角灯と砂時計 

その手に持つのは、角灯(ランタン)か、砂時計か。
第9番アルカナ「隠者」の、その俗世を生きる知恵を、私にも。

#093 「議場騒然、聴取不能」乱闘国会

2015-09-20 07:13:24 | 政界人間模様
安全保障関連法案(戦争法案?)可決成立を伝える号外です。
(朝日号外→http://www.asahi.com/extra/articles/SDI201509192709.html)
(産経号外→http://www.sankei.com/module/edit/pdf/2015/09/20150917Anpo.pdf

国会が「最大のヤマ場」となったこの一週間。
実は私、意識してニュースを遠ざけていました。

国会周辺でワケも分からず騒ぐ今時の若者。
国会内で議論もせず暴れる昔の若者。

そんなのをリアルタイムで追いかけていると、
イライラが募るばかりで、
精神衛生上良くないという予感があったからです。

で、今、
可決・成立となってから、おもむろに経過を辿ってみると、
・・・いやあ、困りましたねえ。

人間、ここまで周りが見えなくなる、というか、
自分のしていることが判らなくなる、というか、

そういう意味において、
あくまでも、私基準でオモシロイなあと思った記事を・・・

〈野党側は女性議員を理事会室前のドアに多数配置し、排除しようとする与党議員に「触るな!セクハラだ!」などと抵抗〉
〈理事会室前には、社民党の福島瑞穂前党首や民主党の小宮山泰子、辻元清美両衆院議員ら複数の野党女性議員が、いずれもピンクのハチマキ姿で集結。与党の男性議員が触れるたびに「セクハラを働いた」などと騒いでいる〉



(Web産経ニュース:「触るな! セクハラだ!」の警告に鴻池委員長、入室できない状態つづく 元近鉄の石井議員も“冤罪”被害か
 →http://www.sankei.com/politics/news/150916/plt1509160079-n1.html

〈理事会室前から動かない野党の女性議員の集団を排除するため、山崎正昭参院議長が女性の衛視を出動させたが、野党側は「こんな時に女を使うな」などと激しく抵抗〉
〈民主党の小宮山泰子衆院議員は「女を利用するな!こんな時だけ女性を前に出して。女をこうやって使うんだな。今の政権は!」などと絶叫〉



(Web産経ニュース:野党の「セクハラ」作戦に反撃 参院議長が女性衛視投入 民主・小宮山泰子氏「女を利用するな!」
 →http://www.sankei.com/politics/news/150916/plt1509160084-n1.html

(セクハラだとの非難を覚悟で)
「度し難きもの、汝の名は女」と言いたくなります。

〈だが、その国会内で、仲良く笑顔を作って“記念撮影”に興じる民主党と共産党の女性議員たちの姿が見られた。安保関連法案に対して「徴兵制につながる」「子供を守ろう」と訴え、女性の立場から真剣に反対しているはずの彼女たちだが、そのはしゃぎぶりからは何が何でも成立を阻止する悲壮感や緊張感は一切感じられなかった〉


(Web産経ニュース:騎馬戦? 棒倒し? 暴力まがいの議員に安保政策を論じる資格なし
 →http://www.sankei.com/politics/news/150918/plt1509180006-n1.html

〈大沼氏によると、参院第1委員会室で採決が行われた際、委員席の間の通路に立っていた。すると突然、津田氏に背後から羽交い締めにされて後ろに引き倒された。さらに両脇の下に腕を入れられ、後方の椅子に引きずられた。この後、津田氏は、大沼氏をいったん膝の上に乗せた上で床に投げ飛ばしたという〉


(Web産経ニュース:「私を羽交い締めにして引き倒し…」 自民女性議員が民主議員の“セクハラ暴行”を激白!
 →http://www.sankei.com/politics/news/150918/plt1509180076-n1.html

今のところ「被害者の証言」のみですが、
果たして、どういう成り行きとなりますか。

〈「アメリカと経団連にコントロールされた政治家は辞めろ! (国会の)外の(反対デモの)声が聞こえないか? 聞こえないんだったら政治家なんか辞めた方がいいぞ!」〉


(Web産経ニュース:山本太郎氏、“ラスト牛歩”の末に…「アメリカと経団連にコントロールされた政治家は辞めろ!」
 →http://www.sankei.com/politics/news/150919/plt1509190013-n1.html

喪服、数珠、牛歩戦術、エトセトラ。

彼に清き一票を投じた東京都民666,684人の、
今、その胸中、
何が去来しているのかを聞きたいですねえ。

昔から「乱闘国会」も、あったにはあったようですし、
私にも記憶があります。

ですが、その記録を読んで引き比べてみると、
今日の議員さんたちの言動と行動に、
往時の気概も覚悟も感じられないのは何故でしょう。
(*参考 国立国会図書館:史料にみる日本の近代「乱闘国会と衆院事務総長の嘆き」
     →http://www.ndl.go.jp/modern/column/09.html

まあ、とにかく、
議員の皆さん(と、国会周辺に繰り出している皆さん)、

ノスタルジーに駆られて、
昔テレビで観た「あのシーン」を、
カタチだけでも、なぞりたかったのね、

というのが、正直な感想ですね。

さて、今ごろ、
「ヤリキッタ」と満足しているのか、
「ムナシイナ」と虚脱しているか、
「まだまだオワラナイ」と奮起しているのか、

いずれにしろ頭ン中は、
今この行為が、次の選挙にどう響くか、
ソコが気になるところではありましょう。

政治家というものに対して、
何か、怒りがこみ上げるというより、
哀れを催します。

タメイキが出るだけなので、あまりお薦めしませんが、
それでも、後学のために、という方のために、
参議院、特別委員会と本会議の様子です。

ある意味「スゴイ絵(と音声)」ではあります。
(参議院インターネット審議中継→http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php

17日の我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会(第二十一回)、
19日未明の参院本会議、
それぞれ「安保法可決」の場面は4:01:30~、 2:12:50~です。

ところで、
乱闘国会に「茶番」のニオイがするのと同様、
マスメディアの報道には「予定稿」の匂いが漂います。

今回は地元の中日新聞(東京新聞も同じかな?)から。
19日付け「中日春秋」です。

 国会議事堂の前庭に、一本の若木がある。憲法施行五十周年を記念して、参議院が植樹したという「楷(かい)」の木だ
▼楷は紅葉が美しいウルシ科の落葉樹で、孔子の墓に弟子が植えたとの伝承がある。文人が好んで庭に植えたため「学問の木」とも呼ばれる。楷の字には、「正しく、規範となる」との意があるから、なるほど立法府が植えるにふさわしい木だろう
▼さて、国会での安保法制の審議と採決のありようは「楷」に恥じぬものであったろうか。多くの法学者らが「違憲だ」と言うだけでなく、研究室から国会前に駆けつけて廃案を訴えた
▼憲法学の泰斗・樋口陽一さん(81)も先日、マイクを握って議事堂に向かい、「みなさん一人一人が歴史に責任を持っている。自分の良心に照らして投票を」と呼び掛けたが、多数の力で押し切る与党の姿はまるで、「学問の木」を切り倒すかのようであった
▼ただ樋口さんは国会前で声を上げ続ける市民らを見て、こうも語っていた。「(政権は)憲法のみならず、これまで積み重ねられたあらゆるものを壊そうとしているが、壊れないものを私たちはもうつくった。何があろうとも壊れない、壊させない。それが、ここにいる人たちとの絆です」
▼実は国会前庭の楷の木は二年前の台風で倒れてしまったが、しかと再生したという。たくましき楷は国会の外で大きく育っていくはずだ。

(中日Web:中日春秋(朝刊コラム)→http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2015091902000107.html

例によって「権威の口を借りてモノを言う」類のコラムです。

ま、樋口陽一さんのことは置くとして、
国会前の「楷の木」については、
なかなかに興味深い話です。

〈江戸時代まで「楷の木」は日本には存在していませんでした。日本に初めて移入されたのは、大正4年(1915年)でした。当時、農商務省林業試験場の初代場長であった白沢保美博士が中国を訪れ、孔子の墓所から「楷の木」の種を採取し、播種、育苗されました。その後、日本国内の孔子や儒学にゆかりのある学校(湯島聖堂3本(雄)、足利学校1本、閑谷学校2本(雌)、多久聖廟1本(雄)など)に寄贈されたのが最初です。楷の木は、和名で牧野富太郎博士が「孔子木」と命名しましたが、現在では「楷の木」または「楷樹」と呼ばれております。
風土に合っているためか、閑谷学校(岡山県)の楷の木が最も大樹に育っています。閑谷学校の中心である聖廟の両脇に二本の木が植えてあり、どちらも幹の太さが2m、高さ約13mに達しています。孔子にちなんで、閑谷学校では、「楷の木」を『学問の木』と呼ぶようになりました。つまり、日本で最初に『学問の木』と呼んだのは閑谷学校が最初です〉

(大阪大学ホームページ:楷の木の歴史
 →http://www.cheng.es.osaka-u.ac.jp/alumni/kainoki.htm

で、閑谷学校ですが、
〈創建は寛文10年(1670)岡山藩主池田光政によって成されましたが、武士の子弟の学ぶ藩学校は岡山城下にあり、閑谷学校ははじめから庶民を中心とした学問所としてつくられました〉
ということで、

池田光政公と言えば、輝政の孫。
池田輝政公は豊橋にも縁の武将です。
(特別史跡旧閑谷学校→http://shizutani.jp/shiseki/equipment/index.html

これぞ、我田引水の見本ですが、
最後に、この閑谷学校の楷の木の映像を。

木を植えるのは、庶民であろうし、
「正しく、規範となる」政治家を、
選ばなきゃいけないのも、また庶民、
育てなきゃならないのも、やっぱり庶民です。

ならば、せめて「正しく、学問する」庶民になろう、
と、そういう想いを新たにするかも、です。

おかやまの紅葉「特別史跡旧閑谷学校」


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