角灯と砂時計 

その手に持つのは、角灯(ランタン)か、砂時計か。
第9番アルカナ「隠者」の、その俗世を生きる知恵を、私にも。

#252 ソレは「自己決定権」云々の話ではなく・・・不妊強制手術と新型出生前診断

2018-06-10 06:27:18 | 命―畏れと戦き
(三女のエコー映像、2000年)



今年に入ってから「旧優生保護法下での強制不妊治療」に関して、あちこちで訴訟になってます。

〈旧優生保護法のもと、知的障害を理由に同意なく不妊手術を強制され、救済措置も取られていないのは違法として、宮城県内の60代の女性が30日、国に慰謝料など1100万円を求める訴訟を仙台地裁に起こした。原告側によると、憲法が定める幸福追求権を奪ったとして優生保護法の違憲性を問う訴訟は全国で初めて〉

*朝日新聞デジタル:不妊強制、違憲性問い初提訴「国に人権踏みにじられた」
https://www.asahi.com/articles/ASL1T5QZ4L1TUNHB006.html?iref=pc_ss_date


そりゃね、ワタクシとて「被害」にあった方々が「救済」されることを望んでおりますよ。ええ、ソコは無条件に。

ただ、それはそれとして、こういう「国を相手に」訴える裁判って、どうにも肩入れする気になれません。国と個人とを対決図式でしか見られない人からすると、相当に変わってると思われるかも知れませんが、何だか「国の一員としての自分」も訴えられてるような気分になるんです。

まして、この件に関しては、当時合法であり、多くの国民も特に疑問を持たなかった(もしくは知らなかった、あるいは関係なかった)わけで、それを今になって今の倫理観でもって今の私達に慰謝料払えって言われましてもね。

しかも「出産という自己決定権を侵害し、基本的人権を踏みにじるもので違憲」という理屈でこられますと、いやいや、出産は自己決定権ではないだろうとツッコミたくなります。何か大きな勘違いをなさっているんじゃないですかと。

子供つくろうと思っても授からない、そんな気は無いのにできちゃった、神ならぬ身では如何ともし難いところを含むのが妊娠・出産というものですよね。それを自己決定権の枠内に収めようとする時、終わりの見えない不妊治療とか望まない妊娠ゆえの中絶とかに至るわけで。

あと、ついでに言っちゃうと、被害者救済そっちのけ、ではないにしても、例によって、それを装いつつ政府批判に利用する人権屋の匂いがしたりもしますしね。



ところで、そのテの勘違いという点で共通しているように思えるのが、新型出生前診断とそれに伴う(ことが多い)中絶です。

以前こんな記事がありました。

〈妊婦の血液で、赤ちゃんにダウン症などがあるかどうかわかる「新型出生前診断(NIPT)」が始まり、まもなく5年になります。これまでに5万組以上の夫婦が受けました。日本産科婦人科学会は今後、実施施設を増やしていく方針です。この検査について、みなさんと考えます〉

〈NIPTコンソーシアム代表の左合治彦医師は「日産婦の指針には法的拘束力が無く、現状では無認可施設で十分なカウンセリング無しに検査が行われるなどの問題が起きている。今後は、医療機関に加えて検査会社も登録制にするなど、抜け道のない実施体制作りが必要です」と話しています〉


*朝日新聞デジタル:「命の選別」なのか 新型出生前診断、開始から5年
https://www.asahi.com/articles/ASL3D5453L3DULBJ00P.html


この記事では、上記に続けて一応「両論併記」しています。


「安易な中絶」などない 室月淳・宮城県立こども病院産科長

 新型出生前診断で病気がわかった夫婦の95%以上が人工妊娠中絶を選ぶことから、「安易な中絶が増えている」と批判する人が多いです。しかし、安易に中絶する夫婦など存在しません。みな悩みに悩んだ末の選択です。病気などで死産だった方と変わりません。

 検査に対して、「命の選別だ」という批判もあります。遺伝情報や障害、病気で人を差別するべきではないという意味で、命の選別をするべきではないとの主張には全面的に賛成です。国家などが検査や中絶を強制することも許されません。

 しかし、あらゆる出生前診断が「命の選別」と批判されることには、違和感を感じます。第三者が夫婦に対し、検査を受けることや結果を受けて妊娠をあきらめることを一律に禁じられるのでしょうか。どれだけ支援があっても、最終的に子どもの面倒をみるのは夫婦ではないでしょうか。

 それに、染色体の病気がわかって中絶を選ぶ夫婦は、必ずしもダウン症候群などを差別しているわけではありません。家庭の経済状況など様々な個別で複雑な事情があってのことです。個々の夫婦が置かれた状況はそれぞれ複雑で、異なります。夫婦も医療者も複雑な状況をどのように解決すればいいのか絶えず苦闘しています。そのような現場にいると、「命の選別を規制すべきだ」といった一刀両断の議論には、あまり意味がないと感じざるを得ません。

(中略)

 テクノロジーの進展を止めることはできません。「命の選別」という使い古された批判を繰り返すのではなく、手探りでも、現実に即した解決策を模索していくしかない時期に来ていると思います。



この方は、どちらかと言えば現状容認派ですね。

ま、確かに「安易に中絶する夫婦」は、そんなに多くはないでしょうし、各家庭それぞれの「個別で複雑な事情」や、夫婦・医療者の「苦闘」も解らなくもないです。

でもね、

「産むにしろ中絶するにしろ、夫婦・家族でしっかり話し合って出した結論はどちらも正解」みたいな、すごく優しい意見(キレイゴト?)をしばしば目にしますが、それは、生命の話をするに相応しい十分な時間があったなら、ですよね。新型出生前診断の怖いところは、受ける・受けない、陽性反応に対して産む・産まないを決めるための時間が、どちらも圧倒的に短すぎることですよ。「中絶を選んだ夫婦、特に妊婦さんの悲しみや苦しみ」は安易とは言わないまでも、あれよあれよという間に結論を求められた、その結果なのではないですか?

それと、一応お断りしておきますが、「あらゆる出生前診断」を「生命の選別」と批判している人なんて、滅多にいません。こういうありもしない極論を持ち出されてそれに対する批判をされてもね。でもって「現実に即した解決策」を模索するのは当たり前でして、ご自身なりの解決策を是非とも示してもらいたいところです。



ダウン症、実態を知って 玉井浩・大阪医科大小児科教授

 ダウン症のある子の50%は心疾患を合併し、10%は消化器の奇形を伴う――。カウンセリングで通り一遍にこうした説明を受ければ、話を聞いた夫婦は怖くなり、産んでも育てられるだろうかと不安になります。カウンセリングを担う人は、もっとダウン症の人たちの実態を具体的に知る努力をしてほしい。

 新型出生前診断のカウンセリングでは、検査の仕組みなどを説明するDVDを30分間流して終わり、という医療機関もあると聞きました。日本産科婦人科学会は今後、実施施設を増やす方針だそうですが、学会や実施施設の団体「NIPTコンソーシアム」は、どこで検査を受けても、確実に質の高いカウンセリングが受けられる体制を作るべきです。

 また、新型出生前診断で染色体変異が見つかった夫婦の選択肢を増やす努力も必要です。米国では、ダウン症のある子どもを育てたいと希望する里親が常に約400組は登録されているそうです。ダウン症の子どもが素直でかわいいからです。日本では里親そのものの人数が少ないですが、その存在を知ることでダウン症の子どもを産んで育ててみようという夫婦が増えるかもしれません。

(中略)

 あらゆる人は、何らかの遺伝子の変異を持っています。それが人類の多様性にもなっています。出生前診断を考える際には、その点をよく理解してもらいたいです。



こちらは現状懐疑派と言いましょうか、それなりに提言も交えてて好感が持てます。

今後、トリソミー・モノソミーに限らず、遺伝子の一部欠損・重複等も診断できる日が遠からずくるでしょう。妊娠してから慌てて情報にアクセスするんじゃなく、もっと若い、それこそ中学・高校生のうちに、遺伝や障害についてきちんと教え、考えさせなきゃいけないと思いますね。



というか、そもそも、病気や障害を理由に人を差別しちゃいけないと言うなら、同じ理由で中絶するのは、どれほど悩み苦しんだ上での結論であっても、それを「正解」と認めてしまうのは、やっぱりちょっと違うような気がします。

いや、さらに、そもそも論を言えば、出生前診断陽性からの中絶が、何で「合法」なのか、っていうところにも問題があって、母体保護法では中絶に関して以下のように規定してます。


第3章 母性保護
(医師の認定による人工妊娠中絶)

第14条 都道府県の区域を単位として設立された社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。

一 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
二 暴行若しくは脅迫によって又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの

2 前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなったときには本人の同意だけで足りる。

*母体保護法
http://www.jaog.or.jp/sep2012/JAPANESE/teigen/hou.htm


つまり、障害のある胎児を、母体保護法が言うところの「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」と解釈してるから、中絶も可なんですね。染色体異常ということは判っても、それによる障害・合併症がどの程度重篤なものになるのかは不明であるにも関わらず。



ワタクシね、生命倫理とか、福祉概念とかが、時代とともに変化していくのは、ある程度仕方ないと思います。むしろ積極的に認める場合だってあります。

例えばですよ、きちんと民主主義の手続きにのっとって「染色体異常等により障害・合併症が予想される胎児は中絶することができる」とか、あるいは「理由の如何を問わず、全ての胎児は中絶することができる」とか法律ができたとすれば、自分の心情は別のところにあるとしても、それは「時代の流れ」として受け入れます。

けれど現状、技術の進歩とその利用はあまりにも「なし崩し的」ですからね。

出生前診断―中絶の流れが、このまま民間任せ当事者任せで良いのかという疑問は、やはり拭えません。

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ワタクシ的に、ちょっと衝撃を受けたニュース。

「もう中絶は恥辱ではなくなった。秘密のベールは外された。もう孤立することはない」
「女性の健康が守られるアイルランドで赤ちゃんを育てることができる」


*huffingtonpost:アイルランド、中絶合法化へ 「静かな革命が起きた」
https://www.huffingtonpost.jp/2018/05/27/ireland-abortion_a_23444427/


記事中、群衆の写真がいっぱいありますが、こんなふうに「喜びを爆発」させることなんだろうかと「自己決定権」の暴走を見る思いがしました。


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女性の「自己決定権」云々に関連して、参考までに。

リプロダクティブ・ヘルスとは、人間の生殖システム、その機能と(活動)過程のすべての側面において、単に疾病、障害がないというばかりでなく、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態にあることを指しています。
したがって、リプロダクティブ・ヘルスは、人々が安全で満ち足りた性生活を営むことができ、生殖能力をもち、子どもを産むか産まないか、いつ産むか、何人産むかを決める自由をもつことを意味します。

リプロダクティブ・ライツは、すべてのカップルと個人が自分たちの子どもの数、出産間隔、および出産時期を責任をもって自由に決定でき、そのための情報と手段を得ることができるという基本的権利を認めることにより成立しています。
その権利には、差別、強要、暴力なしに、生殖について決定することも含まれます。


*国際協力NGOジョイセフ(JOICFP):リプロダクティブ・ヘルス/ライツとは
https://www.joicfp.or.jp/jpn/why/rh/


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