最近忘れてしまうことが多い。
毎日、何をしたかを記録しておかないと、2日ぐらい前に何をしたかすら明確には思い出せない。
そのための備忘録としてこのブログを続けている。
現在は、大村市竹松遺跡のアルバイト作業員として使っていただいているので、記録する内容もそこで見聞した事柄が多くを占めることになる。
仕事場が遺跡の発掘現場なので、発掘の進捗状況をリアルタイムで見聞きできる。
ということは、今まで土中で埋もれていた過去の遺構や遺物との対面が自由に出来る。
発掘作業アルバイト作業員としての特権と言えるのかもしれない。
社会科の歴史の教科書の写真でしか見た事が無いような遺物の実物をみる機会にも恵まれている。
小学校の高学年の頃、石器時代の事を教わる授業の時に、同級生が自分の家の畑から出た物だと言って、刃先がきれいに整形されている石斧を持って来てみんなに見せたことがある。
彼の家の周辺には、「火箱遺跡」と呼ばれている区域がある。
現況は、山すその一面の畑となっている。
石器時代がいつ頃の年代かは知らないが、そのような時代にも彼の家の周辺では、石器を使う人たちが住んでいたのだろうか。
ずいぶん以前に、旧石器時代の遺物をあらかじめ埋めておいてから、自分が掘り出して、教科書の記載内容まで変えてしまったような「神の手」事件があった。
そしてその当時の考古学会も、彼の「神の手」による発掘成果を容認していた。
文献にも残す事が出来なかったような時代の事柄は、埋まっている遺物などから類推するしか無いのだろうから、そこから該当する時代の遺物などが出土したとなると、その遺跡周辺では、人々がそのような時代に生活をしていたのだということになってしまうのだろう。
現在は、そのような事件があったころよりも科学技術が進歩しているだろうから、様々な科学的な方法にて遺物等の年代を検証することも可能とはなっているのだろうが、まずは、専門知識を持った調査員の方々の蓄積された知識と経験によって判断されるものと思われる。
調査員の方々は、出土した土器や陶器・磁器などを見て、何々時代の中国製品などと即断される。
常々思っていることだが、本当にそのような焼き物は、その時代には中国製しかなかったのだろうかという疑問を持っている。
もしかしたら、いにしえの日本人の中の誰かが、中国の製品と同じ様な製法を、試行錯誤の末に完成して、同じような時期に製造していたのかもしれないと空想する。
学問や技術は、同時発生的に別々の場所で発想されているような事例もある。
恣意的に埋めて掘り出した石器によって、教科書の記載内容までも変わってしまうような学問の世界だから、現行の定説が、何等かの発見で覆される可能性を多く秘めているのではなかろうか。
豊田一喜
毎日、何をしたかを記録しておかないと、2日ぐらい前に何をしたかすら明確には思い出せない。
そのための備忘録としてこのブログを続けている。
現在は、大村市竹松遺跡のアルバイト作業員として使っていただいているので、記録する内容もそこで見聞した事柄が多くを占めることになる。
仕事場が遺跡の発掘現場なので、発掘の進捗状況をリアルタイムで見聞きできる。
ということは、今まで土中で埋もれていた過去の遺構や遺物との対面が自由に出来る。
発掘作業アルバイト作業員としての特権と言えるのかもしれない。
社会科の歴史の教科書の写真でしか見た事が無いような遺物の実物をみる機会にも恵まれている。
小学校の高学年の頃、石器時代の事を教わる授業の時に、同級生が自分の家の畑から出た物だと言って、刃先がきれいに整形されている石斧を持って来てみんなに見せたことがある。
彼の家の周辺には、「火箱遺跡」と呼ばれている区域がある。
現況は、山すその一面の畑となっている。
石器時代がいつ頃の年代かは知らないが、そのような時代にも彼の家の周辺では、石器を使う人たちが住んでいたのだろうか。
ずいぶん以前に、旧石器時代の遺物をあらかじめ埋めておいてから、自分が掘り出して、教科書の記載内容まで変えてしまったような「神の手」事件があった。
そしてその当時の考古学会も、彼の「神の手」による発掘成果を容認していた。
文献にも残す事が出来なかったような時代の事柄は、埋まっている遺物などから類推するしか無いのだろうから、そこから該当する時代の遺物などが出土したとなると、その遺跡周辺では、人々がそのような時代に生活をしていたのだということになってしまうのだろう。
現在は、そのような事件があったころよりも科学技術が進歩しているだろうから、様々な科学的な方法にて遺物等の年代を検証することも可能とはなっているのだろうが、まずは、専門知識を持った調査員の方々の蓄積された知識と経験によって判断されるものと思われる。
調査員の方々は、出土した土器や陶器・磁器などを見て、何々時代の中国製品などと即断される。
常々思っていることだが、本当にそのような焼き物は、その時代には中国製しかなかったのだろうかという疑問を持っている。
もしかしたら、いにしえの日本人の中の誰かが、中国の製品と同じ様な製法を、試行錯誤の末に完成して、同じような時期に製造していたのかもしれないと空想する。
学問や技術は、同時発生的に別々の場所で発想されているような事例もある。
恣意的に埋めて掘り出した石器によって、教科書の記載内容までも変わってしまうような学問の世界だから、現行の定説が、何等かの発見で覆される可能性を多く秘めているのではなかろうか。
豊田一喜