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かずさんの、ふらり日々是好日の記

ふっても てっても  日々是好日  泣いてもわらっても 私の一生の中の きょうが一番いい日だから

857 桂離宮と鈴虫寺

2012-05-27 | 2012立夏~
 約4か月前に申し込んで見学の許可を貰っていた京都の桂離宮に行ってきました。

 阪急電車の桂駅で下車して、ちょっと時間があったので離宮畔で見つけた創業明治16年の中村軒という和菓子屋さんで「みな月」や黒蜜だんごなどを頂いて、



所定の集合場所に集まりました。外国人を含んで約25人ぐらいが受付を済ませて案内の方に伴われて約1時間のコースでした。

 桂離宮には、新入社員の際の研修時以来ですが、やはり、年がいって良さがその時よりも何となくわかってきたような気持ちがしました。現在の山荘の姿に整えられたのは1660年ごろのようで火災にあっていないので殆ど完全に創建当時の姿を今に伝えているようです。今の時期は青葉がきれいですが、紅葉の頃はひときわでしょう。
















桂離宮の後は、嵐山方向に10分ぐらい車を走らせて、とろろそばの昼食をして鈴虫寺に向かいました。



鈴虫寺は、京都の旅行ガイドなどではよく出ているようですが、若い女性や若者にとても人気のようで(知りませんでした(^_^;))GWの頃などは、2~3時間ぐらいの待ちになるようです。

 200人ぐらい座れる本堂でお茶とお菓子をいただきながら、お坊さんが30分ぐらいの軽妙な説法をしてくれます。1年中鳴いているという鈴虫はリーんリーンといくつか並んだ飼育ケースで鳴いていました。



こちらでは、一つだけ願掛けをするとわらじを履いているという珍しいお地蔵さんが家まで願いをかなえに来てくれるとのことで、その幸福御守を殆どの人が買っていました。



鈴虫寺からは、松尾大社まで山沿いの道を歩いて、阪急の松尾駅から帰途につきました。

そうそう、大阪の駅前第4ビル前の歩道の宝くじ売り場には、こんなショーケースがありましたよ。これまで、すごい数の高額当選が出てるようです。最後は、俗っぽいことで終わりました。




 



856 楽しきかな人間模様(*^_^*)

2012-05-18 | 2012立夏~
金曜日になりました。4月下旬に採血した定期健診の再チェックの結果をもらったら、10年後の心疾患の可能性は「中程度」とのこと。先日、ある方から、リンパのがんで若くなくなった同期の立派だった闘病生活のことを伺いました。

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 今朝の2時間ぐらいの通勤途上、JRの四人掛けに座っていると、普段見かけないたぶん80代後半はいってられるなぐらいの見るからにお年寄りという婦人と私より上かもしれないなという男性が前に座られました。たぶん、夫婦というより親子かなという感じです。拝見しているとそんなに話をされていることはありませんでしたが、西明石で降りられるときは、息子さんがそっけない中にも気遣ってられて、なんかほのぼので嬉しくなりました。

 当時では超高齢出産してくれた私の母は、存命なら百歳はとっくに超えている明治人ですが、残念ながら30年ぐらい前に亡くなりました。今生きていてくれたらもっと優しく接することができるだろうなと思いますが、でも現実になればどうでしょうね・・・。

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 行きつけのこのブログでも何度か紹介したおでん屋は、カウンターで15席ぐらい、路上のテーブルで10人ぐらいの狭さですが、ビジネス帰りの客で、夏場でも時間によっては待ちの人が並んでいます。
 
 横にいた黒スーツの女性二人に、煙草良いですかと聞こうと思って20代前半のギャルに声をかけると「すみません!声が大きすぎますか?」との反応がありました。

「ボリュームあげていいですよ。で、タバコ吸っていいですか?」と聞くと、「どうぞどうぞ」との快諾でした。 その女性二人は、スパークリング清酒を結構ぐびぐび飲んでいましたが、隣のおっさんの問いかけに、まず自分の振る舞いについての自省の反応を返すのはあまりないことのように感じました。

会話の断片からは営業関係の職場のようで、自分が一番という職場ではなく気配りをする習慣があるんだなと感じた次第。

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明日は、源氏物語の「柏木」の巻の勉強会ですが、柏木が、源氏の正妻女三の宮と密通したことが知れ、その勘気が解けず死を覚悟した懊悩の末、生を終わり、女三の宮が出家する感傷にあふれる巻です。
男女のことは時代時代ですが、平安はとても純な時代でもあったんですね。フランスでは事実婚のファーストレデイー誕生ですが、時代とともに変わっていくんだな~。

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 明日夕方は、昨年のいい夫婦の日に入籍した、息子夫婦との晩飯をします、楽しみです((*^_^*))。

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 話は変わりますが、21日の日食の観測準備はされましたか?大阪は7:30ぐらいが真っ盛り、関西で職場が近い方はぎりぎり出勤前に金環日食を見れそうですね。問題は天候(笑)。かずさんは、大阪での用務の前に見れるかな~~?



855 平城京の朱雀大路は御堂筋の約1.7倍の幅!!

2012-05-13 | 2012立夏~
 13日(日)は昨日に続いて平城京の大路の学習です。

JRの旧奈良駅は古都らしいたたずまいです。


 奈良県立考古学研究所の「大和国条理復元図」上で推定した朱雀大路や壬生大路、二条・三条・四条の各大路を、現代の一万分の一の地図上に置きなおしていきます。

現代の1万分の一の地図では、大路が削られて人家が有ったり、池が埋め立てられたり、工場ができたりで往時の面影はほとんど残っていませんが、平城宮の近辺は近年まで比較的田んぼで残されていましたので、昨日行った奈良の市街よりはまだ痕跡が残っているとのことです。
下の写真は、その現代地図上に置き換える作業をした資料です。右の古地図から現代の地図に置き換えます。



平城宮は近鉄電車で見るだけで、1300年遷都のときも行きませんでしたので、初めて復元された朱雀門を見ました。

とにかく、平城宮は広いですね。中国の都、長安かな?を模したんでしょうが、当時はアスファルトやセメントの舗装なんてないですから、風で砂がまったりで、今NHKでやっている平清盛の画面が汚いという声がありますが、
古代はそんなにきれいじゃないだろうなとの実感です。
 
平城宮の正門である朱雀門





につながる朱雀大路は幅が74メートルとのことです。なんとこの幅は大阪・御堂筋が44mですからあの約1.7倍もあるんです。


 現在の朱雀大路だったところは積水の工場がその何分の一かを占めていたりしますが、ま~よくこんな広い大路を作ったなと思わせます。
下の写真は、朱雀大路だったところから北に向かって朱雀門を撮影したものですが、右側はほぼ本来の幅まで確保されていますが、左側は工場になっていて、どこまでが大路だったのかはわからない状態です。



 朱雀門から、近鉄電車をはさんで北には、大極殿が復元されています。
平城宮や大路の巨大さには、 10年以上前に訪れた記憶ですが中国の紫禁城や天安門広場のような広がりを感じました。

朱雀大路を南下していくと、下の写真のように薬師寺の西塔と、大修理のため素屋根で囲われている東塔が遠望できましたよ。



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 今朝の、奈良女子大の学生寮の中庭では鹿が何頭かのんびりしていました。奈良らしい光景でした。


 本日の万歩計は15566歩、二日間で三万歩でいささか疲れたのでマッサージャーのお世話になります(笑)。






854 平城京の古道と奈良女の学食ランチ!

2012-05-12 | 2012立夏~
 私の年代の学生のとき、奈良女子大の女子学生(女子校ですから当たり前ですが)には、京大や大阪大とは異質の、憧れというか、才媛ぞろいの賢い学生でちょっと近寄りがたいようなイメージがありましたが(今も偏差値高いんでしょうね。)、今日は、その奈良女子大学の学生食堂で、ランチをしてきました。

 というのは、「古道の歴史地理」というテーマの講義が、奈良女子大隣接の建物であって勉強する機会があったからです。

 先生は、同大学名誉教授の方ですが、平城京の大路が奈良女子大近くではどこになるのかなどをいろんな事象から推測して考えることが今日のテーマです。

 私には、とても新鮮で、へ~と目からうろこの発見がいくつもありました。

たとえば、東海道という街道は、江戸時代の安藤広重や、写楽の浮世絵で有名ですが、今日の授業を受けるまでは京都から、山科や大津から関東に至るルートだけが東海道と思っていました。
 でも、平城京や飛鳥に都があった藤原京の時代の東海道は違ったルートだったようです。

 古代の中心的な道は、七道と言って、大路が山陽道(大宰府道ともいう。)、中路が東北地方の東山道と東海道、小路が北陸道、山陰道、四国の南海道、大宰府と九州各地を結ぶ西海道の七つが官道といわれる計画道路でした。

 これら七道は、都と、各地方の国府を結ぶもので、都が奈良にあった時の東海道は、当然、今のルートと異なりますし、藤原京の時の東海道は、三重県名張の辺りを通って関東に向かっていたようです。
 また、山陽道が大路といってメインの道ですが、これは都と九州・大宰府を結ぶものでした。古代の大宰府というのはとても重要都市だったんですね。

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 そして、平城京には、朱雀大路を初めいくつもの大路がありましたが、今でもその場所の片鱗が推測できるところが残されています。奈良女子大近くのNHKの建物が面する車がすれ違い難いような道もその一部のようで、もともとはその数倍の広さの大路だったようですが、その大路の上にいつの間にか人家が建って今の道路のように細くなってしまったようです。


この駐車場は昔の大路だったところで、手前の道路から奥の小高い塀のところまでが平城京の大路だったようです。

 東大寺の国宝、転害門(てがいもん)前は、片側2車線の道路ですが、もともとは門の前の緑地部分までが大路だったようで、想像すればものすごい広い大路だったんです。



 2010年は平城京遷都1300年でしたが、このように、その昔の大路をかいま見ることのできる得難い経験でした。
 そして、聖武天皇陵で今日はThe endです。


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そうそう、ランチは女子大の学生食堂です。


何しろ女子大の学食で食べるなんて生まれて初めての経験で、周りのほとんどは賢そうな女子学生で、何となくお尻がムズムズ、面はゆいひと時でした。
 キャンパスは、とてもかわいく綺麗で、師範学校時代の本館は重要文化財になっています。






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明日は平城宮に行ってきます。ここも初めてで、楽しみです。




853 楽しんだ倉敷散歩

2012-05-06 | 2012立夏~
 新幹線のこだまの車窓からは元気よく泳ぐ鯉のぼりが見られます。5日は快晴の倉敷を訪れました。

 岡山で乗り換えて倉敷方面のJRに乗り換えるとカップルや、女の子たちで満員状態で驚きました。「みんな倉敷の美観地区かな?」とやや人出に恐れをなしていたところ、ほとんどは北口のアウトレットモールに向かいましたので、一安心でした。

 国際ホテルのガーデンバイキングで腹ごしらえをして、まずはお目当ての大原美術館です。一時期だけ公開している有隣荘もついているチケットを買いました。

 大原美術館は、友人が住んでいた40年以上前と、15年ぐらい前との3回目です。コレクションはほとんど変わっていませんが、先日100億円ぐらいで落札されて話題を呼んだムンクも、「叫び」ではないですがありました。
 
美観地区は、整備が進んだようです。お隣のカフェ エルグレコもやはり人気です。



美術館正面前のカレーの市民も健在です。


児島虎次郎記念館は初めて入りました。年齢とともに色調が明るくなっています。

有隣荘は大原家の別邸で、もともと美術館創立の大原孫三郎が妻を気遣い家族療養の場として構想されたとのことですが、屋久杉の天井や正目のヒノキ材や贅を尽くしています。屋根瓦が青空に映えてとても美しいです。






アイビースクエアでは一休みです。



 日没まで、美観地区の蔵を改造した食事処でままかりや、シャコの天ぷらを肴にすごし、満月の美観地区を楽しんで帰途につきました。




 3,4,5日と、大阪、京都、倉敷とやや遊びと歩き疲れでしたが、今年のGWは近場で楽しめました。
 最後の休みは、明日からの仕事に向けて、ちょっぴり日常生活復帰へのリハビリの一日になりそうです。

では、美観地区の写真をいくつか。