大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

20240407 花見 ー須賀神社にてー

2024-07-22 12:23:05 | 日記

2024年4月7日。天気が良いので花見をしてきた。場所は近所の須賀神社である。近所といっても近場の穴場的花見スポットをネットで検索して見つけたもので自転車で5分程のところ。近隣の家族連れも訪れて桜を楽しんでいた。枝垂桜が見事である。

花のお供は賀茂金秀(広島)と甲子(きのえね、千葉)。どちらも美味しくいただけた。春酒は夏酒に比べると外れが少ないが最近は味が画一化気味。ふんわりと柔らかい味わいは悪くないがもう少しどこかでパンチ(個性)を利かせてほしい。肴は行きがけにセブンで調達。桜もち・厚焼き玉子・おつまみナッツ。

こちらは染井吉野か。

須賀神社はこのあたりでは枝垂桜で有名らしく夜にはライトアップも行われるようだが行ってみると住宅街にひっそり佇むこじんまりした神社であった。

またこの社のある栗谷という土地について調べてみると川崎市の資料には次のようにあった。

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・栗谷:刳りの意で、丘陵の突端で幾つもの小さな谷戸を形成する。昭和57年の台風で300 の土砂が流出した。(「地名が教える地形の歴史 川崎の地形から見た災害地名や崩壊地名 」2016年3月31日,発行:川崎市,編集:日本地名研究所)

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「刳り」は「く-り」とも「えぐ-り」とも読めるがいずれにしても「くりぬく(刳り抜く・刳り貫く)」の「くり」の意であり当地が山間をくりぬかれたような通行困難な谷であったことを伝えている。なお「谷戸」は「谷間、湿地」「丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形である。また、そのような地形を利用した農業とそれに付随する生態系を指すこともある。」であり語としては武蔵・相模(現在の埼玉・東京・神奈川)で主に使われる言葉である。

境内の碑には次のようにある。

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栗谷は五反田川の清流に接する景勝の地であった。然るに近年住宅公団その他による市街化が急速に進むにつれ、栗谷地区の開発と生田駅え(ママ)の通勤路の必要性を痛感し、昭和四十四年錦ヶ丘宅地造成を計画した。途中幾多の障碍を経て同四十六年、川崎市に宅造許可申請書を提出、同四十七年六月許可、同四十九年二月完成した。また附近住民の要望により此の地に多摩消防署栗谷出張所、錦ヶ丘子供文化センター、錦ヶ丘老人憩の家の設立を見るに至る。昭和四十七年宅造地内の栗谷遺跡の発掘を行い、縄文、平安、両時代の住居址と多数の石器、土器が発掘された。また天保十一年〔1840〕よりこの地に祭る須賀社の老朽社殿の新築を行う。ここに宅造完成、遺跡発掘、社殿新築を記念し碑を建立する

昭和四十九年十月

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天保十一年とあることから須賀神社が少なくとも江戸時代末期にはこの地にあったことが分かる。栗谷の一帯は丘陵地の周囲を這うように道が通っていたが通行に不便であるため宅地造成を機に切通しの道が造られたようだ。五反田川の氾濫もあり生活に困難の多いこの土地で人を静かに見守り続けてきた須賀神社。その須賀神社と桜を今は近隣住民が支えていることが資料からはうかがえる。

2009年 “花守”『今年で最後』 須賀神社 しだれ桜ライトアップ(2009年3月24日 東京新聞 〔中川木材産業HP >木の情報発信基地 > 樹木・植樹・木のニュースアーカイブ による〕) (魚拓)

2016年 幻想的なしだれ桜 多摩区・須賀神社(2016年3月30日 神奈川新聞)(魚拓)

2018年 しだれ桜、境内包み ―須賀神社で見頃―(2018年3月23日 タウンニュース川崎市多摩区版)(魚拓)

2018年 川崎市多摩区・須賀神社 : しだれ桜とソメイヨシノが競演(2018年3月28日 今日の桜) (魚拓)

2023年 須賀神社|多摩区 -地元に愛される桜の名所! しだれ桜のライトアップで有名な須賀神社-(まいぷれ お花見するならここ! 川崎市の“桜”特集【2023年】)(魚拓)

来年はライトアップされた須賀神社の桜も見に来よう。

 

以下は自宅近所の桜の記録である。生田駅付近から三田第2公園方向へ。

三田第1公園。

長沢浄水場付近。

三田小学校・生田中学校付近。

三田第四公園。このあたりはオオシマザクラが多い。花の色が白く開花とともに葉が出るので白の中に緑が入る姿が特徴である。

ビオラ。

こちらは渋谷区立代々木大山公園の桜。

生田駅前の枝垂桜。

牡丹桜(河津桜)。

柔らかい春の日差しのもとおいしい日本酒を供に花を愛でる。心も体もあたたまる一日であった。

 

 

 

20240407 花見 ー須賀神社にてー

 

 

 

 

付記1 「生田」「三田」地名の由来について

 私の住む川崎市多摩区三田は小田急線生田駅周辺の生田地区内にある。生田は江戸時代は上菅生村(かみすがおむら)と五段田村(ごたんだむら)と呼ばれた地域であり明治時代に合併しそれぞれの村名の一字ずつをとり「生田村」となった。上菅生村については16世紀には存在した「菅生」という地域が江戸時代に上と下の菅生村に分かれたもので地名の「由来は、菅(すげ)が多く生えている場所だったことから「菅生」という名前が付いたと考えられています。」と川崎市の資料にはある。(川崎市HP「宮前地名さんぽ 最終話「菅生(すがお)」2016年6月17日公開)(魚拓) 五段田村の地名の由来は確認できる資料がなく不明である。

 「三田」は行政地名としては1967年(昭和42年)に成立しており川崎市の資料によれば「三田の地名の由来は、ここに大谷、長兵衛谷、水車の谷の三つの谷があり、そこに田があったからだとか、開墾した耕地を一戸に三反ずつ分配した「三反多」が「三田」に縮まったとかいわれていますが、確かなことはわかりません。」とのこと。(「川崎市北部 多摩区・麻生区の町名の移り変わり」〔2018 年3月31日 報告 日本地名研究所 主催 川崎市,川崎市委託事業報告小田急小田原線・多摩線の周辺における住居表示変更に伴う町名と町の変化に関する調査研究〕による。)

 私見だが五反田川は「五段田(ごたんだ)村」を流れる川であるから「五反田(ごたんだ)川」であり五反田神社の名は1959年と比較的最近に現在の名前に改称されていることから五反田川に由来するものと思われる。(この推測は「五段田」の地名の由来と「五段田」から「五反田」への表記変遷の経緯が明らかにならない限りあくまで推測に留まる。)また須賀神社の「すが」は「菅」もしくは「菅生」と関係があるのだろうと思った。

 

付記2 つぶやいた曲

ISN'T SHE LOVELY "イズントシーラブリー" Live

 

Isn't She Lovely

 

[和訳] Isn't She Lovely?

 


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