今日、大学時代の友人から急に電話がありランチをした
ご主人が十年間の単身赴任から戻るという
ご主人が十年間の単身赴任から戻るという
もう一緒の空気を吸いたくない、状態だから、これから先、どう暮らしていけばいいのか、暮らしていけるのか・・・って
私は話を聴かせてもらうこと以外にできることはないし、結論は彼女の心にちゃんとあるから
「うん、そうだね」のひと言が欲しかったのかも知れない
本題はその話が一段落してからのこと
近所にこの12月に息子さんを亡くされた方がいらっしゃるという
社会人になり一人暮らしをしていたけど、昨年6月から体調不良になり、半年間の闘病生活の末亡くなったそうだ
☆友人曰く
先日、スーパーで会ったけどさっぱりしてた
元気そうだった、笑ってた
仕事もちゃんと戻ってしてるって
それでその人が言うの
☆その人の話されたこと
別に暮らしていたから実感がないのよ
まだ亡くなったって言う感じがなくてね
「悲しいでしょ」って言われるけど、あんまりそうじゃないのよ
もっと他の病院で手術してればと思ったけど
いいのよ
あの子がここでいいって決めたことだから
友人は「そんなことってある?」と聞いた
「そんなことある訳ないよ!」と言いそうになったけど、やめた
完全に凍り付いてるよね心が・・・
悲しいこと、辛いことだよね
現実の感覚として捉えられないんだよね
でも、心のままに、が一番いいと思ってる私だもん
やっぱり、その人が今生きようとする道を、今は歩くのがいいし、それしか歩けないし、それが今の時だと思うから
子どもを亡くした人たちの集まりを持つから機会があったら話してみてね
そう伝えた
「あの子が選んだ病院だからいいのよ」葛藤の中からの言葉だ
「無理にでも違う病院に行かせれば良かった」そう思う気持ちがあって当然だし、そうしなかった自分を責めるのよ
ずっとその葛藤の中に身を置いてるのよ
でも、他の人に話しても、経験のない人に話しても、どうしようもないから言わないだけかも知れない
それも感じられてないのかも知れない
自分をいつもいつも説得し続けるのよね
「あの子が選んだ病院だからいいのよ」って
「あの子が」と言って自分の心を説得してるのよ
子どもを亡くした親は自分を責めるのよ、責め続けるのよ
あの時ああすればよかった、こうすればよかった・・・
私は家にじっとしていることが辛くて仕方なかったから外へ戻った
その人もそうかもしれない
あの頃は「どうして私は息をしているんだろう、どうしてなんだろう」と思ってたよ
今、地震が来て死んでも「次男の職がないこと以外に何も思い残すことはない、ただ、母より先だと申し訳ないと思うけど」そう話していた
主人だって悲しむだろうけど、私は主人の子どもではないから
いろいろ話して別れたけれど、その後に思っていた
私が「あの頃は」と話したこと
それはその頃の感情を改めて思い出したのだろうか
今だからそうだったと感じられてきたことなのだろうか
それとも、それとも、自分の中に組み立て直されてきた感情もあるのだろうか
考えなくてもいいことを考えていた
昨日、亡くなった息子に代わり卒業証書を受けとる父を、
防災教育で有名な我が校だけど、自然の猛威は容赦なく大切なものを奪い取っていったと、言葉に詰まりながら挨拶した卒業生代表を
ただただ「頑張れよ頑張れよ」とその肩を両手で叩く校長先生を、
今日は、行方不明になった娘の写真が見つかったと話す母を、
その地域は皆で協力し合って支援物資が届くまで頑張った
それだけではない、悲しみも共有してきたと伝えた
そして、これが「写真」になるのかなぁと泣く母、
「写真」とは遺影になるという意味だった
辛すぎる現実を日々テレビは映し出す
あ~まだ災害時のメンタルケアは意識しないといけないなぁ
毎日毎日辛すぎる現実を生きる人をテレビで見ることは本当に辛い
子どもは帰ってこない・・・
二度と・・・
それを生きる辛さがわかってしまうから・・・
近所にこの12月に息子さんを亡くされた方がいらっしゃるという
社会人になり一人暮らしをしていたけど、昨年6月から体調不良になり、半年間の闘病生活の末亡くなったそうだ
☆友人曰く
先日、スーパーで会ったけどさっぱりしてた
元気そうだった、笑ってた
仕事もちゃんと戻ってしてるって
それでその人が言うの
☆その人の話されたこと
別に暮らしていたから実感がないのよ
まだ亡くなったって言う感じがなくてね
「悲しいでしょ」って言われるけど、あんまりそうじゃないのよ
もっと他の病院で手術してればと思ったけど
いいのよ
あの子がここでいいって決めたことだから
友人は「そんなことってある?」と聞いた
「そんなことある訳ないよ!」と言いそうになったけど、やめた
完全に凍り付いてるよね心が・・・
悲しいこと、辛いことだよね
現実の感覚として捉えられないんだよね
でも、心のままに、が一番いいと思ってる私だもん
やっぱり、その人が今生きようとする道を、今は歩くのがいいし、それしか歩けないし、それが今の時だと思うから
子どもを亡くした人たちの集まりを持つから機会があったら話してみてね
そう伝えた
「あの子が選んだ病院だからいいのよ」葛藤の中からの言葉だ
「無理にでも違う病院に行かせれば良かった」そう思う気持ちがあって当然だし、そうしなかった自分を責めるのよ
ずっとその葛藤の中に身を置いてるのよ
でも、他の人に話しても、経験のない人に話しても、どうしようもないから言わないだけかも知れない
それも感じられてないのかも知れない
自分をいつもいつも説得し続けるのよね
「あの子が選んだ病院だからいいのよ」って
「あの子が」と言って自分の心を説得してるのよ
子どもを亡くした親は自分を責めるのよ、責め続けるのよ
あの時ああすればよかった、こうすればよかった・・・
私は家にじっとしていることが辛くて仕方なかったから外へ戻った
その人もそうかもしれない
あの頃は「どうして私は息をしているんだろう、どうしてなんだろう」と思ってたよ
今、地震が来て死んでも「次男の職がないこと以外に何も思い残すことはない、ただ、母より先だと申し訳ないと思うけど」そう話していた
主人だって悲しむだろうけど、私は主人の子どもではないから
いろいろ話して別れたけれど、その後に思っていた
私が「あの頃は」と話したこと
それはその頃の感情を改めて思い出したのだろうか
今だからそうだったと感じられてきたことなのだろうか
それとも、それとも、自分の中に組み立て直されてきた感情もあるのだろうか
考えなくてもいいことを考えていた
昨日、亡くなった息子に代わり卒業証書を受けとる父を、
防災教育で有名な我が校だけど、自然の猛威は容赦なく大切なものを奪い取っていったと、言葉に詰まりながら挨拶した卒業生代表を
ただただ「頑張れよ頑張れよ」とその肩を両手で叩く校長先生を、
今日は、行方不明になった娘の写真が見つかったと話す母を、
その地域は皆で協力し合って支援物資が届くまで頑張った
それだけではない、悲しみも共有してきたと伝えた
そして、これが「写真」になるのかなぁと泣く母、
「写真」とは遺影になるという意味だった
辛すぎる現実を日々テレビは映し出す
あ~まだ災害時のメンタルケアは意識しないといけないなぁ
毎日毎日辛すぎる現実を生きる人をテレビで見ることは本当に辛い
子どもは帰ってこない・・・
二度と・・・
それを生きる辛さがわかってしまうから・・・