大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

20220807 石巻川開き帰省02 パレード ーはねこ踊りを撮り忘れる 涙)ー

2022-08-21 12:26:40 | 日記

2022年8月7日。川開き祭り二日目は7時起床。ホテルルートイン石巻中央で朝食をとり9時にはチェックアウト。因みにホテルは部屋が清潔で朝食も悪くなくビジネスホテルとしてまずまずだと思った。

車で市街へ移動。荷物を某所に預けアイトピアへ向かう。

今年は鼓笛隊パレードを午前と午後に分けて行う。観覧客を分散させ密の回避を図る感染症対策の一環である。午前の部は10時30分、午後の部は15時開始。それゆえ10時にはアイトピアに到着したい。それにしても移動は面倒だ。それでも実家にいれば経験できなかったことゆえ良い経験ができたと思い満足することに。

10時過ぎにアイトピア到着。沿道にはすでにギャラリーが陣取っている。10時30分、蛇田小学校を皮切りに鼓笛隊パレードが開始された。

午前中は蛇田小、向陽小、中里小、湊小、釜小、貞山小、渡波小の7校の鼓笛隊が通った。youtubeにupした過去の川開きパレードの動画に小学生らしき方から「川開きが中止になり残念」との旨(むね)のコメントが届いたことがある。私自身は鼓笛隊でパレードに参加した経験がない(少なくとも記憶にはない)ので川開きが中止になりパレードに参加できない無念さがいかなるものかは分からないが少なくとも子供たちの中に見る側にせよ見られる側にせよこのパレードを楽しみにしている者たちがいることはたしかだ。だからこの三年ぶりのパレードをそれなりの感慨をもって見たにちがいない。

この後12時30分開始のエイサー踊りまで時間があるので石巻グランドホテルへ。こちらは12時からチェックイン可能なので便利だ。手続きを済ませ荷物を部屋に置くと再びパレード会場へ。エイサー踊りが始まる。三線(さんしん)の演奏と唄に合わせ太鼓を叩きながらのエネルギッシュンな動き。女性の踊り手たちの可憐でしとやかな踊り。ところでこの踊りは撮影に注意が必要だ。行進の途中で一か所に滞留し踊りが終了する場合があるからだ。進んできてくれると思いこみ待っていると遥か手前で踊りが終わってしまい撮影し損なうことがある。注意しなければと思っていると早速行進が止まり曲がクライマックスにさしかかる。急いで移動して撮影する。他のカメラマンも同様である。

折角だからエイサーについて調べてみるとエイサーはもともと沖縄の伝統芸能で旧盆の夜に地域内を練り歩く踊り。本土の盆踊りに当たる。先頭を高さ3-4メートルの旗を持ちながら舞い踊る「旗頭(はたがしら)」、大太鼓を持ちながらダイナミックに踊る「大太鼓(うふでーく)」、小太鼓を叩く「締太鼓(しめでーく)」は動きが自由な分手足の大きな動きと高音の太鼓の音が特徴。「女手踊り(いなぐもーい)」は太鼓をもたない女性の踊り手で絣(かすり)の膝下丈(ひざしたたけ)の着物にたすき掛け、島草履(しまぞうり)を履(は)くのが定番。「地方(じかた)」と「地揺(じーうてー)」は三線(さんしん)と唄の担当。「京太郎(ちょんだらー)」は顔を白塗りする奇抜な化粧をし滑稽な容姿で楽しませ隊列を整えたり観客と絡んで場を盛り上げたりする役割を持つ。年長者やリーダーが務めることが多いが小さな子供が登場することもある。(参考→エイサー 演者と役割 ―沖縄観光情報WEBサイト おきなわ物語―)

このエイサーが石巻川開き祭りで踊られるようになったのはおそらく2014年第90回からで東日本大震災復興支援ボランティアを機に石巻に移住した東恩納(ヒガシオンナ)氏の尽力によるものと思われる。同氏にによればエイサーは「東北出身の僧侶が沖縄に仏教の布教に訪れた際に広めたのがルーツ」でもあるそうだ。(沖縄の伝統芸能エイサーを宮城県石巻の石巻川開き祭りに呼ぼう!)今では川開きパレードに欠かせないものになっているエイサー。意外な由来があるものだ。

さてダイナミックにして可憐なエイサーを楽しんだ後は軽くお昼をということで「もりや」さんで中華そばをいただく。非常にあっさりした味付けだが飽きのこない安心の味わいである。レジに親父さんがデンと座っていたのでお声掛けすると思い出してくれ「おいしかったです。ごちそうさまでした。」と言うと嬉しそうに笑って送り出してくれた。

この後少し時間がありお茶を飲みたくなったので知人と共にアイトピアの「キッチンじゃがいも」さんへ。お店に入り「こんにちはー。お久しぶりです。」と挨拶。マスクを外すとママさんが「あらーっ、マスクしてたからわからなかった!」と苦笑しながら出迎えてくれた。紅茶とアイスクリームを頼む。同級生のマサ之くんは不在だったが手伝い帰省らしいミユキくんと久しぶりに会い少しお話をする。と、通りでパレードが始まっている気配がしたので「すいません、また戻るかどうか分からないので、飲み残し下げちゃってください。」と言いながらお店を失礼し撮影へ。本当はピザを食べたかったので来年はピザを焼くぐらいの時間の余裕をもってお邪魔したいと思った。

ここで午後の部の時間を少し勘違いしたことに気づく。実は「はねこ踊り」の」開始時間を1時間勘違いしておりすでに終わった後だったのだ。そういえば外が騒がしかったが「あー、縄張り神社の神輿(みこし)だな」と思ってやり過ごしていたのだ。ショックを受けつつ撮影に向かったが今度はカメラの電池切れのサイン。ちょうど開北小の鼓笛隊がスタートしていた時で電池交換に手間取りしっかり撮ることができなかった。それでも気を取り直し撮影再開。午後の部はさらに万石浦小、稲井小、大街道小、山下小、住吉小、鹿妻小、石巻小が続き、これにさらに石巻中吹奏楽部、消防音楽隊である。石巻小は校歌を演奏していたのが懐かしく、石中吹奏楽部の「宇宙戦艦ヤマト」にはなぜか胸が熱くなった。

パレードのトリは大漁踊りである。大漁唄い込みに合わせて7つほどの団体による踊りの披露。こういう踊りの動作にはもともと歌詞と連動した意味があり手の動きが視線の先を表したり仕事道具を扱う動作を表したりしている。だから本来は緊張感ある踊りであってよいのだがこういう場ではむしろリラックスして楽しむのがむしろ風情があってよい。とりわけ女性の色鮮やかな浴衣姿は目を引くものがある。

そして今年の発見である。大漁踊りの際に通りの三か所で大漁歌いこみの調子をとる太鼓の打ち手が見られたことである。おそらく彼らにとって川開き祭りとは大漁踊りで太鼓を打つことなのだろう。三年ぶりに叩く太鼓の感触は果たしていかがなものであったろうか。

気持ちよさそうだ。私も叩いてみたい……。

パレードは終わった。今年の川開きが終わったのだ。通常とは異なるスケジュールだったが人も出たし花火もパレードも見られた。祭りの帰り道はいつもながらさびしい。そしてどことなく疲労感の中に心地よさの余韻がある。

そういえば撮影中に昔大文字屋に勤めていた店員さんの旧姓イトウさんのご一家と遭遇した。これも当然三年ぶりとなった(ご主人とは初対面だったと思う)がお話する中で来年の川開きは100回になるのでこれを記念して花火大会は豪華になるのでは(その分今年は控えめだったでは)などという話を聞いた。なるほど来年は100回目か。楽しみなようなこわいような。

少しずつだが感染症禍から脱し祭りが来年も賑々(にぎにぎ)しく催されることを望む。川開きは広域都市となった石巻の人達が一つになれる貴重な機会であるような気がするのだ。

 

動画

2022石巻川開き祭り02パレード


フォトアルバム

20220807 石巻川開き祭り02 パレード

 


注記1
パレード終了後宿である石巻グランドホテルに戻り夕食をとった。場所はホテル一階の中国飯店。現在は経費節減のためか「日本料理 石亭」と店舗を共有していた。昼間炎天下を歩き回ったので体が火照り油っこいものは食べたくなかったがメニュー「医食同源」の内容を見てこちらを選んだ。油を使ってはいるが地元の素材を生かしたヘルシーな味付けで爽やかさもあり食べるほどに食欲が増すようだった。コースで4000円もせずしかも宿泊者割引10%はリーズナブルだがそれ以上にお値打ち感があった。現代の最先端の中国料理は和食やフレンチの要素を積極的に採り入れているが石巻の中国料理もその水準のお店があると知ることができた。


注記2
最近のお気に入り。アデルの肩の力を抜いたヴォーカルも悪くない。
Adele - Easy On Me (Official Video)

 


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