錦鯉とカメラ

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

今日のカメラは MIRANDA Sensorex Ⅱです

2018-02-19 13:10:00 | 趣味

2018年2月19日




 

MIRANDA Sensorex Ⅱ カメラヤフオク!
Miranda研究会サイトより
ミランダの命名の由来は、ミランダ発表時の荻原 自ら執筆の写真工業誌の記事によると、「なんとなく(語感がいいから)」とあります。
荻原さんはミランダと天文の関係を明示したことはありませんでしたが、然し丁度その頃太陽系の天王星に新たに衛星が発見(1948 年)されその衛星の名は偶然にもMirandaでした。
1957年(昭和32年)にオリオン精機は ミランダカメラと改称して順風満帆に見えたのですがしかし 旭光学(ペンタックス)、千代田光学(ミノルタ)、東京光学(トプコン)の大企業がペンタプリズム式一眼レフで後を追いさらに1959年に 日本光学(ニコン)とキヤノンが35mm一眼レフを発売しますと規模の小さなミランダカメラは段々太刀打ちできないようになり1976年(昭和51年)には頼みの輸出も不振に陥り悲運にも倒産に追い込まれました。
『MIRANDA Sensorex Ⅱ (画像)』


錦鯉(youtube)
5t池に85㎝を頭に15匹泳いでます。






PETALカメラ(youtube)
1948年聖ペテロ光学というメーカーから発売されました世界最小カメラとしてギネスブックにも掲載されたという直径約3センチの極小カメラです。
円型の専用マガジンには直径24ミリのシートフィルムが入っていて6ミリ径の写真が6コマで一周ならんで写ります。
フィルムの詰め替えは35ミリフィルムなどを10円玉を型にして切り取って使用します。ボディの中心よりやや上あたりには12ミリF5.6の固定焦点のレンズがついています。ボディ上には小さな透視式ファインダーその横にエバーセットのシャッターこのシャッターはボディ前面についているダイヤルによってBとI(1/50秒)の切換えができます。
ボディの回りにはコマ送りのリングが付いていて1から6までの数字が刻まれています。リングを回すことにより本体の下半分と中に入れたマガジンが同時に回転し次のコマに撮影ができます。


 

小千谷市錦鯉の里オーナー鯉






今日のカメラは AIRESFLEX YⅢです

2018-02-17 20:04:39 | 趣味

2018年2月17日


 

AIRESFLEX YⅢカメラヤフオク!
アイレス写真機の前身は1949年に設立され東京都港区芝新桜田町(現西新橋)6番地にあったヤルー光学です。
三橋剛社長は機構がシンプルで製作が容易な6×6cm判二眼レフカメラこそが進むべき道だと考え社員の小寺桂次氏を起用し田村町の事務所でローライコードの部品を図面に写し何度かの試作を経てアイレス写真機製作所を1950年8月に創立、1950年9月に最初のカメラとして6×6cm判二眼レフカメラのアイレスフレックスYIを発売しました。
折から日本では二眼レフカメラのブームが始まりこの波に乗ってアイレスフレックスシリーズの販売は好調なすべり出しをみせた。
二眼レフカメラの売れ行きは好調だったが三橋剛社長以下カメラ開発スタッフの決断で1954年6月にアイレス35を発売した。
その切っ掛けは1954年4月のライカM3発表にあたり昔造兵廠で「11S」と呼ばれていた戦闘機機関砲用照準具と同じ機構であることに着目しその光学系を利用したブライトフレームを持つ二重像合致式距離計ファインダーを設計してアイレス35IIとして発売しこのファインダーは「トリミングファインダー」と呼ばれて好評を博し35mmカメラの分野でもアイレスの地位が確立していった。
不運にも1956年2月カメラ組立部門であった第一工場で若い工員が溶剤を持ったままダルマストーブのそばで転倒し火災となって第一工場は全焼した。
すぐに代替地を検討し新宿区西大久保1丁目にあった4階建ての元倉庫兼工場に1956年7月に移転し生産ラインはベルトコンベアを導入して生産能力も完全に復活して幸いアイレス35シリーズの販売は好調であった。
1957年2月に三橋剛社長と小寺桂次氏は次のステップとしてレンズ交換式カメラを考えアイレス35Vの設計を始めた。
その後レチナが念頭にあったのではないかと推測されるが当時のユーザーの要求をすべて具現化したが売れ行きは良くなくその後次々新製品を出すが事業継続不能に陥り1960年7月に倒産し会社更生法の適用を受けた。
『AIRESFLEX YⅢ (画像)』



 


錦鯉(youtube)
5t池に83㎝を頭に15匹泳いでます。



 

STEKYカメラ(youtube)
1947年理研光学(現リコー) 坂田秀雄さんの設計により製作された16ミリフィルムを使用するカメラです。
敗戦後突如日本に現れて進駐軍兵士の人気をさらっていたのが「豆カメラ」という画面サイズ14×14ミリのカメラでしたがこれらのカメラは大半が玩具的な域を脱しておらず作りも粗悪なものが少なくなかったようです。
そんな時本格的な写真がとれるカメラを目指して作られたのが「ステキー」だったのです。他の豆カメラが幅17.5ミリで裏紙付きのフィルムを使用していたのに対しステキーは16ミリ幅のフィルムを裸で巻いたものをカセットに入れて使う方法を採用しています。 また画面寸法は、16ミリ映画フィルムのパーフォレーションを考慮してか10×14ミリとなっています。
ボディ横のフィルムカウンターには24まで目盛りが刻まれていますが、実際は45センチ程の長さのフィルムを使用して20枚撮りとしていたようです。


 

小千谷市錦鯉の里オーナー鯉





今日のカメラはargus C3です

2018-02-15 14:24:34 | 趣味

2018年2月15日


argus C3カメラヤフオク!
1929年からラジオを製造していたInternational Radio Company(IRC)がルーツです。1936年にModel Aカメラの製造を開始し、社名もArgusとしました。
アーガスC3カメラは1930年代~60年代30年近く続いたロングセラーカメラです、アメリカのラジオメーカー・IRC社から発売され、形が非常にユニークな直方体をしていることからアメリカでは「レンガ」名で親しまれてました、外装のシルバーカメラは映画ハリー・ポッターに登場し有名です。
『argus C3(画像)』



 


錦鯉(youtube)
5t池に85㎝を頭に15匹泳いでます。



 

空軍用KODAK Signet 35(KE-7)カメラ(youtube)



 

小千谷市錦鯉の里オーナー鯉






今日のカメラは OLYMPUS PEN-Fです

2018-02-14 17:37:08 | 趣味

2018年2月14日




 

OLYMPUS PEN-Fカメラヤフオク!
1961年ごろからハーフサイズカメラのオリンパス・ペンの成功を受けてシリーズの設計者米谷美久氏はハーフ判の画面が縦長になることからフランジバックを短くできるように通常は上にはねあげるミラーを横に開閉する形式の設計を考えそれに合わせてペンタプリズムを使わずポロプリズムで画像を導くファインダーを導入する画期的な着想を得た。
チタンを利用したロータリー式のフォーカルプレーンシャッターを開発するなどしてペンFは1963年5月に発売にこぎつけた。
ファインダー像が全部で4回反射するうちの第3反射面をミラーとして、第4反射面の間にルーペを置くという設計を行なった。
ペンFTではこの第3反射面をハーフミラーとして、その背後にTTL露出計を置くこととした。
これらの機能的な必然性によって通常の一眼レフカメラなら頂部に配置されるペンタプリズムの突出がなく、しかもレンズがカメラ中央から右手側にオフセットしたユニークなデザインが実現されるに至った。
『OLYMPUS PEN-F(画像)』



 


錦鯉(youtube)



 

ライター型スパイカメラ(youtube)
映画史上に永遠に続くたった一日の恋物語映画『ローマの休日』は某国の王女アンが親善訪問で訪れたローマで侍従たちから逃げ出し一日だけ自由を満喫するというストーリーです。
新聞記者とカメラマンは脱走中のアン王女の姿を盗み撮りします。
その盗み撮りに使われたのがこのライター型のスパイカメラです。



 

小千谷市錦鯉の里オーナー鯉




 


今日のカメラはアーガスC3(ハリー・ポッターモデル)です

2018-02-13 14:12:32 | 趣味

2018年2月13日


argus C3(ハリー・ポッターモデル)カメラヤフオク!
1929年からラジオを製造していたInternational Radio Company(IRC)がルーツです。1936年にModel Aカメラの製造を開始し、社名もArgusとしました。
アーガスC3カメラは1930年代~60年代30年近く続いたロングセラーカメラです、アメリカのラジオメーカー・IRC社から発売され、形が非常にユニークな直方体をしていることからアメリカでは「レンガ」名で親しまれてました、外装のシルバーカメラは映画ハリー・ポッターに登場し有名です。
『ハリー・ポッター(秘密の部屋)』



 


錦鯉(youtube)
5t池に85㎝を頭に15匹泳いでます。



 

空軍用KODAK Signet 35(KE-7)カメラ(youtube)



 

小千谷市錦鯉の里オーナー鯉