みなさん、こんばんは。
昨日「もう更新しません」とお伝えしましたが、今日は「更新します」。理由はもうお分かりだと思います。実は、この間の土曜日、通学中の「講座」で「卒業制作」についての「プレゼン&講評会」がありました。その際に「東日本大震災」をテーマに、そして「当事者」である「被災者」の方々に「何が出来るのだろうか?」と思い悩んでいる「女性受講生」と「震災の当事者」に含まれるのは「誰なのか?」について、議論になりました。
彼女も私も、「あの日」東京にいたのは間違いありません。そして彼女は「自分は当事者ではない」と言い、私は「我々も当事者だ」という点で、見解の相違が発生しました。彼女にとって「当事者」とは「地震とその後の津波」によって、大きな「被害」を受けた「岩手・宮城・福島」の被災者の方達であり「自分はたいした被害も受けていない、とても当事者とは言えない」との意見でした。
それに対して、私の意見は「あの日、自分は都内の『ビル』の中におり、地震の『揺れ』が続いている間『死を覚悟』していた、だから『私たち自身も、当然当事者だと思う」というものでした。その後、講座が終り有志が集まり、「恒例の飲み会」となったのですが、卒業制作の「テーマ」決めに「悩んでいた」彼女の「相談」を受けていた私は、そのまま「飲み会への参加」を促しました。
本当はその席で「相談の続き」を受けるつもりだったのですが、「流れ」の中ではぐれてしまい、結局「続き」を話すことは出来なかったのですが、帰り際に「気が付いた」ことがありました。このブログで書いたことがあったかどうか「もう」忘れてしまいましたが、私は西日本にある「島根県」の出身です。そのため「東日本のみ」に親類縁者をもっている方々と「決定的な違い」を、私が抱えていることに気が付きました。
それは「私の両親や兄弟(=すべて西日本在住)」は「びた一文」も地震の「揺れ」を体感していない、という事実です。あの日、「揺れ」が治まり、5階(6階だったかな?)から地上へ避難したのですが、「これは『おそらくとんでもないこと』だ!携帯もすぐに通じなくなるに違いない!(私は「携帯電話」以外は「自宅のPC経由の方法」以外に家族への連絡手段を持っていません)」と思い、とにかく「無事である=生きている」と言うことを「知らせておこう」と思い「家族」へメールを送りました。
案の定、すぐに「携帯」および「メール」は「規制」が始まり、通じない状態となりました。その後、わずかに通じた時間に「母親」から届いたメールの内容に私は「愕然」としました。「妙なメールが来たけど、何かあったのですか?」というような「緊迫感の欠片」も無い(お母さんごめんなさい)メールが届いていたのです。とは言え、そのメールは「受信時」より「数時間も前」に出されたものである事にも同時に気づきました。
おそらく相当量のメールが飛び交ったことは容易に想像はつきましたので、その他に母親から届いていたそのしばらく後に出されたメールを見ると、さすがに「テレビの緊急報道」などで、状況を把握したのか「無事だとのこと、了解しました。くれぐれも気をつけて」という内容のメールも届いているのを確認しました。
そうです、三陸沖で発生した「地震」は「西日本」までは「届いていなかった」のです。逆に、その後に発生した「津波」が、様々な「海峡および水道」を通り抜け、狭い「日本海」で乱反射し、実家のある港町でも、わずかですが「津波」が観測されました(注意報的なものも出ていました、テレビで見ただけですが)。でも、その程度です。私の「肉親」は「誰一人」、あの「巨大な揺れ」を体感することはなかったのです(それはそれで「ひどく幸運」なことだ、ということも理解はしています)。
そうした「残酷なまでの落差」を味わっていたので、私には「当事者である」との意識が「強く出た」のだ、ということにその時気が付きました。その事に思い至った私は、その事を「その女性受講生」に伝え、彼女がどの程度「地震」を体感したのか、確認しました。そうすると、彼女は「自宅」にいて、私が感じた程の「身の危険」を感じはしなかったとのことでした。また、近くにいた別の受講生にも聞いてみたのですが、同じく「自宅」におり、「それほど」の恐怖を感じていなかったことが分かりました。
私はよく「ほんのわずかな認識のズレ」が「決定的な見解の相違」に繋がることがある・・・のではなかろうか?と考えていたのですが、まさにその実例を得たような気がしました。「死を覚悟した私」と「それほどでもない」と感じた女性受講生。また「何のことだか、さっぱり?」という私の肉親。「体感」や「距離」などの、ちょっとした要因(距離は「ちょっと」じゃないですが)で、「同じ物事」についても「全く異なる見解」を導いてしまう。それが、私と彼女の間に「議論」という「コミュニケーション」の必要を与えた・・・という訳でした。
その日は「そういうことだったか・・・」で納得していた私でしたが、昨日(3/10)に、さらに別の「要因」を忘れていたことに気がつきました。確かに私は「地震」については「当事者」ですが、その後に起こった「巨大津波・・・」という、「巨大な悲劇」を経験はしていなかった・・・ということに、思い到りました。それに気が付いた時、私は「自分が間違っていた」ことに気が付きました。そうです。あの「震災」で本当に「甚大な被害」をもたらしたのは「地お震の揺れ」そのものではなく、「津波」だった・・・、その事実を私は「すっかり」忘れていたのです。
私がどんなに「私達も当事者だ」と訴えても、どうしても「腑に落ちない・・・」という態度が変わらなかった彼女。おそらく彼女は「そのこと」を、感覚的には「捉えていた」のだと思います。ただそれを「言葉」として「はっきり形に出来なかった」、そして私は「自分の経験したこと」に「拘り過ぎ」、「本当に被害をもたらしたもの」の存在を忘れてしまっていた(福島第一原発の事も「忘れてはいけない事実」ですね)。ギリギリのところで、彼女も私も「震災の本質」に迫ることが出来なかった、いえ正確には女性受講生は「皮膚感覚」ではそのことを「捉えて」いたので、彼女の方が、私よりもはるかに「真実」に近いところにいたのだな・・・と今は思っています。
「実体験」とは恐ろしいもので、「事実だ」と思うから・・・またそれが本当に「事実」なだけに、それによって「視野狭窄」を起こさせてしまう。ある出来事の「目撃者」や「当事者」は、現象に「近過ぎる」がために、どうしても「客観視」できない。そのことを思いしらされたような気がします。
さて、ここまで話を連ねてきましたが、これは私が今日「本当に書きたかったことではありません」・・・残念ながら(言ってみれば「その序章」と言ったところです)。「何を書くか」だとか「構成」などを考えることなく「ノリと勢い」だけで書くので、このようなことになってしまうのですが、取り合えず今回は「ここまで」にしたいと思います。
ですが「本当に書きたかった」のは「あの日私が経験したこと・・・どこにいて、何をし、何を考えたのか?」を「一つの証言」として「残しておきたかった」というのが、本当に書こうと思っていたことです。筆の勢いで思わぬ方向へ行ってしまいましたが、次回(出来れば「今日(3/11)中」)に再度アップしたいと思います。
それでは、また。
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