私のブログをご訪問くださる皆様、ありがとうございます
ずっとここから離れてしまい、本当にお久しぶりです。
わんこブログを始めて、幸せな繋がりを持てましたが
同じ様な日常を綴る時間を無意味に思え
違うことに興味が行ってしまい今日に至りましたが
今日は、ミルクが旅立ってしまったことを
残しに来ました。
何から書いたらいいのか、思考も鈍く
分かりづらい文になると思いますが
思いつくまま、書きたいと思いますので
お付き合い頂けたら幸いです。
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ミルクは先月の4月24日に帰らぬわんこになりました。
この日から数日前まで、食欲が無い、首を傾げる・・以前にも首を傾げ、その時は
鍼に通い、余計に辛そうになったこともあり
自然に治るかな・
また、2018年の夏頃に、酷く辛そうに息切れし、お散歩が
出来ないような状態に陥り、病院で診察したら
『肝臓の数値が悪く、エコー検査で腫瘍が・・』
先生が言うには、おそらく悪性・
手術を施すことは止め、夫婦で話し合い
このまま、天命を全うさせようと決めました
この件もあり、肝臓の悪いものが進行したのかな・・
だとしたら、仕方ないのかな・と思う程度の認識でしたが
痒みで定期的にお薬を頂いてたけど、特別に変わった様子もないので
血液検査はしていませんでした。
それが、みるみる間に・まるで別のわんこのように
元気が無くなり、肝臓が悪いとしても、楽に過ごせるお薬があればと
思い受診したところ
腎臓不全との診断でした。
旅立つ丁度一週間前、4月17日。それまで全然分かってあげられない
バカ親、飼い主でした。
(スマホの画像、3月29日、おやつを開封の笑顔、気付けなくて・)
その時の検査結果は、腎臓の数値以外に悪い所は全くなくて
あの以前の肝臓は?と思いました。
(この頃既に、笑顔になってないのに・・3月25日ケーキを待つ姿)
腎臓の数値が計れないほど悪にぶれてしまってて
でも点滴をして貰い毒素の排出を願いましたが
思うような数値にも表れず、
2日後、『50%の確率で、残りの命を少しでも長く出来る可能性にかけて
入院処置で終日点滴を試るという手段を選びました』
20日、21日と狭い病院のゲージで過ごしました。
が・・2日間経っても、数値は変らず、入院治療は諦めました。
入院中に面会に行くと
(迎えに来てくれたと内心、喜んでいたよね・ごめんね)
嬉しそうに抱っこをせがみ、じっと動かず
この後、後ろ髪を引かれる思いをしながらも、また一日
心細い思いをさせてしまったと今も後悔しています。
(ケーキから笑顔3月25日、結婚記念にケーキが届きました)
帰宅したミルちゃんは、2日間の入院生活において
前足に点滴を繋げた後遺症で、前足がうまく床につけず
曲がってしまい、力が入らないようで
歩くのもやっとの状態でした。
その晩は居間に寝たミルクを、主人が見ると言ってくれて
一緒に添い寝してくれましたが、起きて介添えをすると
隣の寝室で寝てた私も、目が覚めてしまい
私もミルクを挟んで川の字で寝ることに
今となっては、幸せな夜だったと思います。
翌日は、動物の回復力は凄くて
自分で思うように移動も出来る様になり
辛さは幾分、いいように思えました。
なので、夜は自ら寝た居間の所から
大好きなお布団に移動し、その晩居間で寝てたのは
主人だけでした。
お家に来てからのミルクは寝る時はいつも奪い合いでした。
力的に私が上回り、ミルクは私と初めは一緒に寝てくれました。
夜中に目が覚めてふと見ると、主人のお布団に居たりしましたが
ここ数年前までは、冬は腕枕でお布団で寝てくれて
この幸せがずっと続くといいな・と夢のような日々を
私に与えてくれました。
息苦しくなったのか一昨年の冬は、潜ることは無くなってしまい
ひとりでも先に寝てた姿に癒される日々を貰い続けていました。
(いつも愛用してた手編みのセーターを持たせ旅立ちとなりました)
22日、23日と毎日皮下点滴に通い
少しでも、元気になれることを願い
嫌々ながらも、ケンタの時と同様に
少しでも私の手から食べて貰い、長生きできたらいいな・
と過ごしました。
23日夜に、お嫁さんから電話が入り、急なのですが
明日、ミルクが具合悪いと聞いたので、会いに行ってもいいですか・
と・
お嫁さんは、息子と結婚してから
判明したのですが、なんとわんこアレルギーだったので
優しい気遣いに感謝です。
(息子たちが来るのを玄関で待ってる姿が健気)
実は、
受診した翌日の18日、急に息子から電話で、ミルク具合が悪いんだって?と
教えていなかったのですが
ひっそりと主人がしてるSMSで知ったようで、
近くに来たのでこれから寄ると・
間もなく、息子がきて・今生の別れだな・・とつぶやき帰ったので
亡くなった24日に家族で来てくれることになり
思い返すと、ミルクの想いが通じたのかなと思います。
息子が社会人となった年に、迎えたのがミルクでした。
ケンちゃんの代わりが来たよ~と送った写真の返信が・・・こんなすごい顔のわんこを買ったね・
どうみても、ちっとも可愛くないサル期に突入のキツネ顔の泥棒わんこだったものね
仕方ないかな
(ここがミルクのお家? 2009年7月18日)
一緒に暮らしたのはケンちゃんで
ミルクとの関りは夏休み、冬休み期間の少しの間だけ
なのに、ミルちゃんは息子をずっと以前から知ってたよとでも
思うような関係を築きました
帰宅したら、甘えて、ナデナデしてばかり
同類だって思ったのかな・
そして
帰り間際、ミルちゃんが休んでた洗面所から姿を現し
挨拶したのは、息子では無くお嫁さんにでした。
この後間もなく亡くなるとは
思いませんでしたが、今となっては、ミルク精一杯の
思いだったのですね。。 お母さんをよろしくだったのかなと
主人と話しました。
24日は息子たちが帰った後に
病院の診察を受け、点滴することに。
今はコロナ禍で、通う病院も思うように先生に直接
会って診察を受けることもままならず、
看護士さんを通して、駐車場で待機しながらの診察
とても混雑の所なので、先に血液検査の採血をし
一旦、自宅に戻り、病院からの連絡で、再度夕方、診察に行きました。
昨日に比べ、さほど体調も悪くなさそうで
採血をして帰る時は、私の腕から身を乗り出し
窓を開けることを要求し、大好きな風に吹かれドライブ気分
最後になるとは思いもしなかったです。
(ミルクの極上の笑顔、車です)
診察で、今後の診察方針を聞かれ
もう、入院はしません。
なので、毎日通います。
「今日の点滴をしますね・」
お願いしますと、先生に預けたミルちゃんが大きな瞳で
訴えていたことに気づけない私でした
待合室で待ってたら、「ミルクちゃん、まだ意識があります。このまま急いで
大きな声で声かけして、帰って下さい。 もしかしたら間に合わないかも・・」
そんな先生の言葉も、動転して遠くで、聞こえてきたような感じしかなかったです。
ミルクは18時20分頃 帰宅道中
大好きな車の中で、私に抱っこされたまま
帰らぬわんことなりました。
自宅で時計を見たら30分になってました。
お嫁さんと近くの姉と、そして
『ミルちゃん、ミルちゃん』といつも
可愛がってくれたご近所のお友達に連絡しました。
自分のお家のように、勝手に入り込み
そこのわんちゃんのおもちゃを選りすぐり
借りて持ち帰り、遊ぶのが日課のような日。
私が何か手に持ってお届けするのは
そこのお宅なので、玄関を出て一目散に3軒隣のお友達宅に
向かう姿が今も目に浮かびます。
玄関先で庭先のベランダに回る前に、必ず私を後方確認する
事も忘れたことは無かったね。
(火葬前、送るお花を自身で最後のお買い物、楽しかったね)
親ばかですが、ミルクとの思い出は尽きることなく
笑顔をいっぱい頂きました。
とても落ち着きがあるとは思えない
ガチャガチャした子でしたが、
私の想いを汲み取ることは天才的なわんこでした。
こうすれば、私が喜ぶ、笑うことを知ってたのでしょう。
最初の不真面目がトイレレッスン。
ふざけて、ふざけて、真面目にシートにしないのです。
ある時テッシュの箱を投げると、ドキっとした表情で
それからは、トイレで遊ぶことはしなくなり真面目におしっこを
するようになったあの日が昨日のことのようです。
ボール遊びというか、独り占めカジカジ遊びが大好きで
公園で落ちてるテニスボール、野球ボールを見つけては
ほっとくと、何時間でもずっとうずくまってボールをカジカジ。。
見つける臭覚が凄くて、高くて見上げる藤棚に挟まってるボールまでも
見つけたよね。
(ボールもそうだけど、食べるより遊びが大好きだったね)
冬は、雪を食べるのが好きで、駄目~っと叱っても止めず
帰宅したおしっこは、水のような透明の・・大量。
いくら言っても、逃げながら食べるわんこでした。
私があまりお散歩に連れ出さなくなってからは
遊び道具が、お洗濯物に移行して
取り込んだ太陽の匂いいっぱいのお洗濯物に
駆け寄りダイビングー、洗った洗濯物でのグシャグシャ遊びを
ニコニコ顔でしてました。
洗ったのに、汚れるねぇ・楽しかったね。
用意したゲージにはほぼ入らず仕舞い
たまにお昼寝はしてたけど、
夜は、お布団を敷くと、遠くから腹ばいダイビングー
そして、大きなため息ふぅ~ 楽しかったね。
パソコンする私の足に寄りかかり
抱っこをせがみ、この上ない笑顔
思い出すのはミルちゃんの笑顔ばかり
(甘えられては、喜ぶ私を見透かしてたよね)
ミルちゃんが来たときも、旅立った後も
ずっとパートの働き虫のお母さんなのに
滅多に無い、土曜、日曜の連休に分かってたかのように
旅立ちを調整したのかな・
お陰で一緒の時間をいっぱい取れたね
ありがとう。
主人がお休み日は毎日、車で近いのに職場まで一緒に送り迎え
ミルちゃんのお迎えが
嬉しくて、疲れもイヤな事も忘れられたよ。
いつも、いく行く~って喜んだものね。
お買い物も、何処に行くにも、一緒で
夏の暑い日は車中の温度が高くなるのを思案し
お留守番しててと言うと、
わがままひとつ言わずに、黙って見送るいい子だったね。
主人の帰りを夏は玄関の上がり框で
冬は居間のソファの肘かけに足をかけ、背もたれに腹ばいで
来る夜も来る夜も待ち続け、
忠犬ハチ公ならず、ミル公ちゃんには驚いたよ。
お母さんにべったりだと思ってたのに
本心はどうだったのかな。
成長と共に本当に賢くなり、お顔も、泥棒顔の面影も
無くなり、可愛さ満載ミルちゃんに変身しちゃったよね。
人間は歳を重ねると・・だけど
ミルちゃんはなんて可愛くなったのかな・と
思う常日頃を過ごしてたよね。
(カーネーションにカスミソウ・お友達の心なのか一ヶ月近く綺麗なままでした<(_ _)>)
ミルちゃん、お家に来てくれて本当にありがとう。
旅立って、仏教でいう49日まで後少し
この間、12歳のお誕生日を5月14日に終えられ
ひとりで虹の橋でお祝いしたかな・・12歳、おめでとう。
(ここで知り合えた横浜の友達から頂きました。ありがとうございました。)
(ここで知り合えた西多摩郡の友達から頂きました。ありがとうございました。)
(ここで知り合えた宇部の友達に頂きました。主人が昔に書いてた
ブログにご報告と一行載せたら、長い事交流も無くなってたのに、ありがとうございました。)
一度も夢枕に来ないから、お母さんは安心してます。
多分、笑顔を振りまき、ボールを見つけて遊んでいるね・
お母さんが行ったら、ケンちゃん、チュチュ、ももちゃんを
押しのけて、真っ先に抱っこ~ってせがんでね。
内緒だけど、ミルちゃんが一番好きだよ。。と
亡くなる前に言った言葉は
他の子に自慢したらダメだよ。
もっと早くにご報告の記事を載せたかったのですが
こちらのブログもずっと更新せずに
放置して、gooパスワード、IDパスワードも
記憶から去ってしまい遅くなりましたが
ミルちゃんとの
沢山の想い出は、幸せで夢のような時間でした。
ミルちゃんは、沢山の素敵なご縁を絆を繋げてくれました。
感謝しかないです。
そして、一番の感謝は、
今までの幸せを繋げてくれた
最初のケンちゃんに心より感謝してます。
お利口ケンちゃん
ミルちゃんをよろしくね。
そちらで、いっぱい可愛がってね。
まとまりのない、長文になりましたが
最後まで読んで下さった皆様、ありがとうございました。
ミルちゃん
このお手紙、読めたかな・