角灯と砂時計 

その手に持つのは、角灯(ランタン)か、砂時計か。
第9番アルカナ「隠者」の、その俗世を生きる知恵を、私にも。

PROM.09 夫婦別姓について、再び

2015-12-19 06:41:55 | 夫婦別姓、アレやコレや
例えば福島瑞穂ちゃん(再び)。

思春期の頃、

気になるアイツに壁ドンされ、耳元で、
「瑞穂・・・」
なんて囁やかれてドキドキした、とか、

いけ好かないバカ男子に馴れ馴れしく肩をたたかれ、
「なあ瑞穂〜」
なんて呼びかけられてムシズが走った、とか、

そういう青春の一コマはないんですかねえ。

ちなみに私、

高校時代、スラリとした女性の先輩に、
「よしのり〜」
なんて呼ばれてクラクラしたことあります。

いや、それはともかく、

このてのエピソードは、
いわゆる「下の名前」だからこそ意味があるんです。
分かりますよね。

さて、

この度の最高裁判決を受けて、
「私は、福島瑞穂。福島瑞穂以外の何者でもない」
式のコメントをする人が結構いて、
私、ある意味、衝撃を受けました。

皆さん、姓について、
思い入れが強いというか、
思い込みが激しいというか・・・

いわゆる「姓」っていうのは、

とある血筋であったり(氏:うじ)、
とある職業であったり「姓:かばね)、
とある土地であったり(名字、苗字:みょうじ)、

(外国の例だと、父親の名前であったり)

要するに属性を示すものであって、
もともと個人の名前じゃないんですけどねえ。

姓と名は、それぞれに役割が違うし、
だからこそ存在しているわけでして。

社会性に乏しい子供のうちは、
互いに(下の)名で呼び合うわけですが、
長じるにつれて、徐々に姓で呼ぶようになります。
一定の距離を保つためです。

そして、
特に親しい人(や恋人!)とだけ名を呼び合います。

つまり姓というのは、
気安く個人名(下の名前)を呼ばなくて(呼ばれなくて)済むように、
そのために用いられてきた知恵なんです。

それを日本では、
「〇〇さんちの」というふうに、
家族単位で使ってきたわけですね。

そういう意味では、

そもそも仮名と言っても良い姓を含めて、
命そのものと言ってみたり、
アイデンティティーに係ると叫んでみたり、

一体誰にノセられちゃってるんだか。

「姓は個人の人格の象徴」とか
「選択的夫婦別姓制度の採用は世界の潮流」とか、

今や世界中が(!)勘違いしてます。

あ、いや、大きく出過ぎました。

少なくとも日本では、
命そのものである「名」を隠しておくために「姓」がある(あった)んです。

人を呼び、人に呼ばれる「姓と名」について、
もう少し冷静に考えてみたら如何かと思いますね。

いきなり「瑞穂さん」と呼びかけたらビックリでしょうし、
いちいち「福島瑞穂さん」とお呼びするのも変でしょう。

万葉集一首目に次の歌がある、
その意味を考えてみてくださいな。

「こもよ みこもち ふくしもよ みふくし持ち この岳に 菜摘ます子 家のらせ 名のらさね」
(桜井市観光情報サイト:ひみこの里・記紀万葉のふるさと
 →http://www.city.sakurai.lg.jp/kanko/manyokahimeguri/chiku/asakurahatsuse/1395996887695.html

*以上、一般的な個人の、呼び名としての「姓」について、でした。
 
 代々受け継ぐべき家名としての「姓」や、
 身を立て名を挙げ社会的認知を受けた「姓」については、また次の機会に。


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