メンターから教わった成功哲学

資産2億円以上。手取り18万円の介護職からスタートした私が成功するまでのストーリー。

第2話

2023-08-31 07:00:00 | 日記

そもそも私が介護職を始めたきっかけは、知り合いに勧められたからだった。<o:p></o:p>


N君は見込みがあるよ、まずは介護職からでもいいから仕事をしてみないか?私が知っている先生がやっている病院だけど、有能な右腕を探していてね。最初は介護職からスタートして、そのうち先生の秘書的な存在になれると思うから頑張ってみない?」<o:p></o:p>


そのような口説き文句だったと思う。今思えば、そんなおいしい話があるはずがない。後に知ったことだが、私を職場にスカウトした人は派遣会社の社員で、介護職を病院に紹介してお金をもらっていた。それほど、介護職になりたがる若者は少ないのだ。<o:p></o:p>

 

私は、それまでやっていた仕事に嫌気がさして逃げるように退職をしたばかりだったので、その話に半分騙されて介護職という仕事を選んだ。最初は、自分は介護職だけど特別な存在で、いずれは院長の右腕として働くのだと本気で思っていた。数ヶ月経てばそんなのは実現するはずがないと気づくのだが。しかし、結果としてその職場でメンターと出会い、私の人生は大きく変わっていくことになる。<o:p></o:p>

 

Aさんは他の人から見れば変わり者だったのだろう。介護職にも関わらずスーツで出勤するし、髪型はきっちりと決まっている。別の仕事を持っていて、介護職は副業じゃないかと噂する人が出てきた。しかし、誰にでも親切に接するし挨拶もしっかりとしてくれる。ベテランの介護職のおばちゃんも最初は「新人への洗礼だ」などと言って、仕事をわざと残したり嫌がらせのようなことをしていたが、嫌な顔ひとつせず仕事をするAさんをだんだんと認めていった。<o:p></o:p>

 

介護職のメンバーでは時々、飲み会をやって愚痴を言い合っていた。そこにAさんを誘ったこともあるが、いつも彼は「予定があるから、申し訳ありません」と丁寧に断って参加することはなかった。最初は「ノリが悪い奴だ」と陰口を言う人もいたが、Aさんの性格や仕事をしっかりとする姿勢に陰口を言う人は減っていった。<o:p></o:p>


第1話

2023-08-30 08:00:00 | 日記

私の名前はN、現在の資産は2億5000万円ほど。

既に出世には興味がなく、好きな仕事だけを選んでやっている。私は人からは成功者だと呼ばれる。私自身は最高に楽しいと思える毎日を過ごしているが、成功者という自覚はそれほどない。おそらく、この記事を読んでくれているあなたと生活はそれほど変わりない。違うとすれば、一生お金のことで悩まなくていいことや、お金を目的に働かなくてもいいことくらいだろう。特別に美味しい食事を毎日食べているわけでもないし、特別に高級なもので身を固めているわけでもない。

 

しかし、私の人生も順風満帆ではなかった。20代は借金まみれ、病院の介護職として手取り18万円程度。学歴は専門学校卒、大した資格や技術も持っておらずに途方に暮れていた。そんな私に転機が訪れたのは20代も後半に差し掛かったところだった。

 

介護職をしていた私の同僚が私を救ってくれた。彼は後に私のメンター、つまり師匠になってくれる人だ。ここでは名前をAとしておく。Aさんは私よりも入社は1年くらい遅かった。独特な雰囲気を持っており、何よりも印象深いのは職場でユニフォームに着替えるにも関わらずスーツで出勤していたところだ。さらに毎日髪型まできっちりと整えてくる。私の同僚の介護職ではヨレヨレのポロシャツとジーンズとサンダルで出勤して、髪の毛も伸びっぱなしという人が多かった。私も例外ではなかった。

 

全国の介護職がそうなのかはわからないが、私の職場では介護職は空気のようなものだった。看護師はすれ違っても挨拶もせず、作業をしていたら邪魔だと言わんばかりの雰囲気を出してくる。病棟の忘年会や新年会にもお誘いの紙が回ってくるが、暗黙の了解と言わんばかりに介護職は全員が欠席する。過去にお誘いを真に受けて忘年会に参加した同僚がいたらしいが、それこそ会場の隅っこでほとんど話しかけてすらもらえずに気まずい時間を過ごしたそうだ。それ以降、介護職の間では空気のようにひっそりと存在して、作業をこなすだけの存在でしかなかった。