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雨あがり

人生、雨降って地固まる

ビエドマ その2

2013-01-29 23:53:39 | 日記
時間がゆったり(笑)流れているので、非常にのんびりしています。


インターネットでビエドマを調べました

以下は、そのWikipedia内のコピー。来てみなければ、調べる事もしないくらい遠いですからね(^^)

あっ、信号機もありました(笑)


やはり歴史ある古い都市なんですね。



ビエドマ(Viedma)は、アルゼンチンの都市。人口47246人(2001年)。リオネグロ州の州都である。

リオネグロ川の南岸に位置し、大西洋からは川を30kmさかのぼった地点に位置する。首都ブエノスアイレスからは国道3号線で960kmはなれた地点にある。ビエドマは川の北岸にあるブエノスアイレス州のカルメン・デ・パタゴンとは双子都市をなしている。ビエドマはパタゴニアで最も古い都市のひとつであり、Francisco de Biedma y NarváezによってNuestra Señora del Carmenの名で1779年4月22日に建設された。もともとカルメン・デ・パタゴンとビエドマとはひとつの都市であり、カルメン・デ・パタゴンと呼ばれていた。最初にFrancisco de Biedma y Narváezによって砦が作られたのは川の南岸、現在のビエドマであるが、数年後に破壊され、再建された砦は川の北側、現在のカルメン・デ・パタゴンに移設された。この砦長期間持続し、現在でも塔が残っているほどである。この砦を中心に町は発展し、やがて川を越えて現在のビエドマまで街が拡大した。しばらくして、川を境に街は分割された。
フリオ・アルヘンティーノ・ロカ大統領の時代、1870年代の「砂漠の征服」によってアルゼンチンの領土はパタゴニアに大きく拡大し、この街はアルゼンチン領パタゴニアの首都となった。やがてパタゴニアは分割され、リオネグロ地区が成立。初代知事だったアルバロ・バロスは、1879年にこの街の名をビエドマへと改名した。1900年の洪水時には、リオネグロの首都はChoele Choelへと一時遷されたが、すぐにビエドマへと戻された。
1980年代後半、当時の大統領である急進市民同盟のラウル・アルフォンシンは首都移転を唱え、ブエノスアイレスからビエドマへの首都移転法案を国会に提出した。1987年にこの法案は下院を通過したものの、上院が可決せず廃案となった。
ビエドマを中心とするリオネグロ川下流域のの経済は牧畜が中心であり、ムラサキウマゴヤシ(アルファルファ)やタマネギ、トウモロコシなどが栽培されている。しかしながら、ビエドマの最大の産業は州都であること、つまり行政都市としての経済活動が最も大きな割合を占めている。
市内中心部から6km離れた所にはGobernador Castello空港があり、ブエノスアイレスやバリローチェ、ネウケン、プエルト・マドリン、トレリュー、コモドロリバダビア、マルデルプラタなどの国内各都市にフライトがある。空港の年間利用者は30000人にのぼる。街から30km下流には大西洋があり、エルコンドル・ビーチリゾートがあって多くの観光客が訪れる。


アルゼンチン:ビエドマ 

2013-01-29 20:13:49 | 日記
現在、29日朝8:33。日本と12時間の時差です。
今朝は、練習はなし。ブラジルでのレース後、早朝の(夜中です)出発だったため、寝られず、選手の疲労も大きい。まだぐっすり寝ているようです。

私は、朝食後ロビーでこれを書いてます。



さて、こちらでの様子です

昨日、夕食の帰りに川縁を歩いてホテルまで戻りました。


たくさんの人たちが川で泳ぎ・散歩し・ゆったりと過ごしていました。犬も多かった





レース会場の川






時間の流れ方が違う気がします。夜遅くまでにぎやかでした。(夜中、音楽がんがんでうるさかった:笑い)

ホテルの前






ちなみに、ビエドマに来て、まだ一つも信号機をみていません・・

道路が交差しているところは、スピードを落とすように段差がある

無いはずは無いと思いますが・・・


川向こうは ブエノスアイレス カルメン・デ・パタゴネス







調べてみると、歴史的な建物も多いらしい。


食べ物は、やはり・・日本が一番良い(^^)

朝食は、パンとハムとチーズと果物。ブラジルでもそうだったが、野菜は無い・・
ホテルの珈琲は、美味しくない

こちらでの昼食・夕食は、近くの(歩いて10分)川縁のレストラン。唯一のレストラン・・と言ってたけど。
昨日の夕食はラザニアと魚の揚げ物(これは日本の味ににておいしかった:ツナのコロッケ)



ブラジルのレースが終わり、アルゼンチン入りしました

2013-01-29 06:16:12 | 日記
ブラジル サントスでは、悪天候でレースの開始が遅れましたが、無事に終了。

裕美は、38人中22位。

アメリカとイタリアの選手が上位を独占。圧倒的な強憂さです。
今回は、ロンドン五輪の金メダリストも途中棄権するなどの、タフなレース。波にもまれ身体接触が多かった中、かなりきついレースでした。

男子で出場した、ミキハウスの小林君は、身体接触で軽い脳しんとうを起こしたらしく、残念ながら途中棄権。

裕美も最後は失速。


私は、初めての船での給水。酔わなかったのが不思議なくらいの波でした・・・・

気持ち悪くなりそうでならずに済んだ。屋根のある船で座っていたので、気持ち悪くなりかけましたが・・

4時間、私も頑張った(笑)とはいえ、2時間で3回の給水地点通過なので、30分は、本当に暇。

同じ船には、イタリア・アメリカ・ブラジルのかっこいいコーチも居たので楽しかった??(笑)








レース終了の翌日2:30にホテルを出て(結果、セレモニーもあったので寝ていません)
アルゼンチン ビエドマへ

まずは、ブエノスアイレスで乗り継ぎ待ち

相変わらず、珈琲は美味しい!!しぼりたてのオレンジジュースも美味しい!!


で、ビエノバへ

着いてビックリ・・・西部劇に出てくるような遠くに見える町並み。舗装されていない道路も多い・・・

田舎です・・ただ。気候は涼しく、湿気も少なくて、本当に気持ちがいいです。ホテルの前の川では、たくさんの人が泳ぎくつろいでいます。レースも、この川だと思います(^^)

写真は、練習用の大学のプール(25m)









サントス

2013-01-26 20:44:32 | 日記


日本人移民第一号の船はここサントス着だったらしく、日本人も移民の方がたくさん居て、スーパーでもレストランでも、片言の日本語が出てきます。また、非常に友好的です。

お世話してくれる男性は、野球チームで日本語を少し覚えたとの話だし、もう一人の方は、彼女が日本人で高知にいるとの事。日本人は繊細なところが素晴らしいと言っていました。

ただ、こちらで野球は外国人しかやらないらしい。サッカー以外のスポーツは、やはり盛んじゃないとのこと。

二年半前にリオデジャネイロに競泳のW杯でいきましたが、こちらサントスのが綺麗だし、安全な雰囲気があります。それは、地元の人も話してました。

海は近いですが、まだ、行ってみてません。今日の午後、コース確認に行くついでに散歩してきます。
雨模様ではありますが…σ(^_^;)