ドンマイ KENママ日記 (障害児・者)

知的しょうがい者の息子KENとママのこれまでの歩みを綴っていきたいと思います。

君がいたから

2010-05-31 | 日記
以前…私達の町にいらした 保健師さんが訪問された際に 私と話していると

ホッ!とする~と言って下さってました。 そして私とKENのこれまでの歩みを

他の方達にも伝える義務が 私にあるように思う~と。 義務…そんな大げさな。


ただ我が子を育てているだけ~の事なのに… 何の取り柄もない私に

どうしてそんな義務があるのか 全くわかりませんでした。 よしんば

伝えるにしてもその術もなし… 私は誇りではなく 埃だらけの女です。

生き方も また…しかり! そんな私が今ブログと 向き合っています。

KENとの歩みを綴る為に… 自分でも不思議です。今でも義務とは思っていませんが

しょうがいを持ったお子さんの事で あるいは育児の事で悩み苦しんでいる方々が

このブログを通じて 何かを感じて下されば… 私は教育者でも作家でもありません。

何の肩書も持たない ただのKENママです。人に感動を与える事などできるはずもなく…

ただボチボチ~と これからもKENとの歩みを 綴るだけです。 ただそんな中

知り合いの方から チョット嬉しいメールを頂きました。他県に住んでいる妹にママの

ブログを教えたと!妹さんは昨年出産なさったと 聞いていました。そしてそのお子さんが 

ダウン症だという事も… 妹さんがこのブログを 見て下さっているか…わかりませんが

こういった広がりが あの時の保健師さんの 思いにつながるような気がします。

長年…頑張って々~と 言われ続けた私なので あえて頑張って~とは言いません。

お子さんとの出会いを大切に~子育てを楽しんで下さいね!~心が折れそうな時は

まわりにSOS!~ ゆっくり々歩いていって下さい。道はまだ々長いのですから!…


よく泣いて よく笑ったね 二人して 君がいたから 歩いてこれた


ピカピカの一年生

2010-05-28 | 日記
S63年の4月…KENは養護学校(特別支援学校)へ入学。 本当ならランドセルを背負った ピカピカの一年生でしょうが…

KENの場合はその頃…流行ってた みんなのター坊のカバンを小さな肩から斜めに掛けて トレードマークのセーラー帽を

チョコンとかぶり 学校生活をスタートさせました。 親の目にはやはり 可愛いピカピカの一年生でした。 そしてそこで

担任のF先生との出会いがありました。 この出会いは本当に私達親子にとって 後々もかけがえのないもの~となります。

ところで一年生となったKENと言えば スタイルは何一かえず ひたすらにわが道を歩いていました。 あの頃コードレス

電話など主流ではなかったと思いますが ある朝起きたら突然我が家の電話が コードレスに… そしてその足元には

ハサミが投げ捨ててありました。 あっぱれ…KEN! また身体は今と違ってスリムで おかわり自由な子でした。

私の作った物を喜んで 食べるKENでしたが この子の本当に食べたい物を 食べさせているか~と いつも心に

問いかける私でした。 一言これが食べたい~と 言ってくれたのならどんなリクエストにも 答えてあげたい!

今もその思いはかわりませんが!


言葉より 君の差し出す おかわりに 君の心の おいしいを聞く

あるがままに…!

2010-05-21 | 日記
☆現在28才~のKENですが 彼の生き方は幼少の頃から 

何一つ変っていません。彼・・・特有の生き方で 日々いきいき!~と

過ごしてきました。 そう… あるがままに・・・!

KENは昔も今も 水が大好き・・・です。保育園の年長さんの頃は

突然 水が出たり止まったりする 洗濯機を毎日・・・不思議そうに

見ていました。そして 泡あわ~でクルクル回る 洗濯機が大のお気に入りに

なってしまい・・・いつしか洗濯物を 投げ込む事も楽しくなってしまったようです。

but…KENの洗濯物は ほとんどが冷蔵庫の中身~でした。 日替わりで

人参、胡瓜,茄子、大根、南瓜…etc。 それでもまだ 野菜のうちは…よかった!

ある日…大きな鯖が丸ごと 洗濯されていました。 泡あわ…でした。

また冷蔵庫を開くと ハムやチーズの横に KENの靴がデン!~と入っていました。

靴箱と冷蔵庫を 間違えたのではなく どうしても冷蔵庫に自分の靴をしまいたかった

のです。 この頃からのKENの…こだわり…は日々強くなっていきました。

but…そんなKENも 保育園生活にピリオドをうち 養護学校へ入学する事となりました。


いいんだよ! 成長なんて ゆっくりで 君が笑顔で いてくれたなら!

 

涙が止めどなく…

2010-05-17 | 日記
☆KENのような場合でも早い段階で専門の方の 指導を受けていたらまた違っていたのかもしれません。

やはり3才までの関わり方が大切なようです。 KENは町立の保育園に2年間通いました。

そしてその間に他の専門機関でも 指導を受けましたがそれは就学前のわずかな期間でした。

KENが5才を過ぎた頃 意を決して精神科を受診。そこでドクターから5才を過ぎて言葉が出ないのは

異を来する事。ハンデイーを持った子を負担に思わぬように しょうがいの子供に出る手当がある事。

そして今の自分にしてあげられる事は その為の診断書を書くことだけ~だと言われました。 

ドクターの言葉を耳にしながら 涙がポロポロ落ちてきました。 KENが手当を貰えるほどの

しょうがい児だったこと。 そしてそれに早く気付いてあげられなかった事。しょうがい~という言葉と

引きかえに…お金を貰うようで そんな手当などイラナイ!欲しくない!~と その時は強く思いました。

帰る道すがらも…帰ってからも ごめんネ!~を繰り返す私に KENは自分が悪い事をしたと思ったようで

小さな頭を何度も々下げてきました。 おデコとおデコがぶつかった時…私は大泣きしながら

KENを抱きしめることしかできませんでした。



ごめんネを 言うのはママで 君じゃない! あやまらなくて いいんだョ!・・・

KEN…4~5才の頃

2010-05-15 | 日記
☆出産から歩きだすまでの成長過程は なんだ問題はなく

言葉も2才頃までは 少しですが出ていました。

また写真をお見せできないのが残念ですが お目々クリクリ~の

可愛いベビーだったんです。 but  3才でことばが消え

「ア~やビ~」など 声だけを発する様になった頃から

問題行動が多くなりました。例えばよその家の玄関先で

ウンチ~をしたり 知らない方の家に勝手に入りご飯を食べ

お風呂に入ったりなど…etc

ご近所の方から「お宅のお子さんが…」~と お電話を頂く事が

多くなりお叱りを受ける事も 日々増えていきました。


 かけひきも なしに心の 思うまま

  生きぬく君が ナンバーワン!

今日からブログが スタートです!

2010-05-14 | 日記
☆福岡県のある町に 私たち親子は住んでいます。 

KENは ただ今28才!・・・重度の知的しょうがい者です。

幼い頃から超多動で 問題行動の多い子供でした。

(現在も発語はなく 知的には1才7カ月・・・くらいです。)

KENが3歳から 二人して歩んできた この25年の歳月・・・道のり。

ふり返れば様々な 出来事や思い出が よみがえります。

ただぼ~っと している私と ただ々元気いっぱいのKENとの

四半世紀を これから少しずつ ひも解いて 

いきたいと思います。


  伝えたい 思い届かず ただ涙

    話せる時は きっとくるから  (1987 KEN 5才)