獺祭独言

最近はもっぱら葉山でたゆたってます。
時間の流れ方がゆったりしてきました。

お久しぶり

2008-09-08 15:43:20 | @hayama
2ヶ月以上、ブログに手をつけませんでした。
その間、イエメンから帰国して、再び出かけて、また帰国しました。
10月15日まで日本にいて、それから最後のご奉公に出かける予定にしています。

ブログ書けなかったのは、終了時評価ミッションで多忙にしていたり、全身に発疹が出て再びイエメンで病院に行ってたり、これから先のことをどうしたらよいものか、あれこれ考えていたりで、「今の生活」に集中して楽しめなかったことによるものか。

ともあれ、日本はまだ湿度が残っていて苦しいけれど、秋祭りの季節。日曜は、地元森戸神社の祭礼がありました。海の家がなくなった後、少し寂しくなったあたりに、うきうきわくわく感があふれ、こちらにも伝染。いきつけ美容室のHanaのサエコ姉さんもお神輿かついでました。夜はこれまたいきつけ後楽にて、お神輿フィナーレを見納めてからカツ丼&おつまみをつつく。

月曜も再び日暮れとともにお神輿始まりました。この辺りは猟師さんやらサーファーやら海に出る人がたくさんいて神輿担いでいるので、なかなか貫禄あります。古い街に住むと、こういうお祭りがにぎやかでよろしいです。


葉山に戻ってくると、1-2週間かけてじわじわと葉山の雰囲気に体が緩んできます。丁度お風呂に入って、はぁーっと深呼吸する感覚。

イエメン病院事情:旅羊体験談

2008-06-26 18:57:34 | @Yemen
痛みに耐えかねて、タイズの病院にいきました。
病院通いは、前回の出張でのみに100箇所近くさされてぼこぼこにされたときにも行ってみましたが、今回は先週オープンしたばかりのインドのアポログループの経営するYemen International Hospitalへ。

あんまり娯楽がないので病院といえ、ちょっとした物見遊山でわくわく。
この病院、タイズ出身のイエメン財閥ハルサイードグループの支援で立てられたばかりで前評判は色々聞いてました。全員英語がしゃべれる、国外からの医者と看護士でやっていくとか、長期療養の必要な人のための施設を整えているだとか。

おお、イエメンもメディカルツーリズムを始めたのかと感心していましたが、行ってきた感想は、まだ始まったばかりで常勤の医師も一人しかおらず、これからってところでしょうか。

とはいえ、英語でコミュニケーションのとれるAbdula Ahman医師のお蔭で救われた。ちなみに彼はパレスチナ人医師でKwaitで働いていたときにイラク侵攻にあってイエメンにのがれその後16年ほどサナアのModern German病院で働いていて、今回タイズにやってきたんだそう。アラビア半島の歴史を現した先生でした。
看護士さんは、ウクライナ人の女性。診察料は、500円ほど。処方箋を書いてもらって薬を自宅近くの薬局で購入。

ここでは最近日本ではじまった、医薬分離が行なわれています。
薬は、グローバリゼーションの恩恵をめちゃうけてます。どんな薬もたいがい安く入ります。今回は抗生物質、消炎剤やら5種類買い込みましたが、全部で2千円ほど。よくみると武田製薬の薬のライセンスをヨルダンの製薬会社がとって作ったものも入ってる。

イエメンでは薬局がこれでもかといたるところにあります。そして、その薬は世界の薬が手に入る。

ちなみに前にのみさされに苦しんだ際は、はじめはイエメンのPublic Hospitalへ。Swedish Hospitalに行ったんだけど、診察台で食事した後があり、とても汚く、先生も外人にびびって診察してくれず処方してもらった薬もきかず。

次にスタッフの紹介で、英語の話せる皮膚科医のクリニックへ。アデン出身で共産主義の時代に東ドイツで勉強してその後フランスで働いていたという先生。英語はべらべらで、「イエメンの医師が処方した薬は、外人には効きません」とより強力な薬を処方。注射も打ってもらったのだけど、炎症がひくまで毎日打つので、自分で打ってください、といわれたときにはびびりました。

そうか途上国生活してると注射くらい自分でうてないといけないのか。。。

蚤かゆみ止めの薬はこうして、ヨルダン産→香港産→イギリス産へと効き目をみながらアップグレードされていきました。

果たして今回、今の薬で治るのか。。。
帰国を早めようかと真剣に検討中。だって、この1週間、仕事→就寝しかしてない。仕事のために生きてる毎日です。

一旦弱ると途上国生活、ハードシップ高いです。
とほほ。

Ibbへ遠足

2008-06-22 22:01:24 | @Yemen
3年半苦楽をともにした同僚のAyaちゃんが、今週で日本に帰国し、プロジェクトとしてのイエメンでの活動を終了します。本人は、「ひっそり静かに帰ります」といっていたのだけれど、Hashemと郡の教育局長の賢人Hassan氏に相談したところ、賢人から「私が責任をもってお別れ会をアレンジします」とのこと。19日にIbbまでDEOのみんなと遠足に行くことになりました。

ところがどっこい、前日から38.5度の高熱に見舞われ、当日の朝行けないことを連絡したものの、賢人から「愛子がいなければ行かない」とのお達しでお迎えが来て、一緒に行きました。言いだしっぺのひとりゆえ、でも皆がそこまで思ってくれることにちょっと感動してしまった。。。3台のランクルに20名近くが乗り込み、賢人の郡からは別仕立てでバスと学生までやってきて賑やかな遠足になりました。


Ibbは隣の州ですが、イエメンで一番雨の多く降るGreen Governorateといわれる州。車で2時間ほど走らせて、Ibb一の展望台に行き、絶景を楽しんだあと、DEOたちはいそいそとIbb産のカートを買いにでかけ、その後はお決まりのカート大会。さすがに高熱後の体にカートはできず、でもAyaはこれまでになくご機嫌な様子でよかった。無理したけど行ってよかった。写真は、展望台で一緒になった結婚式の男性陣の様子。正装です。

彼女とは二人三脚でここまで仕事を一緒にしてきたので、残り半年彼女なしでプロジェクト運営は大変ですが、この3年間の彼女の努力と仕事への熱意には大変感謝しています。よき同僚にめぐり合えたことを幸運に思います。ありがとう!

お別れの言葉で、イエメン人の皆さんから「日本とイエメンの遠くはなれた二つの国にいる我々がこうして出会って一緒に仕事をして、またそれぞれの道へ進んでいくのも人生だけど、出会えたことを嬉しく思います」といってくれたことが一番嬉しいことですね。大きいことはできないけど、自分の手で自分の目でその地の人たちと関係を作り、限られた期間とはいえ一緒に物事を達成できた機会は、やはり人生の中でもかけがえのない3年半だったなぁと改めて感慨にふけりつつ、ああまだ半年あったと現実に帰る。


ああ、中東

2008-06-15 14:35:10 | @Yemen
出張に出てから26日目。今回は、日本に色々心配事を置いてきたので半分心ここにあらず。52日の出張なので、ようやく折り返し地点。この間、3冊読書終える。

新潮選書から
「中東迷走の百年史」宮田律
「アラブの大富豪」前田高行
講談社ランダムハウスから
「私は逃げない ある女性弁護士のイスラム革命」シリン・エバティ(ノーベル平和賞2003年受賞)

これに加えて、半年ほど壊れて放置されていたテレビのケーブルアンテナを修理して、アルジャジーラ三昧。

3冊の本を読んで、中東といっても様々だなぁと。これほど、多様な状況が生まれた背景にある歴史について考えさせられました。

宮田氏の著書は、中東をアフガニスタン、イランからマグレブ諸国、スーダン、ソマリア、エチオピアまで、イスラムを信仰するか、アラビア語を話すかのいずれかで広く現代史をカバーしてくれている、貴重な一冊。

前田氏は、逆にオイルマネーとオイルリッチに焦点をあてて、湾岸産油国の反映の背景を紹介してます。

ちなみにAFPによると第一次石油危機の1973年10月に1バレル4.31ドルの原油が第二次石油危機の79年1月に14.85ドルになって、それが80年9月のイランイラク戦争で36ドルに。そこから湾岸戦争開始の2003年3月まで33.43ドルと30ドル台で推移していたのが、2008年5月22日に135.09ドルへとぐんぐん価格が上昇しています。

こんな中で、サウジアラビア他湾岸産油国の資産時価総額の上昇により、ありあまるオイルマネーを使って贅沢の極を味わいつくしているという姿は、その隣の隣国で、サンドオイルしかでなくてその恩恵にわずかな人しかあずかれないイエメンにいるとあきれ果ててしまいました。また、ドバイやカタール、バハレーンとそれぞれ石油に代わる産業育成に力を入れて、観光、情報、金融とそれぞれエリアの中核として存在感を示している違いにもふれ、同じ中東、同じアラビア半島でもこの格差たるやなんたることか。。。湾岸産油国がそのありあまる国を無償でイエメンの教育と保健などの社会セクター改善にもっと貢献してくれてもよいのになぁ。。。


で、とどめはイラン。著者のエリン・シバティは、弁護士として女性の権利拡大にイラン国内で奮闘してきた実績を認められてノーベル平和賞をもらってます。イランはペルシャ語を話し、イスラム教でもシーア派の国でイエメンのスンニ派と違います。ホメイニ氏によるイスラム革命により、それまでの王政から政教一致のイスラム共和国になって、それまで女性裁判官として活動してきたのが女性であるゆえに裁判官の資格を剥奪されてしまった人です。その後、イランイラク戦争やハーメイニー大統領までの移り変わるイランの政治の中で、一貫して女性や子どもの権利のために戦ってきた人物の自叙伝。情報の限られたイラン国内に生活する知識人の考えや苦悩、そしてそれに立ち向かう勇気に感銘を受けました。同じ中東でも、イエメンは形ばかりとはいえ、王政でもなくイスラム共和国でもなく、「共和国」。アラブで最も民主主義がすすんだ体制といわれています。ちなみに。

この3冊を読んで、中東は多様だ。そして、資源があるゆえに歴史に振り回され、宗教やイデオロギーを全面に出すイラン、欧米メジャーと上手くビジネスを切り盛りしてバブル爛熟をうかれ楽しむ湾岸産油国、かたやアラビア半島のすみっこで半ば忘れ去られて静かに時を過ごすイエメン、アメリカにすりよりイランに戦争をしかけ、アメリカにたてつき国が崩壊してしまったイラク、そして第二次世界大戦前後の混乱のさなか、突如その姿をこの地域に現したイスラエル、かつてのアラブの雄、そして失脚の道をたどったエジプトなどなど、あまりにも歴史に翻弄され、その中でそれぞれの道を模索しようともがく国の生々しさを改めて認識しました。

開発をやっていると植民地主義の延長、みたいな感覚を時々もたされますが、歴史をきちんと認識することの大切さと、歴史を理解した上でその社会の成り立ちを知り、長い目で国の発展をみていく姿勢は大切だと、考える機会になりました。

Yemeni are the most tender, gentle hearted of men.

2008-06-14 16:52:46 | @Yemen
5月中旬から神戸大学からプロジェクトにお手伝いに入ったZohaさん。彼はバングラデッシュ人。日本に留学してたのに、まさかイエメンに自分が来るとは思わなかったのでは?などなど話しをしていたところ、「イエメン人はハディース(預言者ムハンマドの言語録)にもよきムスリムとして紹介されています。僕はムスリムとしてイエメンに来ることを楽しみにしてました」といたって嬉しそう。金曜には、あちらこちらのモスクを訪ねて礼拝しているということ。なるほど、折しも読みかけの本「Tribes Government and History of Yemen」にもなんと冒頭に以下の紹介がありました。

The People of Yemen are the most tender, gentle hearted of men. Faith and wisdom are both of them Yemeni. By The Prophet Muhammad

イエメンの良いところ、また見つけた。

写真は、オフィスからのマグレブ(夕暮れ)アザーン時の風景です。

週末の金曜日、このZohaさんとタイズに協力隊で自動車整備工として5月から赴任してきた若者をお家に招いてお昼ご飯。若者はよく食べ素直で仕事熱心。すっかりイエメン風な身なりで毎日頑張ってます。25歳の若さと新鮮さは打算がなくてまぶしかった。

A380初就航便に乗る!

2008-06-01 14:29:05 | @Yemen
5月20日、イエメンへ出発。幸運なことに当日初就航のA380にシンガポールまで乗ることができました。もともと予定してなかったのに、現地活動のために一日早く出発したらたまたま遭遇。予想外に楽しい旅になりました。

成田に到着するまでは、台風の影響で散々な目にあって到着したけど、これまたついてたのは台風の影響で肝心の飛行機が成田到着が遅れたことでした。A380にのって離着陸時の揺れと騒音がほとんどないことが一番驚きでした。そして、機内の広さ。よって、シンガポールまでくつろいであっという間に到着。後2回、渡航があるのでまた乗れるといいなぁ。また、初就航記念に各種お土産を頂きました。一番使えるのは、A380 解説本とマンダリーナダックのブリーフケース。使えないのは、初就航記念の額入りCertificate。周りの乗客もはしゃいでいて結構おもしろかった。隣の日本人ビジネスマンはなんと80年代商社のお仕事でサナア駐在していたという方。イエメンに住んだことある人とお隣になるとは、世の中狭い!

シンガポール航空のHPは、以下です。
http://www.singaporeair.co.jp/A380_japan/index.html


bolo(ボーロ)

2008-05-27 17:30:01 | @Yemen
旅羊の双子の片割れ羊は、アーティスト&デザイナーです。某繊維織物会社でテキスタイルデザイナーをしていましたが、息子のアトム誕生にともない子育てに専念していましたが、そろそろと活動再開してます。手始めにホームページを立ち上げましたのでご紹介。
http://www.tomo-bolo.com/
上記のサイトで見られます。
写真にあるようにBoloという繊維のくずをリサイクルした素材を用いたアクセサリーのデザインと販売もしてます。ご興味あれば是非のぞいてみてください。

新緑の鎌倉

2008-05-27 17:23:23 | @hayama
5月19日は結婚記念日。3年間一度も日本にいなかったので、今年はスケジュールをやりくりしてお休みをとり、二人で鎌倉散策にでかけました。2002年に結婚したから6回目の記念日になります。前夜は、かつて我々が住んでいた長谷の獺祭庵2号(ちなみに一号は高輪)の入り口に移ってきた「0467」という地元レストランで夕食。スズキのグリルや鎌倉野菜、豚肉塩焼きなど、和洋折衷フュージョン料理なんでしょうか、素材を活かした美味しいお食事いただきました。

19日はあいにくの雨がふったりやんだり。鎌倉のいきつけのマッサージ屋さんアロハカイロの夫妻に教えていただいた(最近、アロハカイロ口コミ情報に頼ってます。0467もそう)鎌倉大町のジャルダン食堂でお昼。鴨のロースト絶品。その後、前日行きそびれた竹林で有名な報国寺へ。雨の合間で緑が雨にぬれて濃く、それはそれは美しい風景でした。私、博物館も美術館も駄目なのですが(どうもあの中の空調のせいで酸欠になって鼻が乾いて長くいられず、あまり行きたくない場所)、こういった自然の美しさや造形美には感動します。

今回は二ヶ月の日本での生活。丁度春の良い季節にあたり、新緑の美しさを堪能した2ヶ月でした。

釧路へ

2008-04-29 19:12:08 | @hayama
4月第2週の週末、釧路に行ってきました。
Goateeの勤めるNGOの本部からミッションがやってきた後、ボスであり鳥類研究家でもあるオリビエが「日本に来たからには是非丹頂鶴をみたい」ということで一緒にいってきたという訳。丹頂とは頭の頂上が赤いからなんだと改めて納得するくらい、鳥には疎い私でしたが、バードウォッチングに小雪舞い散る釧路1泊2日旅行へ。

写真は野生の丹頂鶴がお昼を食べてたら、飛んできたところ。美しい姿にほれぼれ。釧路は、冬場の給餌場で4月になるともうあまりおらず、根室に向かって走っていた途中です。根室では流氷も見れたし、北方領土の国後島もみえた。
根室の街中は、ロシア語で標識が書かれていました。80過ぎの元気なばあちゃんにも会えていろいろ初体験満載の旅となりました。

バードウォッチングからの教訓。結果でなくプロセスを楽しめる忍耐力が必要。目当ての鳥にあえてもあえなくても、待っている間の出会いを楽しむ。オリビエの忍耐力と子どものような無邪気な姿に感銘しました。私は、とてもじゃないが趣味にはできなかろう。結果として、野生の丹頂鶴に出会えて彼はとても大満足でした。

丹頂鶴は80年代後半には、絶滅寸前までいった種で30羽しかいない時期もあったのが、懸命の保護によって今では2000羽近くまで回復したそうです。先週、丹頂公園でひなが孵化したとのニュースも入ってきた春の到来を示すイベントになってます。

http://www.city.kushiro.hokkaido.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1143452168315&SiteID=0

また、道中阿寒国際鶴センターの皆さんにはとても良くしていただきました。どこで野生の鶴が見られるのか、お休みにもかかわらずオリビエのために根室のスポットを教えていただいた渡辺さんにはとても感謝してます。

興味深かったのは、丹頂公園や鶴センター、泊まった赤いベレーホテルなどみんな競輪補助金、宝くじ補助金などで立てられていて、ギャンブル資金が国の生態系資産を守るために還元を目撃したことかな。日本の最北端近くまで来ると、立派な建物は公共施設かパチンコ屋くらいだからなぁ。

イエメン・コーヒー

2008-04-27 18:34:10 | @Yemen
イエメンのコーヒーが阪神ではにしむらコーヒーで飲めることは既にご紹介のとおり。葉山でも二軒、イエメンコーヒーを扱う店を発見。

一軒は、この当たりじゃちょっと有名なパッパニーニョ。
http://www.pappanino.com/
サナアニコーヒーを目の前で芸術的な淹れ方をしてくれます。挽きたての豆が生きてるようにむくむくとお湯を注ぐと膨らんでいきます。こちらの豆は、スイスから輸入してるんだそう。

もう一軒は逗子のPflanzen。こちらは豆の焙煎や。バスで毎日前を通るけど、通るたびにバスの中にもコーヒー豆の香りがいっぱいになるところ。モカマタリはイエメン産です。
http://www.pflanzen.jp/

なんていってたら、大変。スターバックスでも気づかない間にサナアニを売り始めました。
http://www.starbucks.co.jp/beans/africa_arabia/san.html

他の豆が250グラム1200円程度なのに、こちらは2100円。それなりに高級豆なのですね、イエメンコーヒーは。

3月中旬に帰国してから、イエメンについて耳にしたのは二回。
一回は、NHKでアラビアのシルクロードの紹介でイエメンも取り上げられていましたが、視点が納得いかない。近隣の湾岸産油国やサウジに比べて貧しい。かつては、乳香の輸出国として栄えたイエメンが、今ではイエメンの人々は富を求めてサウジに出稼ぎにいかなければならないと。私から見れば、イエメンの人たちは、貨幣経済的には貧しいかもしれないけれど、物質主義ではない心の豊かさを持っているのではないかと思っているのに、こういうステレオタイプできられてしまうのはあまりに残念!

もう一回は、イエメンのアデン湾で日本国船舶が海賊に襲われたとのニュース。イエメン=海賊国としてのイメージがテレビで広められていくぅ。。。。残念!

こんな中、コーヒーは唯一イエメンのポジティブなイメージを売れる産品。国としてスペシャリティコーヒーか、プレミアムコーヒーとしてもっと産業復興にてこ入れしてもいいんじゃないかと思いました。たまたま、Goateeの知り合いのコーヒーハンターことホセ氏が出した本、その名も『コーヒーハンター』を読んだばかりでますますその思いを強くしたのであります。

開発をやりたいといって開発の世界に入ってきた私なんか足元におよばない。コーヒーの栽培技術を身につけるんだと世界に飛び出したホセが、エルサルバドル、コナ、ジャマイカ、そしてマダガスカル、レユニオン島へとその技術を手に世界を相手に頑張る姿には感銘を受けました。ホセ、楽しい人です。イエメンコーヒーの復興手伝ってくれないかなぁ。今度頼んでみよう。