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日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

原爆被爆体験談

2005年06月18日 | インポート
住んでいる町内会の子ども会の主催で、現在は南高来郡小浜町に住んでおられる、山口仙二さんの原爆被爆体験談を聞かせて頂いた。

会場は、川端町内会の公民館で、愛野町役場の広報担当者やNHKの取材の人も見えていた。

山口仙二氏は、テレビでよく見かける人で、長崎市に在住なのかと思っていた。
二年ほど前から小浜町で暮らしておられると言う事を、愛野町の広報担当氏から聞いた。

14歳の時に被爆され、皮膚がめくれて垂れ下がりながらも、訳も分からずに人の流れについて山手の方に逃げた状況や、赤ちゃんを背負っている母親の背中で、赤ちゃんの首から上が吹き飛ばされて、皮だけでぶら下がっていたような情景を目撃された事や、水を求めるうめき声など、私たちでは想像も出来ないような悲惨な状態だったそうだ。

大村の病院に入ってからは、皮膚にうじ虫がわき、そのうじ虫が肉を食いちぎる時の耐えられないような痛みや、ガーゼを交換するときの失神するような痛みから、自殺を思い立ち、カミソリで手首を切ったこともあったと言われた。

ティニアン・ファイルは語る」、サブタイトルは「原爆投下暗号電文集」という本がある。
元日本科学史学会会員の奥住喜重氏と国立徳山工業高専教授の工藤洋三氏が自費出版されたものだ。

太平洋の北マリアナ諸島のテニアン島に置かれた米陸軍戦略航空軍第509混成群団とワシントンの司令部などが交わした電文が詳細に紹介されている。
原爆を投下した飛行機が飛び立った所である。

投下目標の4都市に長崎が最後に加えられたのは、投下命令の出た日の直前だった事などを解明している。

無差別の大量殺戮兵器を開発し、実際に投下した悪魔の行為を、二度と許すわけにはいかない。
人類史上初めての被爆国である我が国を横目で見ながら、核実験を行っている近隣諸国には、被害者側の痛みは届いていないようだ。

悪魔の兵器である核爆弾を開発するための実験をするなどという愚かな事をやめて、自国民の生活の安定のためにお金を使えばいいものを、他国からの施しを受けながらも、そのような愚行を繰り返している。

山口仙ニ氏が、思い出したくもないような体験談を子どもたちに語られるのは、その体験を通して、平和であることの大切さや戦争は絶対にするべきではなく愚かな事だと言う事を伝え、命が一番大切であるという事を訴えるためであろう。

一時間程度のお話であったが、子どもたちにとっても、その父母や聞きに行ったその他の大人にとっても、命について考える貴重な時間であったと思う。

核兵器の開発も、その使用も絶対にやらせてはならない。大人の責任で。

豊田かずき