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安養院

2006-07-31 | 東新町
   安養院   東新町2-30-23

 武王山最明寺。真言宗豊山派のお寺。

 1257年、最明寺殿と言われた北条時頼が、諸国行脚の時に持っていた「摩利支天」をここに安置し、お堂を建立したのがこの寺の始まりだという(「北条時頼の廻国伝説」も参照)。なので、寺号は最明寺という。一説には、中興が北条時頼だともいう。墓地の内に「最明寺殿時頼」の五輪型供養塔が祀られている。

 北条時頼の廻国伝説が伝承される場所は、得宗領の可能性があるという。得宗とは鎌倉幕府の執権、北条氏嫡流の当主のことである。得宗は、鎌倉末期に多くの得宗領と御内人(みうちびと)とよばれる家臣団とを持ち、専制政治を行った。安養院は得宗領を管理する施設であり、のちに寺院に転じたという可能性もあるという(「板橋区史」)。

 本尊は阿弥陀如来。御前立は紅頗梨色(ぐはりじき)阿弥陀如来。これは孔雀の背に乗り、否の落ちる西方を表わす赤色の仏体と、孔雀が拡げた金色の尾羽とは見事な対照を示す類の少ない尊像で、室町期の作といわれる。

 また戦国大名武田信玄の念持仏といわれた、カラクリ造り釈迦一代像も貴重な芸術品である。

 鐘楼にかかる「元禄の梵鐘」は乳頭をつけず、五つの鐘座に真言五仏を梵字で表わす特殊な型であり、国の重要美術品に指定されている。
 「半鐘」の方は、昭和28年に盗難にあったまま行方不明(写真は語る 平成元年4・15)。

 今の庫裏は高崎大河内家の屋敷をそのまま移したといわれ、大名邸の遺構を見ることができる。

 この場所は、上板橋村の村役場があった場所で、近隣の中心地であった。

 板橋七福神の「弁財天」を祀っている。

 「赤い運命(2005)」で白百合園仮宿泊所になったり、大竹修三の葬儀が行われた洸福寺はここらしい。(ドラマロケ地案内より)





○板橋区史跡散歩(1993) 学生社 p81
○板橋の史跡を訪ねる p49 
○いたばしの寺院 p65
 まち博ガイドブック(文化財シリーズ70)p45
 いたばし郷土史事典 改訂版(平成12年)p39
 板橋区の歴史 東京ふる里文庫17(昭和54年)p212
○板碑(文化財シリーズ26) p57、59、62、64、66、67、75、77、78、80、83、 84、85、94、97、98、102、109~113
 狛犬(文化財シリーズ28)  p126、159
○板橋の仏像 p3、107
○庚申塔(文化財シリーズ78)p26
○石仏(文化財シリーズ79)p67
 金石文(文化財シリーズ46) p29、32、145
 いたばしの地名(文化財シリーズ81)p196
 写真は語る 総集編(文化財シリーズ77)p235
 いたばしの文化財 第一集 p17
 いたばしの文化財 第3集 p13、14
 いたばしの文化財 第4集 p20
 いたばしの文化財 第5集 p18
 いたばしの古道(文化財シリーズ45)p137(台橋道)
 いたばし風土記(文化財シリーズ17)p45
 安養院所蔵文書・聖教類目録1~2 文化財シリーズ 
○「安養院の歴史」(板橋史談 第43号)(昭和49)
 「上板橋村の不動信仰」 手塚一郎  (板橋史談 第111号 昭和60)
 板橋区史 通史編 上 (平成10年) p227 
 板橋区史 通史編 上 「寺社と庶民信仰」  (平成10年) p843
 江戸・東京歴史の散歩道4 (江戸・東京文庫④) p115
 落とし穴に落ちた昆虫たち 住民参加で調べた板橋の自然 板橋区環境保全課編
 東京文化財の旅Ⅱ 毎日新聞社 p131
 江戸東京歴史散歩3  山の手・武蔵野編  p21
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