作りの醍醐味を思い起こす。
これからは、工学を医療、あるいは健康に応用していく時代であり、従来にない発想が求められる。大学も領域を超えた統合が進んでいる。つい最近まで隠れ家談義をしていた自分に喝をいれたい。
桜エビは、なんと言っても静岡産が一番。亡き母が桜エビのかき揚げをよく作ってくれていました。その頃は安いおかずでしたが、今は静岡産の桜エビは高く、安いなと思った品は外国産です。誤って買わないようにしています。
銀座へは、いつも新橋から歩いていたので、8丁目や7丁目界隈は懐かしいです。最近は寄る年波で、歌舞伎座へも初乗り料金のタクシー利用で、銀座を歩かなく、いやさ歩けなくなりました。その分寂しいです。
以前、神田の町についてのコメントを拝見し、またまた懐かしかったです。私は仕事のかたわら夜間の横浜洋裁学校に約4年間通っていまして、須田町だったか鍛冶町だったか定かではなくなりましたが(これも寄る年波の仕業)、布地の問屋街をよく歩きました。
あの時私は若かった、と思い起こすことも、増田さんのコメントのお陰でしょうね。
大いに楽しみにしております。
「あらおめずらしい。」「待っている人が大勢いるからね。」挨拶を交わし、いつものように静岡出身の板さんの前に陣取る。蕗の薹の天ぷら、焼き蛤、黒はんぺんのカツレツ。そして、磯自慢。洞爺湖サミットの折に、世界にその名を轟かせた焼津の銘酒である。美味い。
「今年の桜えびはどうかな。」「期待しましょう。」「大半はかっぱえびせんになっちゃうんだろ」「そんなことないですよ。」「軍艦巻きは富山の白えびより由比の桜えびのほうが美味いと思うな。」「あらあら、また静岡の自慢話」磯自慢のおかわりを手に女将が加わる。「この間、河口湖から見た富士山が一番美しいとお客様が仰っていたわ。」「その吾人には、富士山は三保の松原とセットで世界遺産に登録されたと教えてあげて。」「まあまあ、山梨の方とも仲良くしてくださいな。」
この女将が場所を変えるとお着物のダンシングクィーンに豹変するという驚愕の事実は、ごくごく少数のお馴染みさんしか知らない。若き日の武勇伝である。
春の息吹がビアニシモからメゾピアノに変わり、隠れ家を飛び出す季節も近い。私的な戯れでK20の品位を損ねてしまったのではないかと、猛省しきりである。
淡路町の交差点を一歩入った路地。飴色の灯りが気持ちを急かせる。赤ちょうちんには「どぜう」の文字が浮かぶ。縄のれんをくぐると満席御礼。早くも出来上がった皆さんが熱弁を奮っている。
お相手は、国の委託事業で意気投合した某シンクタンクの強者。我が息子と同年代だが、隠れ家を共有できていることが嬉しい。もちろん、野暮な仕事の話などはしない。
味自慢の「丸」が運ばれてきた。どじょうを丸ごと似たもので、牛蒡と玉子が加わる。駒形では丸とと柳川を明確に分けているが、ここは、その合わせ技で、ほろ苦さ、甘しょっばさが、熱燗を重ねさせる。
隣のテーブルは、お嬢様方お二人が、なんと、クサヤでちびちびお楽しみ中。「お強いですね」、「召し上がりますか」との笑顔にもちろんにNOという返事はない。「白金や西麻布がお似合いなのに何故神田へ」、「そういう所はご馳走になる時だけ」とテンポ良く会話が進む。こうして老舗の居酒屋は、時を重ねていく。
帰りは小川町から神保町へ、そして、後は都営三田線で希望が丘まで一直線。K20諸氏と鉢合わせになる日が遠くないかもしれない。
特に,マロンシャンテリーは懐かしかったです。
今回はお雑煮とお汁粉、それでは私もです。
新宿三丁目の追分団子本舗、売り場の奥がカフェスペースで、寒い冬の日は,私はお雑煮、両刀使いのおっととさんはお汁粉です。鰻の寝床のような店舗、隠れ家になるかな。
お赤飯の朝食や和菓子のメニューもあるが、お目当ての白味噌のお雑煮が次から次へと運ばれてくる。椀のふたを開けるとお出汁のいい香りとともに、白味噌のまったりした感覚が目に飛び込んでくる。一口箸をつけると口いっぱいに気だるさが広がる。八頭や煮たお餅が、まったり感をさらに増長していく。74年の人生で初めて味わう感覚だ。
食べ終わった後、関東人のさがで口直しのお汁粉を注文してしまった。お汁粉もつぶあん、こしあん、白あんが選べ、もちろん、つぶあんに焼き餅を選択し、いつもの味覚に戻した。
興奮冷めやらぬ胃袋をクールダウンするため、プリンス通りを散策し、残された洋館でお茶をして帰路についた。東京メトロ永田町から海老名行の急行に乗り、直通のご帰還。
ご関心のある方は、一年後にご賞味ください。
ビーボとスケル
「なかよしツバメ
ふくしまをとぶ」
絵本原画展 作 牟田茂男
会場 カフェ・ピッコロ(希望が丘)
期間 1月24日〜3月23日
(日、月曜休み、1月27日休み)
(水曜午後は歌の会と同時開催。参加自由。)
拙い作品ですが観て頂ければ幸いです。
ーこの絵本を東日本大震災の全ての犠牲者に、そして、原発事故でで故郷を奪われた人々、そして、汚された全ての自然に捧げます。ー
(展示パネルより)
カフェ・ピッコロは、希望が丘駅前の高校通りの一つ左のバス通りの坂を40m程上がったローゼンの向かいの路地坂を、100m程上がった右側にあります。坂の途中の小さなカフェです。
正直 まだそんな場所を持ってて、通ってるんだとびっくり。わざわざ新宿まで。
いやいや、そういう方には相鉄の都心乗り入れは大歓迎だったね。
ぼくはそんな大人の(?) こっそり隠れ家はないな。これを機に他も聞かせて貰いたいものだ。
今宵の居場所は、焼き鳥T。白木のカウンターに18席が並ぶ。炭のかおりがこおばしく、心地よい。3人の予約だが、カウンターの角を用意してくれて、お顔を見ながら談笑ができる粋な計らいである。
お任せでお願いすると、ぎんなん、アスバラ、厚揚げ、砂肝、山芋、つくね・・・年寄り向きのネタが続く。熱燗が五臓六腑に駆け巡り、実に心地よい。締めのきじ丼までは行きつかず、お開きとなった。
帰りは、新宿三丁目から希望ヶ丘まで直通でのご帰還。便利になったものである。
皆さんの隠れ家もご紹介ください。
飲み会のようなランチ会と違って、女性も参加しやすいと思います。会報をさらに賑々しく盛り上げましょう。
いろいろ知っているけれど、まず入学早々、生徒会の活動、次に演劇、「黒い太陽」のばあさん役を10代半ばにして素晴らしい演技。マラソンの脚も凄くて、遅れがちな私に伴走してくれて「ハイ、呼吸を整えて」などと励ましてくれました。
会報を見て、今朝電話したらお元気な声が弾んでいるのを聞けてうれしかったです。
神高の女性って、個性的な女性が多くて面白いです。
第77回桜蔭会囲碁会の記事でびっくり。「(高20 冨坂真弓)」と署名があるじゃないですか。
僕はあまり存じあげてないのですが、小坂井真弓さんですね。わざわざ長野から出て来られての参加だったよう。
どういう意味だかですが、「特別賞」を頂いた由。 同期の女性が囲碁を楽しんでるなんて 驚いて読みました。
翻って、今の現役生は、希望ヶ丘高校の生徒であることを知らしめる術がない。同じ希望ヶ丘に居を置く私学のH高校生は一目で判り、おそらくかつての我々と同じように地域の皆さんとの日常的な交流があるものと推察する。
希望ヶ丘高校と我々住民との接点は、記念祭での花火しかないように思う。どんな活躍をしているのか、神奈川県でどんなポジショニングにあるのか、ほとんど知りえていない。
希望ヶ丘高校が希望ヶ丘高校であるが故のアイデンティティを持ち、地域に愛される母校であってほしい。
「鎌倉峰本」のお勧めは「天ぷら御膳そば一口」1400円です。白米のご飯も美味しいし,マグロの刺身、大根のサラダ、茶碗蒸しが付いているのがうれしいです。
そこで、コンサートのアフターやビフォーにお勧めのお店を紹介します。なにせ、戸塚は二俣川と並んで第2の地元です。緑園都市から神奈川中央交通バス戸塚行きは敬老パス使用で只です。湘南台から地下鉄でも戸塚まで敬老パスで只です。
さて、ランチは戸塚区役所3階の「102カフェ」ワンオーツーカフェと呼びます。トツカフェと呼ぶ人もいます。エレベーターを上がれば4階はもう,さくらプラザホールです。イタリアン系でリーズナブルです。店内は開放的で,窓から東海道線のホームが見えます。時々ランチ会や女子会で昼も夜も貸し切り日があるので、それが要注意でもあります。
次に、美味しいケーキ屋さん「カナール」パン屋さん「リトルマーメイド」両方ともイートインで,区役所棟からスカイウェイを渡ったトツカーナモールの地下1階にあります。「カナール」はランチメニューもあります。
日本そばでしたら、東口のビル地下1階の「鎌倉峰本」その隣のうなぎ屋さんも美味しいです。
それではコンサートばかりでなく、「戸塚」も楽しんでください。
いつもケーブルテレビで放映されます。
どなた様か、日時の情報をお持ちの方はお知らせ願います。
会場では、平野さん、長谷川さんに会い、挨拶をしました。そして、壇上では、吉田さんが校歌を歌っておられました。校歌は、新旧の2つが歌われましたが、やはり、我々の頃の旧校歌を懐かしく聞かせて頂きました。
11時20分会場です。希望が丘は12時48分に歌い出す予定です。お時間がある方は聞きに来て下さい。
市民大会ラグビー決勝戦(高校の部)
希望ヶ丘高(勝)対桐蔭高 得点は 9対3 です。
(2回戦・常盤公園G)対横浜商工 21:3 勝、
(3回戦・神奈川工高G)対神奈川工高 6:6抽選勝、
(準決勝・神奈川工高G)対南高 14:5 勝、
(決勝・三ツ沢G・1967/5/28)対桐蔭高 9:勝、
◎市民大会に優勝したので、翌月曜の全校朝礼時、部員全員が呼ばれてスロープに上ったのを思い出しました。
当時の3年は、
FW:馬場(CP),籏野、長谷川、荒井、
BK:濱中、平木、松岡、勝谷 の計8名。
初めての芝生のG(三ッ沢)で桐蔭高を破って優勝したのは忘れられない思い出です。
の方の参加もあり、まあまあ盛会でした。我々(K20)より上の代はK4/1名、K13/3名の計4名。K40代
はいませんでしたが、K25-K30-K50-K60代迄、結構バランス良く参加してました。自分が高齢者だと、再認識しました。
四季を持つ日本人の語り継がれた知識に感動する。そしてもっと深堀してみたくなったが、残念ながららんまんの牧野先生のように植物に造詣が深くなく、安易な代案を思いついてしまった。
花暦、ならぬ腹暦である。天空の茶園で新茶をいただきたくなったら夏野菜のタネ蒔き、東京会館にマロンシャンテが並んだら白菜の植え付け、天せいろが大海老からキノコ尽くしに変わったらだいこんのタネ蒔き、たいめいけんに牡蠣フライが登場したら寒冷紗の設営・・・これならできそうな気がしてきた。
冷凍ものを使えば人為的に制御できるなどという野暮な理系の思考回路は封印して、想像を膨らましている。
私にとって西谷駅は通勤電車の通過駅であったが、今は必ず止まる駅として変貌を遂げている。
その停車中の車窓から見える小料理屋〇〇〇がいつの日か気になる存在になっていった。路地の角にぽつんと佇み、白い清潔な暖簾、薄明りの行灯が何とも呑んべいを魅了する。○○〇は女将の名前の配したものであろうか。相棒の花の里の鈴木杏樹さんのような女将であろうか。3分間の停車時間で想像を巡らす。
そして、アドマチのカメラは余計なことをする。K20諸氏の10年後の同期会の風景が映し出される。カウンターの中心にいるのは鈴木杏樹さんのお母さんであった。
ご関心のある方は是非是非ご来店を。
2回以降は、0点に抑えましたが、魔の1回に10点を取られ、惨敗でした。暑さが、響いたのかな???
選手は、頑張っていたと思いますよ!ご苦労さんでした。
鎌倉学園の「K」、横浜商業の「Y」、いわゆる古豪のユニフォームを見るたびに、当時の我が母校の「J」のユニフォームを思い起こす。前身の神奈川一中から名を取り「神高」として親しまれた「J」である。田中投手、加藤捕手、上原遊撃手の雄姿が目に浮かぶ。また、当時はY高戦という定期戦があって、横浜商業と互角に戦うほどであった。
OB会は心の中の母校を共有する集いである。ユニフォームも異なり、校歌も異なる現役選手を応援するのも進化する伝統校としての宿命ではないか。新しい指導者、新しい指導方法、そして、それに呼応する選手のひたむきさに「今日の熱盛」を期待したい。
ちなみに、私は孫が通う慶應義塾高校の熱烈なファンの一人である。個別の事情はお許しいただきたい。フレ、フレ、神高!!
川越在住の妹の友人が、色々と贈り物をしてくれます。妹が、そのお礼を兼ねて、ついでに鰻を食べに行きたいと。鰻の名店が3軒ぐらいあるそうです。
そうでした、以前にランチ会を緑園のコミセンパーティルームで開催したときに、多大なご寄付をくださった朝日大僧正の時宗のお寺にもお礼参りしたいです。
便利になった相鉄線の恩恵に浴した実感は、5月に亡き母の分骨で、東本願寺の大谷祖廟への京都の旅でした。緑園の駅から乗り換え無しの直通で新横浜駅まで座って行けたこと、帰りも同様で、新横浜駅の近さには感激しました。これで京都も近い!
遠い彼方のレストランや、料亭に思いを馳せるのも楽しいものです。
でも先日、変わった相鉄線を利用して川越に行って来ました。二俣川で特急の和光行に乗り、ひたすら通勤電車の横長の座席に座り続けて東京を横断。和光で隣に止まっていた電車に乗換川越まで。帰りは川越から元町中華街行に乗り、武蔵小杉で海老名行に乗換て三ツ境まで。
埼玉まで2時間かからず。ずっと座れましたが、横長の座席に座り続けるのもつかれますね。
首都圏の鉄道がどんどん相互乗り入れで発展進化していくなかで、横浜-海老名間運転を死守してるかに見てましたが・・・。
大和駅で次列車を待つ時、「次はどこ行きが来るんだ?」と自分にクイズをだせる程。それと、「この列車はどこの地下を走るのかな」の興味も尽きません。
首都圏の電車網は世界一じゃないですかね。外人さんの立場になると、便利な反面、痛い失敗をした観光客も多いと推測してます。語学下手な自分が外国でこんな鉄道網に出逢ったら、乗れないね。
ところで、便利になったからと言って、遠いかなたの呑み屋に想いを馳せる年齢でもないのかと・・・。 ほどほどがよろしいかと。
相鉄とJR、東急との相互乗り入れは呑んべえにとっては本当に便利。日本橋の大江戸、大手町の寿司屋の勘八、淡路町のみますや、新宿のどぶ板横丁、渋谷のレインボーカラオケ、如何に酩酊していても、最寄りの駅から一気に希望ヶ丘にご帰還。千鳥足で横浜駅の雑踏をふらふらしていた時代は過去の遺物。
K20の面々が母校に足を運ぶのに便利になればいいなと思う。