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日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

手書き文字

2013年02月11日 | インポート
ボタンを押せば文字が表示され、忘れている文字も即座に表示される便利な世の中になった。

パソコンのキーボードを押せば、ほとんどの用途の文書は作成できてしまう。

そのような事に慣れてしまうと、読む事はできても手書きでは書けない漢字の数が多くなって来る。

とりあえず、元々の漢字の形さえかすかに記憶さえしていれば、間違った漢字表現をすることもほとんど無い。

同音異義語に関しては、それらの意味まで同時に表示されるので、作成している文章の文脈から、どの漢字を使うのが妥当であるかさえ判断できれば事足りる。

携帯電話にしてもパソコンにしても、それらの中に必要なデータが格納されているのだと思うと、そのことで安心してしまって、自分の頭の中に記憶するということをおろそかにしてしまいがちになる。

また最近では、頭の中の記憶の引き出しの中で、どの引き出しに入れたのかを忘れてしまって、思い出せない事が多くなってきた。

私の頭の中は、新しい知識の情報が増えるのと反比例して、記憶するという事に関しては退化しているようにも思える。

文字を手で書く事を余儀なくされることもあるが、最近は普段から筆記具を使って書きなれていないので、手書きの文字がへたくそになってきている。

手書きの履歴書などを書かなければならないような時に、そのことを痛感する。

そのような一日だった。

諫早市の郵便局では、休みの日の簡易書留の受付は12時半までだそうだが、大村市の郵便局本局では、そのような郵便物の受付も24時間対応しているということを知った。

消印が何日までの分まで受け付けるというような郵便物を、ぎりぎりの締切日に出さなければならなくなった時には、空港の近くの大村市の郵便局本局まで待ち込めば、夜にでもその日の消印で受け付けてもらう事が出来る。

各種の受験願書などを、ぎリぎりの締切日に出す場合などには、その事を知っておけば役に立つかもしれない。



豊田一喜


蕪池(かぶらいけ)で椎茸の駒打ち

2013年02月10日 | インポート
東彼杵町蕪池の仙人様のお宅で、椎茸の駒打ちを体験させて頂きました。

5本のクヌギの木に電動ドリルを使って10cm間隔程度で穴を開け、そこへ椎茸菌が付着させてある駒を金槌で打ち込む。

5本のホダ木への穴あけと駒の打ち込みで、1時間程度で終了。

あとは広葉樹の森の中の木陰の、ホダ木所有者の名前プレートを付けた場所に寝かせる。

2年後ぐらいには、「椎茸がではじめましたよ。」という連絡が仙人様から届くかもしれない。


蕪池周辺の風景
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電動ドリルでの穴あけ
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豊田一喜



楽しい時間

2013年02月09日 | インポート
共に働かせてもらっている素敵な人達と楽しい時間を過ごさせてもらった。

遺跡発掘の作業期間も残りわずか。

素敵な人たちとの出会いを、人生の記録の中に大切に残しておきたい。

楽しい休憩時間での語らいも、あとわずかな日数で終わってしまう。

途中で他の職に就いた人たちの元気な顔も久し振りに見る事が出来た。

現在の遺跡発掘現場に新幹線の施設が完成する頃まで、出会った皆さんが元気で再会できて語らう事が出来たならと思う。

とても楽しい飲み会だった。



豊田一喜





知っておいた方が良いメッセージ

2013年02月08日 | インポート
元阿久根市長 竹原信一氏の「住民至上主義」というブログで紹介されていた、スティーブ・ジョブズ氏のメッセージ。

知っておいた方が良いと思われるような内容だったので、記録として残しておきます。



ハングリーであれ。愚か者であれ。 自分が何ものであるのかを思い出さなければいけない。宇宙の自由と必然から個体を通して今をしている。通り過ぎたあとに全てが役割であり、必然だったと知るのだ。

●運命を信じること
●直感を信じること
●死を思い出すこと

http://www.youtube.com/watch?v=XQB3H6I8t_4 …
※スティーブ・ジョブズ氏が2005年6月12日、スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチ原稿の翻訳。

  全翻訳文

 世界でもっとも優秀な大学の卒業式に同席できて光栄です。

私は大学を卒業したことがありません。

実のところ、きょうが人生でもっとも大学卒業に近づいた日です。

本日は自分が生きてきた経験から、3つの話をさせてください。

たいしたことではない。たった3つです。

 まずは、点と点をつなげる、ということです。

 私はリード大学をたった半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの1年半は大学に居座り続けたのです。

ではなぜ、学校をやめたのでしょうか。

 私が生まれる前、生みの母は未婚の大学院生でした。

母は決心し、私を養子に出すことにしたのです。

母は私を産んだらぜひとも、だれかきちんと大学院を出た人に引き取ってほしいと考え、ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。

ところが、この夫婦は間際になって女の子をほしいと言いだした。

こうして育ての親となった私の両親のところに深夜、電話がかかってきたのです。

「思いがけず、養子にできる男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」と。

両親は「もちろん」と答えた。

生みの母は、後々、養子縁組の書類にサインするのを拒否したそうです。

私の母は大卒ではないし、父に至っては高校も出ていないからです。

実の母は、両親が僕を必ず大学に行かせると約束したため、数カ月後にようやくサインに応じたのです。


 そして17年後、私は本当に大学に通うことになった。

ところが、スタンフォード並みに学費が高い大学に入ってしまったばっかりに、労働者階級の両親は蓄えのすべてを学費に注ぎ込むことになってしまいました。

そして半年後、僕はそこまで犠牲を払って大学に通う価値が見いだせなくなってしまったのです。

当時は人生で何をしたらいいのか分からなかったし、大学に通ってもやりたいことが見つかるとはとても思えなかった。

私は、両親が一生かけて蓄えたお金をひたすら浪費しているだけでした。

私は退学を決めました。何とかなると思ったのです。

多少は迷いましたが、今振り返ると、自分が人生で下したもっとも正しい判断だったと思います。

退学を決めたことで、興味もない授業を受ける必要がなくなった。

そして、おもしろそうな授業に潜り込んだのです。


 とはいえ、いい話ばかりではなかったです。

私は寮の部屋もなく、友達の部屋の床の上で寝起きしました。

食べ物を買うために、コカ・コーラの瓶を店に返し、5セントをかき集めたりもしました。

温かい食べ物にありつこうと、毎週日曜日は7マイル先にあるクリシュナ寺院に徒歩で通ったものです。


 それでも本当に楽しい日々でした。

自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。

たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができたました。

キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。

退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。

ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。

何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。

科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。


 もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。

ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。

そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。

美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。

もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。

ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。

もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。

もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。

しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。


 繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。

できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。

だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。

運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。

私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。


 2つ目の話は愛と敗北です。

   私は若い頃に大好きなことに出合えて幸運でした。

共同創業者のウォズニアックとともに私の両親の家のガレージでアップルを創業したのは二十歳のときでした。

それから一生懸命に働き、10年後には売上高20億ドル、社員数4000人を超える会社に成長したのです。

そして我々の最良の商品、マッキントッシュを発売したちょうど1年後、30歳になったときに、私は会社から解雇されたのです。

自分で立ち上げた会社から、クビを言い渡されるなんて。


 実は会社が成長するのにあわせ、一緒に経営できる有能な人材を外部から招いたのです。

最初の1年はうまくいっていたのですが、やがてお互いの将来展望に食い違いがでてきたのです。

そして最後には決定的な亀裂が生まれてしまった。

そのとき、取締役会は彼に味方したのです。

それで30歳のとき、私は追い出されたのです。それは周知の事実となりました。

私の人生をかけて築いたものが、突然、手中から消えてしまったのです。

これは本当にしんどい出来事でした。


 1カ月くらいはぼうぜんとしていました。

私にバトンを託した先輩の起業家たちを失望させてしまったと落ち込みました。

デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会い、台無しにしてしまったことをわびました。公然たる大失敗だったので、このまま逃げ出してしまおうかとさえ思いました。

しかし、ゆっくりと何か希望がわいてきたのです。

自分が打ち込んできたことが、やはり大好きだったのです。

アップルでのつらい出来事があっても、この一点だけは変わらなかった。会社を追われはしましたが、もう一度挑戦しようと思えるようになったのです。


 そのときは気づきませんでしたが、アップルから追い出されたことは、人生でもっとも幸運な出来事だったのです。

将来に対する確証は持てなくなりましたが、会社を発展させるという重圧は、もう一度挑戦者になるという身軽さにとってかわりました。

アップルを離れたことで、私は人生でもっとも創造的な時期を迎えることができたのです。


 その後の5年間に、NeXTという会社を起業し、ピクサーも立ち上げました。

そして妻になるすばらしい女性と巡り合えたのです。

ピクサーは世界初のコンピューターを使ったアニメーション映画「トイ・ストーリー」を製作することになり、今では世界でもっとも成功したアニメ製作会社になりました。

そして、思いがけないことに、アップルがNeXTを買収し、私はアップルに舞い戻ることになりました。

いまや、NeXTで開発した技術はアップルで進むルネサンスの中核となっています。

そして、ロレーンとともに最高の家族も築けたのです。


 アップルを追われなかったら、今の私は無かったでしょう。

非常に苦い薬でしたが、私にはそういうつらい経験が必要だったのでしょう。

最悪のできごとに見舞われても、信念を失わないこと。自分の仕事を愛してやまなかったからこそ、前進し続けられたのです。

皆さんも大好きなことを見つけてください。

仕事でも恋愛でも同じです。

仕事は人生の一大事です。やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。

そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。

好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。

決して立ち止まってはいけない。本当にやりたいことが見つかった時には、不思議と自分でもすぐに分かるはずです。

すばらしい恋愛と同じように、時間がたつごとによくなっていくものです。

だから、探し続けてください。絶対に、立ち尽くしてはいけません。


 3つ目の話は死についてです。

   私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。

それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。

「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。

「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。


 自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。

なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。

本当に大切なことしか残らない。

自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。

我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。


 1年前、私はがんと診断されました。

朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。

私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。

医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。

医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。

つまり、死に備えろという意味です。

これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。

家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。

別れを告げなさい、と言われたのです。


 一日中診断結果のことを考えました。

その日の午後に生検を受けました。のどから入れられた内視鏡が、胃を通って腸に達しました。

膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。

鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと妻がいうのです。

手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。


 人生で死にもっとも近づいたひとときでした。

今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。このような経験をしたからこそ、死というものがあなた方にとっても便利で大切な概念だと自信をもっていえます。


 誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。

死は我々全員の行き先です。

死から逃れた人間は一人もいない。

それは、あるべき姿なのです。

死はたぶん、生命の最高の発明です。

それは生物を進化させる担い手。

古いものを取り去り、新しいものを生み出す。

今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。

深刻な話で申し訳ないですが、真実です。


 あなた方の時間は限られています。

だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。

ドグマにとらわれてはいけない。

それは他人の考えに従って生きることと同じです。

他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。

そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。

あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。

ほかのことは二の次で構わないのです。


 私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。

私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。

パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。

言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。

グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。

理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。

 スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。

70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。

背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。

その写真の下には「ハングリーなままであれ。

愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。

ハングリーであれ。

愚か者であれ。

私自身、いつもそうありたいと思っています。

そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。


ハングリーであれ。愚か者であれ。


ありがとうございました。



寒かった1m方眼点の打設

2013年02月07日 | インポート
結構寒い一日だった。

午後は、1m方眼の交点を現地に測設する作業をやらせてもらった。

今作業をやらせてもらっている遺跡発掘現場には、公共座標系における20mピッチの座標の交点に、頭が赤色のプラスチック杭が打設してあるので、それらの杭の鉛直上方にトータルステーション(測距、測角一体型の、記録装置が付属している測量器械)を水平に据え付け、他の座標が既知な基準点を視準し、ゼロ方向として初期設定をする。

あらかじめ、使用する基準点の座標値と、新たに測設する1m方眼の交点に点名を付けてX座標値とY座標値を記録装置(データコレクター)の中に登録しておく。

トータルステーションの測設機能を用いて、新たに測設する1m方眼の交点の点名で呼び出せば、その点名の位置に対する情報が計算されて、設定したゼロ方向からの水平角と水平距離という形で表示される。

その水平角の数値に、手動でトータルステーションの望遠鏡の視準線を合わせ、その方向に、ピンポールに取り付けた反射プリズムを持っている者(ミラーマン)を誘導する。

望遠鏡の視準方向にピンポールが入ったら、反射プリズムを視準して測距を実施する。

本来あるべき計算された水平距離と、測定した水平距離との比較情報が表示されるので、その情報によってピンポールの位置を前後に誘導する。

所要の精度にピンポールの位置が定まったならば、その地点に杭なり鋲なりを打設する。

そのような事を、打設すべきそれぞれの点について実施すれば、現地に1mピッチの方眼点を表示する事ができる。

現地に1mピッチの方眼点が表示された後には、それらの点に水糸を張り、その基準線を用いて、出土した遺構などの実測作図を作図班が実施するという流れになる。

もちろん、トータルステーションを用いて、遺構の三次元データを直接取得することも可能であるし、その他にも写真測量技術を駆使すれば詳細な三次元データを取得することも可能ではある。

風が吹いて冷たい中での作業だった。



豊田一喜










照射

2013年02月06日 | インポート
東シナ海で中国海軍艦艇が海上自衛隊の護衛艦に、火器管制用のレーダーを照射したという。

要するにその火器の引き金さえ引けば、照射された相手に命中するというような前段の行為を、中国の軍艦が日本の船に対して行なったということ。

物騒な話だが、我が国の世論操作に利用されて、国防予算増額の口実に繋がりかねない懸念もある。

中国の自国内にくすぶっている、現体制に対する不満のガス抜きをするために、「反日」や「領土」という言葉を巧みに使って、敵視させる手法は相変わらずだが、今回の「照射」は度が過ぎている。

中国政府の報道官は、その件に関して中国政府は関与していないと表明したが、それならば中国軍艦の司令官等の独断による行為であろうから、その経緯を調査して何等かの対処をすべきであろう。

中国の意図する所にのせられないように、へたに大騒ぎしない方が良い。

火器管制用のレーダーの照射といえば物騒な話だが、「照射」にもいろいろある。

その一例として、「航空レーザ測量」というのがある。

航空レーザ測量とは、航空機に搭載したレーザスキャナから地上にレーザ光を照射し、地上から反射するレーザ光との時間差より得られる地上までの距離と、GPS測量機、IMU(慣性計測装置)から得られる航空機の位置情報より、地上の標高や地形の形状を精密に調べる新しい測量方法。

樹木が繁茂している山林などにおいては、航空機に搭載されたレーザ照射装置から照射されたレーザ光は、樹葉で反射するもの、樹枝で反射するもの、地面まで到達してから反射するものがある。

それらの反射波の中から、地面からの反射波だけを抽出して、それらの反射地点の三次元座標値を把握する事が出来れば、樹林下の地面の等高線などを描画することも出来る。

GPS測量機、IMU(慣性計測装置)と連動しているレーザ照射記録装置であるから、ある瞬間におけるその航空機の地上座標系における三次元座標値と、その航空機の地上座標系に対する姿勢(X,Y,Zの三軸に対する回転角)も同時に記録される。

元々、写真測量技術やリモートセンシング(遠隔探査)技術は、偵察のための技術として発展を遂げてきたこともあり、戦争を契機として飛躍的にその技術は進歩しては来たが、国土の詳細な諸情報を効率よく把握するためには重要な技術ではある。

空から測る技術を駆使すれば、その地域に居住している人たちに知られることもなく、ある程度の精度の地形図を作成することも可能ではある。

先端技術もその使い方次第では「諍い」の原因にもなるし、有益な技術にもなり得る。

「照射」もいろいろ。



豊田一喜







雨で4連休

2013年02月04日 | インポート
雨天のために、本日も作業は休みで4連休となった。

昔から、「土方殺すにゃ刃物は要らぬ。雨の3日も降ればよい。」というふうな言い回しがされている。

安い賃金で、日雇いの仕事をしている土方さんたちにとって、3日も雨が降って仕事ができないと収入が閉ざされ、死活問題になるという喩えで使われていた言い回しだが、今の自分は、まさにそのような土方さんたちの心境に近い。

自然現象の天気のことなので、ばたぐるたって(じたばたしたところで)どうしようもない事ではある。

2月にはいってからの4連休で、今のところ2月の収入はゼロ。

だけれども、米はあるし、体は健康で住むところはあるし、ということで良しとしておこう。

生まれ育ったふるさとに、住みたくても住めない方々に比べれば幸せなのかもしれない。




豊田一喜






小春日和と日なたぼっこと恵方巻き

2013年02月03日 | インポート
今朝の毎日新聞の川柳で、「小春日和(こはるびより)」は冬の季語だと知った。

まだ立春にはなっていないので、きょうの暖かさは「小春日和」と呼べるだろう。

名前は知らない白い小さな花が、小春日和の玄関脇で、きれいに咲いてくれている。

その隣りでは、観賞用の花キャベツ(葉ボタン)もきれいな色合いを披露してくれている。

ネコのモエちゃんも、小春日和の穏やかな日差しの中で、寝そべって幸せそうに日向ぼっこをしている。

その隣りの玄関先に自分も座り込んで、日なたぼっこをしてみた。

小春日和のお日様は、その温かさで、身も心も優しく包み込んでくれる。

健康で、住む家があって、家族がいてくれて、ご飯を普通に食べる事ができている、平凡であることの幸せをしみじみと受け入れる事ができ、節分の日の恵方巻きを食する事ができた小春日和。

名前を知らない白い花と花キャベツ(葉ボタン)
(画像をクリックすると拡大する)
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日なたぼっこ中のモエちゃん
(画像をクリックすると拡大する)
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我が家では節分の定番になってしまった恵方巻き
(雲仙市吾妻町の守山女性部加工組合で製造・販売している恵方巻き。雲仙コブタカナ、カニカマ、卵焼き、キューリ、ニンジン、シイタケ、カンピョウの7種類の具が入っている)
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穏やかな釣り日和

2013年02月02日 | インポート
昨日は雨のために仕事は休みだったために、金、土、日の3連休になった。

昨日も気温が高かったので、雨合羽を着て魚釣りに行こうと思い、班長からの作業休みの連絡が入った後に準備をしていたが、出かける頃になって雨脚が少し強くなったので断念していた。

本日は、手袋をつけていなくても冷たさを感じないぐらいの、穏やかな釣り日和だった。

300円分の青イソメを購入して、雲仙市国見町の多比良漁港に走り、日がな一日、魚釣りに没頭できた。

岸壁や防波堤を釣り歩くと、退屈しない程度に小魚が遊んでくれる。

自分の住んでいる地域は、雲仙断層群という、断層の巣窟のような橘湾に面しているが、そんなことも忘れて、お日様の下でのんびりとした至福の時間を過ごす事ができた。

良い一日だった。


本日の釣果:中央の黒っぽい色の魚はクロソイ、他はタケノコメバル
(一番大きい魚で全長23cm、画像をクリックすると拡大する)
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物事の順序

2013年02月01日 | インポート
物事には、その事象が起きた順序が必ずある。

その順序を考慮しないで結果だけを非難することは、社会正義に照らし合わせてみれば「おかしい」と思えるような報道がたまに行なわれている。

以下の事例の報道も、そのような部類に該当すると思われる。

以下は、産経新聞の記事。

大阪市教委が対応放置 別の高校でも“体罰”発覚、柔道部顧問が女子生徒を平手打ち
2013.2.1 11:36

「下級生に絞め技…制止で」


 大阪市立汎愛(はんあい)高校(鶴見区)で、保健体育の50代男性教諭が昨年4月、柔道の授業中に部員の3年の女子生徒の頬を平手打ちしていたことが分かった。

けがはなかった。同校は同6月に市教委に報告したが、担当の男性指導主事が対応を放置していた。

教諭は「下級生に対し危険な絞め技を行っており、制止するためだった」と説明しているという。

市教委は弁護士5人の市外部監察チームと連携し調査を始めた。

 市教委によると、市立桜宮高での体罰問題が発覚して以降、汎愛高でも複数の体罰情報があがっているという。

同校でも体罰が常態化している可能性が出てきた。

 男性教諭は柔道部顧問で、武道科に所属する女子生徒は同部員。

教諭は昨年4月、和歌山県で行われた同科の2泊3日の校外実習で、柔道の技の練習中に頬を2、3発たたいたとされる。

教諭は「口頭で何度か注意したが危険な行為を止めなかったため」と話しているという。

 同校は保護者に謝罪し、同6月に市教委に電話で報告。指導主事は学校に対し報告書の提出を行うよう指示する必要があったが、怠っており、上司にも伝えなかったという。

汎愛高は普通科のほか、スポーツ専攻の体育科と、剣道や柔道などを専攻する武道科で構成。

 汎愛高の新宅博生教頭は「校長ら管理職を含め外部監察の調査対象になっており、取材には答えられない」とコメントしている。


以上は、産経新聞の記事。


記事の内容が事実だとすれば、指導した柔道部顧問が取った行動は批判されることではないと私は思う。

まず物事の順番として、禁止されている絞め技を下級生に対してかけていた生徒の行動が、この事例の問題の発生源である。

柔道部の顧問教師は、禁止している絞め技を掛けている生徒に対して口頭で注意を与えている。

にもかかわらず、その生徒は危険な絞め技を止めなかったということだから、何等かの他の方法で絞め技を止めさせなければ、絞められている生徒の命にも関わりかねない。

口で言って従わない者には、実力で指導するしか方法はないだろうから、柔道部の顧問教師が取った行動は間違ってはいないと私は思う。

むしろ、禁止されている危険な絞め技を掛けていた生徒に対して、下級生に対する公然たるいじめである可能性を疑うべきではないだろうか。

何でも十把ひとからげにして、「体罰」という表現で批判する風潮はおかしい。

教育の場は、社会正義を教え込む場でもあるから、ルールに従わない者には何等かの制裁があるのだという事を知らしめるという意味において、柔道部顧問が取った行動は「教育」の本質からは逸脱してはいないと私には思える。

体罰を肯定はしないが、上記の事例の場合には教育的指導であり、「体罰」というべきではないと私は思う。

上記の産経新聞の記事は、良心的である表現がしてある。

同じ事を扱っている他の社の記事では、教諭は「口頭で何度か注意したが危険な行為を止めなかったため」と話しているという内容を記述していないものが多い。

一方的に柔道部の顧問教師が体罰の加害者であり、禁止されている絞め技を下級生に対して掛けていた生徒を体罰の被害者であるという構図を描かせようとしているような意図を感じてしまう。

物事の順序をきちんと見極めないと、マスコミのうわべだけの論調に洗脳されて、間違った判断をすることにもなりかねない。



豊田一喜








月末で春のきざし

2013年01月31日 | インポート
厚着をしていると、少し動いただけでも汗が滲むような、暖かい気温の日だった。

つい最近、年が明けたような感覚でいたが、もう1ヵ月が過ぎてしまった。

1月6日までの休みで、1月7日からの作業開始だったが、今月は延べで17日間働かせてもらう事ができた。

月末で春の兆しを感じる事ができた日だったが、2月になればまだ寒い日があるのだろう。

だけれども、テレビの報道で伝えられているような、雪が積もっている地方に比べれば、はるかに暮らしやすい地域に住んでいる事に感謝できる。

穏やかで過ごしやすい日の休憩時間には、少し早めのひばりの鳴き声が空から聞こえ、吹く風も肌に心地よく、お日様の下で働く事ができている幸福感にひたる事ができる。

遺跡発掘の作業期間も残す所1ヶ月を切った。

生まれて初めて従事させてもらった遺跡発掘の作業だが、楽しい事が多い職場だと思う。

2月9日には、少し早目のお別れ会が、1班、2班、3班合同で開かれる予定になっている。

本日は、4区の完堀状況の検査で、標尺を立てて歩いた。

服の下から着ているセーターを、脱いですごす事ができる日々まであと少し。



豊田一喜







蕪池での椎茸の駒打ちの日程

2013年01月29日 | インポート
東彼杵町蕪池の仙人さんのお宅での椎茸の駒打ちの日程が決まった。

2月9日と2月10日の午前10時から午後3時までの間に実施されるという連絡が入っていた。

他の人がするのを見た事はあるが、自分でするのは初めてになる。

駒打ちが終わったホダ木は、蕪池の仙人さんの敷地の森で管理してもらい、いつになるのかは分からないが、椎茸が収穫できる状態になったならば仙人さんから連絡が来るようになっている。

ステンドグラスの製作体験ができる工房も構えておられて、ツリーハウスもあり、春になれば山菜取りも楽しめ、蕪池では魚釣りもできるというような、楽しみの素が満載の場所のように思える。

カブトムシの幼虫も無料で分けてくださるということのようだ。

詳しくはここをクリックして、蕪池の仙人様の「田舎暮らし」というホームページで。

地域の人たちで造成された「蕪池周回道路」の周りには、桜を植樹されているということだから、春先には花見などをして楽しむこともできるはず。

お日様が沈む時刻が少しずつ遅くなりつつあり、春が南の方からゆっくりと近付いて来ている。




豊田一喜




立会いとヘルマート変換

2013年01月28日 | インポート
旧諫早干拓には、2筆で5反(5000平方メートル)の農地を所有しているが、それらの農地の片側は道路に面していて、片側は水路に面している。

その水路の拡幅工事に先立ち、所有している農地の境界を確認するための立会いの依頼が、長崎県県央振興局から業務委託を受けている測量業者からあっていた。

1月26日の午前9時に現場で待ち合わせて、説明を聞いた。

法務局備え付けの登記図面から座標化された筆界点の位置が、現地に復元されてマーキングがしてあった。

実際の現地の現況構造物の位置からは、微妙にズレていた。

色々な要因で、当然そうなる事は分かっている。

過去において、最初に筆界点の位置を決定するために行なった時の基準点に関する測量誤差、その筆界点を測図して図面化した時の誤差、その図面化された縮尺1000分の1の図面から筆界点の座標値を読み取り、座標化する時に生じた誤差、その座標化された筆界点の位置を現地に復元する時の測量誤差などの累積などが考えられる。

ただ、復元されて現地に表示されている筆界点の位置を見て、系統的にズレている事が私には分かった。

要するに、不動と見做せる現地に対して、復元された筆界点の位置に、平行移動と若干の回転がかかっている事が見て取れた。

系統的な誤差は、測量においては規正(補正)や調整が可能である。

結果的に、系統的な誤差は、測量成果の中には残してはならないというのが大前提となっている。

それらの土地の区画は、3方向がきちんとしたコンクリート構造物である道路に囲まれていて、1方向が水路になっている。

ゆえに、以下の方法にて、同時平均的な筆界点の座標値の調整が可能であり、現況の固定された構造物との整合性を保つ事が可能である。

1.その区画の中で表示されている各筆の土地の土地登記簿の登記面積を集計する。

2.座標化された、その区画の外側で囲まれる筆界点の座標値による座標面積計算を実施する。

3. 1.ならびに2.によって計算されたその区画の土地面積の比率を計算しておく。
 最終的には土地登記簿に記載されている土地の面積に合致するように調整しなければならない。

4.現況の構造物で、畦畔(ケイハン)と道路の交点や、道路の隅切り(スミキリ)位置などを実測する。

5.その実測された現況座標値と、登記図面上の筆界座標値とを対応させて、最小二乗法を適用したヘルマート変換式の変換係数を求める。

6.ヘルマート変換式の変換係数が得られたら、登記図面から座標化された筆界点の座標値を、そのヘルマート変換式に代入して、座標変換後の筆界座標値を計算する。

7.最初に計算した区域全体の土地登記簿の合計面積と、筆界点の座標値から座標面積計算した面積との比率を、ヘルマート変換によって求めた重心座標系における座標値に掛けて、調整後の確定座標値を計算しておく。

7.そのようにして得られた筆界点の座標値を、現地に測設すれば、現況の境界との整合が保たれた筆界点を復元する事ができる。

※最小二乗法を適用したヘルマート変換式とは、それぞれの対応する現況の土地の境界座標値と、登記図面上での筆界点の座標値の残差の2乗和が最小となるように調整する座標変換式である。

要するに、同じ位置を測量したと見做される2回の測量位置座標値の隔たりを、同時平均的に調整して、2つの測量結果の座標値相互の整合が取れるように、等角写像性を保持したままで座標変換する方式である。

通常の算数的な数学と違って、対応する基準点の数はいくつあってもよく、それらの基準点における等角写像性を保持したままで、変換後の座標値を求める事ができる。

要するに古い測量成果(今回の場合においては筆界点の登記図面から座標化された座標値)と、それに対応する現況の明確な現地の土地の境界を、なるべく整合させるように、登記図面からの筆界点座標相互の等角写像性は保持したままで、それらの座標値を現地の現況になるべく合致するように、以下の手順にて計算する事ができる。

現況の現地で明確な構造物の実測座標値から、その測量座標系における重心座標値を計算する。
X座標値を合計して、その点数で割れば、X座標値の重心座標値は計算できる。
同様に、Y座標値を合計して、その点数で割れば、Y座標値の重心座標値は計算できる。

次に、登記図面から座標化された筆界点の座標値に関しても同様に、X座標値ならびにY座標値の重心座標値を計算しておく。

それぞれの重心の位置の座標値を、X=0.000,Y=0.000として、それらの重心座標系における座標値を計算しておく。

ヘルマート変換式の本質は、それぞれの座標系における重心座標位置を、X方向ならびにY方向に平行移動させてから合致させ、さらに回転と縮尺の調整をして、座標変換前と座標変換後の座標値相互の等角写像性は保持したままで、座標変換による残差の二乗和を最少に収めるということになる。

昔のヨーロッパの人だとは思うが、ヘルマートさんという人の発想による、優れものの座標変換式で、航空写真測量の空中三角測量の調整式としてはよく知られていて、写真測量の関係者にはなじみのある座標変換式ではあるが、一般的な測量屋さんの中には、あまりなじみがないのかもしれない。

最少二乗法を適用したヘルマート変換式は、非常に便利で、合理的な方法ではあるが、筆界点を復元した相手は、プロのプライドがある現職の測量屋さんなので、あえて強い事は言わなかったが、気になったので1つの処理方式の考え方として記録に残しておく。



豊田一喜


カクテル「ショーコーイン」

2013年01月26日 | インポート
「ショーコーイン」という名前のカクテルを試してみた。

「ショーコーイン」という名前で検索しても、そのような名称のカクテルは見つからないと思うし、レシピも分からないと思う。

なぜならば、それは私が勝手に作って命名したカクテルだから。

台所のテーブルの上に、焼酎が少し入っているビンと、2リットル入りのコカコーラのペットボトルと、安物のワインが少し入っているビンが並んでいた。

翌日が仕事休みの日の晩には、のんびりとした気分になり、食事の前に少しだけ飲んでみたいと思うように、最近はなってきた。

さて、何を飲もうかと思ったが、ストーブで温まっている台所を出て、縁側に置いている冷蔵庫のところまで発泡酒の缶を取りに行くのも寒いしなと思うぐらいの「ふゆみなし」ゆえに、台所のテーブルの上に並んでいる3本の中身を混ぜて飲んでみようと思ってしまった。

ちなみに「ふゆみなし」は、ここら辺の方言で、「めんどうくさがり」とか「まめではない」とかいう意味で、台所の冷蔵庫は、妻が管理する食材などに占拠されているために、私の発泡酒を入れておくスペースがない。

コップに焼酎とコーラとワインを少量ずつ注ぎ、箸でかきまぜる。

これでカクテル「ショーコーイン」のできあがり。

それぞれの分量は、好みに応じて増減すればよい。

私の場合には、コーラをやや多めに入れた。

飲んでみた。

それぞれの飲物の味が、舌の上でそれぞれ自己主張をしてくれて、なかなか面白い味だった。

難点としては、飲みやすいので、ついつい何杯も飲んでしまい、あとで効いてくるということ。

ワインや焼酎の愛好家から見れば、飲み方の邪道と思われるかもしれないが、元々カクテルというのは、いくつかの材料を調合し撹拌して作り出された飲物だから、飲む人それぞれが自由に混ぜ合わせてみて、好みの味を見つければよいと私は思っている。

私の「ふゆみなし」さから作り出された、「ショーコーイン」という勝手な命名のカクテルだが、自分としては気に入っている。



豊田一喜






カンゲとテンゲとオイゲ

2013年01月25日 | インポート
カンゲとテンゲとオイゲは、末尾に「ゲ」が付いているが、いずれも長崎県島原半島では通用する方言の単語。

「カンゲ」は、髪の毛→髪ん毛(かみんけ)→かん毛(カンゲ)と転訛したものと思われる。

「テンゲ」は、手ぬぐい→手んぐい→手んげ(テンゲ)と転訛したものと思われる。

「オイゲ」は、俺の家→俺家(オレゲ)→おいげと転訛したものと思われる。

使い方としては、

「おいげん風呂で、かん毛ばあるち、てんげで拭けばよかたい。」

標準語訳すれば、

「私の家の風呂で、髪の毛を洗って、手ぬぐいで拭いたらいいじゃないですか。」というところか。

言葉は、地域が変われば単語からして異なるものが多い。

島原半島の入り口の雲仙市愛野町と諫早市森山町の境界は、旧南高来郡と旧北高来郡の境界であり、その境は有明川という河川だが、その川を隔てて、言葉の違いが歴然としている。

古い愛野町における以下の文章の意味は、どの程度理解できるだろうか。

「ジブンドキん来たしぇん、シェーはキナにショイばかけち、オツケばのみながっ、モシナオシでシマヲイ。」

標準語訳すれば、

「食事の時間が来たから、おかずは菜っ葉の漬け物に醤油をかけて、味噌汁を飲みながら、温め直し飯で食事をしよう。」

以下の文はどうだろうか。

「こらブエンモンばってん、とれちかったいて時間のたっちょんせんか、いたんじょらんじゃいろカズンじみらじゃでけん。」

標準語訳すれば、

「これは無塩の鮮魚だけれども、獲れてからずいぶんと時間が経っているから、傷んでいないかにおいをかいでみなければならない。」

同じ日本語でありながら、単語自体の意味が分からないと、その内容を正しく理解する事は難しい場合もある。

そうなると当然の事ながら、相手との意思の疎通も難しくなる。

郷に入れば郷に従えというように言われているが、その地域で使われている言葉を覚えて使いこなすことが、その地域になじむための最初の課題の様にも思う。

その地域に無い新しい事を始めると、「しゃーしけて」と思われることも往々にしてあるように感じる。

「しゃーしけて」は、旧北高来郡地方の方言で、「しゃしゃり出て」とか「でしゃばって」とかいう意味。

「しゃーしけて」と思われないように、魚釣りでもして静かに暮らしたい。



豊田一喜