小生が大学生だったとき、ある教授が話していたことがある。学生のいろんなレポートや論文が提出されたときに、私はそれを読む前に「この内容を一言でいうとどうなるの」と聞くと。それが要点をつかめているかどうかで、レポートの内容・理解度がわかると。
ことほどさように、難しいことを簡単に一言でまとめるのは能力がいる。逆に簡単なことを延々と論理なしに語るのはたやすい。
そんなことをふと思い出してしまったのは、こちらの記事を見たからだ。「文字は分かるが文章を理解できない人が増えているのではないか?」というのだ。
記事によれば、読解力の問題は単純に学力向上だけで解決できるとは限らず、いわゆる偏差値が高い大学の出身者の中にも、文章を理解する力が不足している人が多数、存在している可能性があるという。
つまり学力とは必ずしもリンクしていないということだ。
事例としてこんなのが出ていた。「今週は暑かったのでうちの会社はサンダル出勤もOKだった」というツイッターのつぶやきに対して「何故今週だけはOKなんだ?」「サンダル無い人は来るなって?」「暑いならともかく基本はNGだろ」といった反応が一定数返ってくるというという・・・むむ、わからん。
ところが重なるときは面白いもので、虚構新聞にはこんな記事が出ていた。
「作者の気持ち」「筆者の主張」は太字で強調――。本文の重要部分を分かりやすく示した中学生向け横書き国語教科書「パイロット版:目新しい国語」(勤墾館)が教育関係者の注目を浴びている・・・ウハハハ、タイムリーすぎだ。
この記事(もちろん虚構だが)によれば、走れメロスはわずか7行にまとめられたという。だが、真面目なところ、これで主旨が伝えられるとしたら、これは素晴らしい。
これなら文章を理解できない人も少ないだろう・・・ってか、これでダメなら・・・か。
虚構新聞らしく、茶化した書き方だが、「メールやSNSといった短文のコミュニケーションが主流になった今の時代に、長文読解能力を養う必要がなくなった」と。
真面目なところ、これは否定できない・・・小生決して読書家というレベルにはないが、その小生をもってして、今の若者(社会人含む)の本を読まないことについてはびっくりするレベルだ。当然長文読解能力も・・・
それをいまさら直せと言われても難しいだろうが、せめて文章の本質をつかむ能力は養ってほしいものだ。
トピズレになるが、ある有名な噺家は「芝浜は、どうやっても60分はかかる」といっていたが、芝浜という演目を有名にしたかつての名人は30分を切っていた。
またある若手の噺家と飲んだときに議論になったのが、噺の背景とか前提となるかつての常識が常識でなくなった今、そこを説明する必要があり、その結果、どうしても噺が冗長になるのがジレンマだということだった。
記事にあるように、日本の生産性にまで影響するとなると、なかなか悩ましい問題ということになりそうだ。
あっ・・・このブログにはふさわしくない真面目なものになってしまった(苦笑)
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