茂呂遺跡
昭和26年3月、南関東で最初の旧石器遺跡・茂呂遺跡が発見された。
故瀧澤浩(当時中学生)氏が遺跡のあった通称「オセド山」といわれる武蔵野台地の関東ローム層から黒曜石の石器を発見したことに始まり、先土器文化の存在を明確にした。
石神井川流域には、この時代(旧石器時代)の遺跡が点在するが、なかでも茂呂遺跡は約1万7千年前にさかのぼるといわれ、旧石器時代を代表する遺跡の一つである。
ここから出土したナイフ状の石器は「茂呂型ナイフ形石器」と呼ばれ、平成11年に東京都の有形文化財(考古資料)の指定を受けた。
板橋区史 資料編1 考古 1995年 p136
○板橋区史跡散歩(1993) 学生社 p83、123
板橋の史跡を訪ねる p48
まち博ガイドブック(文化財シリーズ70)p45
いたばしの街道めぐり(改訂4版)p54
いたばし郷土史事典 改訂版(平成12年)p218
板橋区の歴史 東京ふる里文庫17(昭和54年)p17、213
いたばしの地名(文化財シリーズ81)p199、200
いたばしの文化財 第一集 p22
金石文(文化財シリーズ46) p38
茂呂遺跡B地点発掘調査報告書 文化財シリーズ 第42集
茂呂遺跡C地点 確認調査報告 文化財シリーズ 第49集
夢を掘った少年たち 小茂根・稲荷台・志村・小豆沢・西台の遺跡
いたばし風土記 文化財シリーズ17 p45
「茂呂遺跡の保存について」(板橋史談 第九号)(昭和43)
東京文化財の旅Ⅱ 毎日新聞社 p131
板橋氏と板橋城 浅沼政直/著 1009110020862 p122
江戸東京歴史散歩3 山の手・武蔵野編 p21
江戸東京物語 池袋・中山道界隈 新潮社編 p166
昭和26年3月、南関東で最初の旧石器遺跡・茂呂遺跡が発見された。
故瀧澤浩(当時中学生)氏が遺跡のあった通称「オセド山」といわれる武蔵野台地の関東ローム層から黒曜石の石器を発見したことに始まり、先土器文化の存在を明確にした。
石神井川流域には、この時代(旧石器時代)の遺跡が点在するが、なかでも茂呂遺跡は約1万7千年前にさかのぼるといわれ、旧石器時代を代表する遺跡の一つである。
ここから出土したナイフ状の石器は「茂呂型ナイフ形石器」と呼ばれ、平成11年に東京都の有形文化財(考古資料)の指定を受けた。
板橋区史 資料編1 考古 1995年 p136
○板橋区史跡散歩(1993) 学生社 p83、123
板橋の史跡を訪ねる p48
まち博ガイドブック(文化財シリーズ70)p45
いたばしの街道めぐり(改訂4版)p54
いたばし郷土史事典 改訂版(平成12年)p218
板橋区の歴史 東京ふる里文庫17(昭和54年)p17、213
いたばしの地名(文化財シリーズ81)p199、200
いたばしの文化財 第一集 p22
金石文(文化財シリーズ46) p38
茂呂遺跡B地点発掘調査報告書 文化財シリーズ 第42集
茂呂遺跡C地点 確認調査報告 文化財シリーズ 第49集
夢を掘った少年たち 小茂根・稲荷台・志村・小豆沢・西台の遺跡
いたばし風土記 文化財シリーズ17 p45
「茂呂遺跡の保存について」(板橋史談 第九号)(昭和43)
東京文化財の旅Ⅱ 毎日新聞社 p131
板橋氏と板橋城 浅沼政直/著 1009110020862 p122
江戸東京歴史散歩3 山の手・武蔵野編 p21
江戸東京物語 池袋・中山道界隈 新潮社編 p166