アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

西郷と最後まで闘った男に感動

2019-09-07 06:00:00 | つれづれ

歴史マニアの小生、毎週楽しみにしている「歴史秘話ヒストリア」。今年になって渡邊アナが担当になり、なおさら欠かさず見るようになった

  

 9月4日の放送は「西郷と最後まで闘った男」というテーマだった。皆さんは明治維新とか戊辰戦争と聞くとどんなイメージをお持ちになるだろう。

 おそらく多くの方が封建制の暗黒の江戸時代から明るい明治に至る出来事というイメージかと。そして会津など幕府側は抵抗勢力というイメージだろう。

 

 だが、その戊辰戦争自体がいわば西郷たちの焚き付けによってスタートしたこと。そして賊軍とされた会津藩は京都守護として御所の警護に当たっていたことなどはスルーされている方が多いかと。

 歴史の解釈はいろいろだから様々な意見もあろうが、こと会津藩からすれば、天皇をお守りする大役を任じていたのに、気が付いたら賊軍にされてしまったのは・・・だろう。

 

 さて、今回の主人公はその頃江戸の警護に任じられていた庄内藩の酒井玄蕃だ。彼は戊辰戦争で、会津藩などとともに幕府側で戦った庄内藩の藩士だ。

 彼が指揮を執った軍は結論からいえば倒幕軍に最後まで勝ち続けた。そのリーダーシップや戦略のすばらしさをもっと評価すべきだろう。

 

 だが、庄内および酒井と西郷の関係はここからがまたすばらしい。歴史に多少なりとも詳しい方なら言わずもがなだが・・・

 戦後の裁定で庄内藩への処分については極めて寛容なものだった。藩主の謹慎・武装解除で終わりというレベル。よって酒井玄蕃も生きながらえたという・・・

 

 いろいろな思わすはあろうが、以前鹿児島出身の方と語り合ったときに、鹿児島の人間は争いが終わればノーサイドの精神だと。

 有名な白虎隊の事件のときに、遺体を引き取ることすら許さず、そこに放置を命令した長州との差は歴然で、会津が長州を恨みつつも薩摩にはそれがないのはそんなところかと

 

 庄内についてもそれは同じで、今でも庄内では西郷の語録を学んだりしているというし、上野の銅像建立の発起人にも庄内藩主が名を連ねている。

 何より、酒田には南洲神社というのがあるくらいで、文字通り決死戦を交えた相手とは思えない。ここに西郷と酒井のすばらしさを感じて、感動してしまった。

 

 明治に入り、人材育成のために西郷が作った学校に酒井が庄内の青年を留学させたりもしたそうだが、残念ながら西郷も酒井もほどなく亡くなった。

 あえて長州が・・・なんてことは書きたくないが、はたして明治維新とは何だっんだろうか。明治に入り勝海舟が政府と幕府の違いを批判的に語っていたことがあったが、本当に明治は明るかったのか・・・と

 

 明治に入り、欧米がびっくりしたのは日本人の識字率の高さであった。それは明治維新の成果ではない

 さらに、最近知ったのが、松下村塾が明治産業革命関連施設として世界遺産になっていること・・・

 

 おいおい、まったく関係ねえだろって・・・

 話をもどそう。ともあれ、このヒストリアについては改めて感じ入ってしまった。えっ・・・お前は渡邊アナに感じ入っただけじゃないかって・・・むむ、否定できないかも。


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