リオ五輪の日本代表選手団が帰国した。史上最高の41個のメダルを獲得し、さあ次は東京だあ・・・とばかりに盛り上がり、メダリストたちからは感謝の念が次々と・・・まずはこちらをご覧いただこう
だが、ひねくれものの小生、この猫も杓子も言っている「応援してくれた皆さんに感謝」という言葉になんとも気持ち悪いものを感じた。
もちろん、本心から応援してくれた皆さんに感謝する気持ちはあるだろう。それは当然として、こういう場では、「まずそれを言うのが当然」とか「言わないと・・・」という空気感がありそうに感じるのが気持ち悪いのだ。
テレビや記事で見聞きする限り、「自分がメダルを取れるだけの努力をしてきて、その成果が出せて嬉しい」というニュアンスのあいさつはほとんどないように思う。
また、一番気持ち悪かったのは吉田沙保里のインタビューだ。為末大のコラムにこんなのを見つけた。「日本選手はなぜ謝るのか」
これには、我が意を得たりという感じだった。そのまま引用させていただく・・・
「日本の選手のインタビューは似通っていると言われるが、私はその一端に、この謝罪の要求というのがあるのではないかと思う。負けた原因を分析したら言い訳と批判され、純粋な感覚を表現すれば負けたのにヘラヘラしていると言われる。」
だから福士加代子がマラソンで惨敗して、彼女なりに明るいコメントを出せば「ふざけるな」と炎上することになる。
メダルを取ったか否かにかかわらず、五輪に出場した選手たちはとてつもなく努力を積み上げてきたはず。そのことを勝敗にかかわらず、述べてはいけないのかって・・・
この謝罪の要求という感覚は、いかにも納得できる。日本人らしい感覚ともいえよう。そうしたいかにも日本的な空気感が、優等生的な冒頭のあいさつになっているような。
お前、それはいかにもひねくれてるよ、選手たちは皆純粋な気持ちで・・・と言われることは承知の上、問題はそういう言い方をする空気感と言いたいのだ。
とはいえ、一方で白井健三選手のように「自分にはまだ伸びしろがあり、それが楽しみ」という人によっては生意気と取られそうなセリフが出ているのも救い。
為末氏のコラムにあるように、実際に批判的な人はごく少ないはず。「俺はこれだけやってきた。だから、金メダルを取れると思っていたし、とれて嬉しい・・・また、皆さまの声援が大きな力になりました」と言う選手が次の五輪では出てきてほしいものだ。
あくまで個人的な感想なんだが・・・
高校野球の選手たちも、「まず感謝」の言葉を口にします。
これって、いつ頃からかしら。
この20年余り、大きな災害など起きるたび、「当たり前の日常に感謝」という言葉が聞かれるようになってからでしょうか…。
本当の気持ちでの感謝は、そのとおりだと思いますし、いいのですが、shimaさんおっしゃるとおり、必修項目のようになっているとしたら、ちょっと気持ち悪いかなと。
といいつつ、小生自身も結婚式のスピーチなどで、「当たり前の日常に感謝」という趣旨のことをよく述べていたりしますので、やはりそこは同じDNAかなとも。その気持ちは大事ですし、素晴らしいことなんだとは思います。