心のままに

私の体験(江原さん講座)

<スピリチュアル講座に参加して> 2007・11・4


11月4日にご縁があり江原さんの講座へ参加させていただきました。
8回通しの講座で11&12月は質疑応答のコマですが、一回のみの参加でした。
講座内容に関する質疑応答ですが、私はプライベートな質問しか持ち合わせませんので、それを書きました。
500名くらいの参加者で、取り上げられた質問は15くらいだったでしょうか。
正確な数はわかりません。
その中で私の質問も読んでいただきました。

当日はサポーターズクラブの皆さまにお世話になりました。
内容も自分では泣けてきてしまったので書けませんでしたが、
皆さまのお力をお借りしてご報告させていただけるようになりました。

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【質問】
あまり泣かない、泣けない、ということは、感じる心が鈍い、少ないということなんでしょうか?
学びが浅くわかりませんが。
1月に娘を亡くし、上のような状況にあることを、どう捉えてこれから生きていったらいいのでしょうか?

【お答え】
涙が少ないから悲しみが少ないから鈍い、ある意味そうかもしれません。
でも「あまりの悲しみから逃れたいと思う心が、そうさせる」ということがあります。
自己防衛して、心を鈍くし、それ以上傷つかないようにしていること。
でも、一度そうなった部分は、呼び戻さなきゃならない。大いに泣いてしまわないと、積もり積もって、自分自身をより縛り付ける。
悲しみを悲しみと捉える、まだ闘いが続いているから仕方ないけれど。
その闘いが、終わったんだなぁっていう、確信をした時に、ドッと込み上げてくる。
その時には怖いかもしれないけど、どっと涙を流して「乗り越える」ということが大切ですね。

私たちの一番の救いは「人は死して死なない」ということ。
この世だけでは辛いけれど、これを理解していれば、ただ先に帰ったいうところに立てる。
 人にはいろいろなカリキュラムがある。
まだ若いのに、 幼いのに、と不幸に思っても、逆に浄化が早いと、立派なたましいである人が多い。
霊的視点からは、そこにカリキュラムがあり、純粋で綺麗なたましいということ。
それこそ「仕上げだよ」ということもある。
この世の中で、ながーく生きるということは、まだ死ねない、まだやることがある、ということ。
そのことを学ぶという苦しみもあるわけ。
だからあなた自身が「受け入れる」ことができた時に、娘さんからのメッセージを受けることが出来る。
ずっと凝り固まっちゃうと、中々向こうが伝えられない。
だから一旦は、自分自身の感情をダーっと流して「乗り越える」こと。
そうしたら素直に娘さんとのやりとりが出来る。
まずは自分から、意外と親の思いとは違って、娘さんは浄化してて、楽チンってこと、いっぱいあります。

浄化しなきゃいけないのは、あなたかもしれない。

「辛い」ということは感じ取る必要があるんじゃないかしら?
だって一緒に生き抜いてきたんだもの。

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最初に「ある意味そうかもしれない」と話されたときは、やっぱり私の感性は鈍いのかなぁ・・・とショックでしたが、お話を聞かせていただくうちに涙が溢れて止まらなくなりました。
講演会終了後もまた泣けてきてしまって、しばらく周りの方達は待っていてくださいました。
「いつか受け入れられる時がくるよね」って思いながら・・・混乱していましたが。
自分の心がまだ分からない私です。
「その時」がいつなのか分かりませんが、恐れずに歩いていきたいと思います。
夢のような時間でした。このようなご縁を頂けたことに感謝申し上げます。
そして、この「お答え」は私一人へ向けられたのではなく、
天の子どもたちからのメッセージとして子どもを亡くした親の皆さまへお返しさせていただくものと思いました。
本当にありがとうございました。

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見送ってから一年弱の時でした。
辛くて辛くて、泣いてもいいよと言われても、特に人前で泣けない自分を責めていました。
あれから6年が過ぎて、今は、しっかり泣いた後なので、泣けない、涙が少ない、と自分を責めている人には、同じことをお伝えできます。
本当にありがたいことだと思っています。

泣くことは大切だけど、泣けないと言って、さらに自分を苦しめないでください。
恐れなければ、必ず泣ける時が訪れます。

今、確かに、どうにも動かせない現実との戦いは終わっています。
それは、悲しくない、辛くない、ということではなく、

なぜ?と問い詰めなくなった、

受け入れるってどんな状態なの?と疑問に思わなくなった、

このことで得るものがあった、

 

そして、

悲しみがありながらも、幸せがあるという共存を認められた、

ということなのだと感じています。

いろいろなタイミングでこの計らいがあったことに感謝しています。 

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