16年前、事業の借金や両親の急なダブル認知症施設入居など莫大なお金が必要になり前のマシーン会社の倒産から8年目でまたマシーン生活を復活したが昇給も無くボーナスも無く退職金制度も無く専門職の割には何の手当も無く給料もハンパなく安くて食費のみにあてがうだけ。両親の施設代やその他の経費など自分の内職金で補う16年間でした。すでに両親は亡くなりお金もかからなくなり何んの未練もなく定年退職を迎え元々の自分の仕事に戻る事が出来ました。画像は16トンに続き50トン最終乗務のハウス建方です。
36年間のマシーン最終現場は穴掘り現場でした。オネ~サン監督相手の現場でほのぼの終了。有給消化もあと1週間でいよいよ超ブラックマシーン会社ともお別れです。昭和56年9月、最初の小会社のマシーン会社の3トンマシーンで小屋取り付けから始まり令和4年9月 16トンマシーンで穴掘りのこの現場でマシーン生活が終わりました。
ここ約3年マシーン3台日替わりで乗り継いでいて定年まであまり
ここで愚痴っても仕方ないから黙って定年退職まで作業をしておりました。
無事に定年月を迎え今月20日を持つて訳36年間のクレーン乗務生活に別れを
つげます。今は定年退職の日まで有給消化の休みに入り今からまた
生活の糧となる自分の仕事をやっております。もう掲載規制がかからない
からこれからマシーン画像を交えて楽しく思い出を語りたいと思います。
ここで愚痴っても仕方ないから黙って定年退職まで作業をしておりました。
無事に定年月を迎え今月20日を持つて訳36年間のクレーン乗務生活に別れを
つげます。今は定年退職の日まで有給消化の休みに入り今からまた
生活の糧となる自分の仕事をやっております。もう掲載規制がかからない
からこれからマシーン画像を交えて楽しく思い出を語りたいと思います。