蓼食う虫ブログ

倫理について その13 他者の欲望の取扱説明書 各論 そのまたつづき

4.「相手が自分にされたくないと考えているだろうことは基本的には相手に行わないが、必要だと考えられる場合には無理にでも行なう」

 「自分がしたいことをやるのは当然だ」と思わないこととも重なるが、強制が必要なことも場合によってはある。

 その場合、これは強制だと勘付かれないように、あるいは相手のためを本当に思って(いるかのように)、穏やかにパフォーマンス、演技すること。

 あるいは、楽しいことが苦ではないと刷り込まれているような人々には、こっちの水はあーまいぞ、とでも歌うかのように、楽しさ、なる大いなる付加価値をつけることが重要であろう。

 「教育」という名の、現時点での、あるいは普遍的な、ぜひとも所属している人々(ひとりでいいかも、あるいはひとりでも私にとっては難しいのか?)と一度だけ話したいと思っている、日教組様が目指している「必要」な洗脳(自分の頭で物事を考えたいと思うことができるようになると、これは簡単に解ける可能性があると思う。あるいは、玉石混交の言葉の中に、目の醒めるような思想、知識、知恵などがひっそりと宝物のように紛れ込んでいる場合もありそうなので、この言葉が適切かどうかはみなさんのご判断にお任せしたい)がその代表。体罰も、場合によっては、いわゆる感動的なドラマを生む可能性があるとしておこう。まったく必要がないと一般的にみなされる場合の体罰は、暴力あるいは虐待でしかない。

 しかし、後になってそういった

「想い出が、美しく、彩りを変えてゆく」(角川ルビー文庫 ごとうしのぶ 著、タクミくんシリーズ 「そして春風にささやいて」より「June Pride―6月の自尊心―」から引用)

そういうこともあるかもしれない。しかし慎重に慎重に。生殺与奪の権限をあたかも持ってるかのように振舞うことで本当はじゅうぶんな、はず。国家もガッコの先生も。今までの議論の中で、自分のところを「国家、先生」という人格、他者というのが「自分自身」に置き換えてみよう。
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