川越芋太郎の世界(Bar”夢”)

川越芋太郎の世界へようこそ!
一言メッセージ・「美」の探訪ブログです。短編小説などもあります。

芋太郎救急車に乗る2:仁と医者

2009-11-23 10:10:05 | 日記
芋太郎救急車に乗る2:仁と医者


前回のブログで芋太郎の救急車搭乗物語を語りました。
今回は、受け入れ拒否をした病院と2番目に受入た病院の
違いを掲載します。
普段からの観察をしてみてください。
「はた」と気が付くものがありそうです。

最初の病院に到着後、待合室で、待つ間のひとこま。
具合の悪い芋太郎の前を二人の人物が横切る。

身なりからして、医者である。
9時前後という時間でもあり、後退の時間帯であろう。
家路に急ぐ気持ちも充分にわかる。
しかし、ちらりとも目線を芋太郎には投げなかった。
カバンの高級感からして、事務方の人物とは思えない。
次に通る人物は、若い看護婦。
こちらも、芋太郎を患者というよりも、上野の浮浪者のように
遠巻きにして横切る。
目線を全く感じない。
その後、出て来た看護婦等の言い訳。
無論、内容は真実であろう。
しかし、いずれも何かが足らない。
なんだろう。
守衛さと挨拶は出来ても、芋太郎へ目線を移す事も出来ない
二人の人物。
何かが不足している。

次に2番目の病院。
看護婦はてきぱきと働く。
救急車からランチャーで下ろされるときに、入り口で数名の
看護婦さんの姿が見えた。
ランチャーからベットへ移すときも、心配りがあった。
身なりで判断していない。
そう、芋太郎のカッコはまるで浮浪者のごとき。
バジャマの上にダウンを羽織、頭はニット帽。
おまけに顔色は悪く・・・。

当直医と看護婦の会話が物語る。
「今日は悪かったね。帰り際に緊急で対応してもらって。
患者さんが3名運ばれたからね。」
「助かったよ。一段落したから、あがってください。」
「大丈夫ですよ。でもよかったですね。どの方々も、大事に至らずに。」
「そうだね。ベットの手配では脳外科まで侵食したけどね。」(笑)

さて、何が違ったのでしょうか。
今「JIN―仁」というテレビ番組を見てますが、主人公の言葉が
印象に残ります。タイムスリップした江戸時代で、現代医師の一言。
「医者として、自分は何も出来ない。数々の薬も医療器械も多くの
人々の努力の積み重ねで出来ている事が今、判った。」

「自分は大きな勘違いをしていた。医者とし大事なのは、
技術以上に心=仁である。」

技術どころか、金になっている感があるのですがね。
最近は。

どうにかして直したい、命を救いたい、苦しみをとりたい。
すべては、患者のために。
医師だけの話ではないです。いま、世の中が全て、我欲の時代です。
官僚は我田引水に明け暮れ、多くの民は拝金教の魅力に取り付かれている。
もう一度、自分が何をなすべきかを考える時期に来ている。
時代の大きな曲がり角。
それが、恐慌なのか、自然環境破壊なのか、わかりませんが。
私達人類は次のステップに入れるのだろうか。
弱気になった今の芋太郎の気持ちが言わせる一言です。


救急箱 G-2343N

ヂャンティ商会

このアイテムの詳細を見る


最新の画像もっと見る

コメントを投稿