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【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(序文・目次・第1部第1章)

2022-09-04 15:27:00 | 日記
【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(序文・目次・第1部 第1章)

ロレンツォ・サーレス著
ヨハネス・ワツラビク訳編

昭和38 年(1963)初版発行                    
教会認可済
発行者 聖パウロ修道会

〈宣   言〉

著者、及び訳者は、本書中に、神と聖人よりの御示しとして記載した事柄の超自然性につ
いて、聖会の判定に先だって判定することを全然せず、あらかじめ聖会の判定に従うことを宣言します。


〈序〉



本書は、イタリアのカプチン会修道女シスター・コンソラータ(1903~1946年)の伝記と使命についてしるしたものである。イエズスから種々の示現をいただいたこの修道女は、そのありさまを、イエズスのご命令により、日記及び指導司祭への手紙に書き残した。その日記、手紙、及び同修道女と生活を共にされたかたがたの記録に基づいて、シスター・コンソラータの指導司祭ロレンツォ・サーレス師は1948年「イエズスの聖心の世界への福音」(副題、愛の最も小さい道、聖職者の持つべき大きな愛徳、シスター・コンソラータ・ベトローネ)を著わしたが、その本はイタリアはいうに及ばず世界各国へ驚くべき早さで広がり、現在二十ヶ国語以上に訳されている。その後1951年サーレス師は、「シスター・コンソラータ伝」を著わした。本書は以上の二書を、著者の許可を得て、適当に合わせ、抜粋して訳出したものである。最も貴重な資料であるシスター・コンソラータの日記は、残念ながら、ある部分がなくなっていて、わずかに1932年から1933年までの分、1934年のある部分、1935年9月以降定期的に書かれたものだけが残っている。

その他、シスター・コンソラータは毎月指導司祭に手紙を書いたが、それは自分の霊的状態を単純率直、全く正直に書いた報告書で、その透き通るように清い霊魂と、隠れた聖人としての生活が、日記同様よく表わされている。シスター・コンソラータは自分の書いたものによって人を感銘させようとか、よい印象を与えようという意図が全然なく、実際に考え、感じたことを直接そのまま書き表わしているので、日記、手紙ともに信ずるに足るものである。

 初めの第三章までは1935年春シスター・コンソラータが、指導司祭に命ぜられて書いた自伝によっている。第五章から第十一章までは主として「イエズスの聖心の世界への福音」によって、「愛の最も小さい道」について、できるだけくわしく、はっきり述べてある。第十二章から再びシスター・コンソラータの伝記を追っていくが、それは同修道女の完全な伝記を著わすのが目標ではなく、私たちと同じ弱い人間であったシスター・コンソラータが、どのようにその日常生活において、具体的に「愛の最も小さい道」を生き、聖化の頂に達したかを見て、私たちの励ましとし、また信心生活に利用するためである。

第二十九章に含まれているのが、モリオンドの修道院の院長及び姉妹たちが実際に目撃した事の記録である。願わくはイエズスの聖心が、聖母の御取り次ぎによって、本書を、霊魂の救いと成聖のために豊かに祝福してくださいますように。

(訳者)

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【目 次】

第一部 神への道

【第一章 召し出しの恵み】 
幼年時代──心の声──最初の妨げ──使徒職──「扶助者の聖母会」訪問

【第二章 理想への到達】
神よりの賜もの──全くイエズスのもの──喜びに満ちたスタート

【第三章 精神的試練】 
発端──貞潔の試練──愛徳の試練──家へ帰る──勝利を得るための武器──暗やみにかかわらず──試練の終わり──新たに形造る

【第四章 神は指導司祭をつかわす】 
霊父──イエズスのみ──指導司祭に従うこと

第二部 コンソラータと「愛の最も小さい道」

【第五章 霊的幼児と愛の生活】 
霊的幼児とは──イエズスの好みたもうもの

【第六章 愛の生活と信望愛】 
永遠の愛を信ずること──永遠の愛に希望すること──永遠の愛に信頼すること──永遠の愛を愛すること

【第七章 愛の生活とキリスト教的完徳】 
愛と聖化──イエズスとの親しい愛の生活──精神の慎み──口の慎み──心の慎み──愛によってすべてをイエズスに──愛によってイエズスからすべてを──愛の生活の結実

【第八章 絶え間ない愛の祈りによる愛の生活の実行】 
絶え間ない愛の心──絶え間ない愛の祈りのことば──絶え間ない愛の心とは──絶え間ない愛の祈りに対するイエズスの要求──絶え間ない愛の祈りの霊的効果──絶え間ない愛の祈りの使徒職的効果

【第九章 絶え間ない愛の祈りの完成によって愛の生活の完成へ】 
愛の祈りの絶え間ないとは──愛の祈りと愛の純粋さ──愛の祈りと愛の熱烈さ──愛の祈りと自己献身

【第十章 愛の祈りとコンソラータの信心生活の関係について】 
愛の祈りと声祷──愛の祈りと黙想──愛の祈りと霊的読書──愛の祈りと特別糺明──愛の祈りと静修日

【第十一章 「最も小さい霊魂」の会】 
イエズスは「最も小さい霊魂」の会を示したもう──最初の「最も小さい霊魂」の奉献──
コンソラータと「最も小さい霊魂」の会──聖母マリアと「最も小さい霊魂」──
「最も小さい霊魂」とコンソラータ──「最も小さい霊魂」に対するコンソラータの手紙──
「みどりごたち」

【第十二章 「兄弟姉妹」へのイエズスの聖心の愛の福音】 
高い位より落ちて──すべて「兄弟姉妹」のために──すべての「兄弟姉妹」のために──すべての「兄弟姉妹」を

【第十三章 「愛の最も小さい道」とイエズスの聖心】 
聖心の御慈悲──「私の心に上りなさい!」

【第十四章 コンソラータの三つの絶頂、愛、苦しみ、救霊】 
心のあふれる愛──愛の絶頂──救霊の絶頂──苦しみの絶頂


第三部 愛の完成

【第十五章 すべての人の中にイエズスを見、イエズスのように取り扱い、ほほえみを与えること】   
すべての人の中にイエズスを見ること──すべての人をイエズスのように取り扱うこと──
すべての人に「はい」ということ──ほほえみをもって──まかぬ種は生えぬ──
コンソラータとその修道院──慰め手なるコンソラータ

【第十六章 会則のすべてに対する完全な「はい」】 
修道共同生活──会則──清貧──貞潔──従順

【第十七章 完全な克己】 
心の抑制──心戦──肉身的苦業──意志の抑制──精神の抑制(謙遜)

【第十八章 神に対する英雄的忠実】
忠実──義務に対する忠実──決心に対する忠実──恵みに対する忠実──雅量──ゆたかな忠実──悪魔との戦い──英雄への召し出し

【第十九章 愛の生活の泉】 

ご聖体への熱望──聖母のマントの下に──優しい聖ヨゼフ─守護の天使──諸聖人の通功

第四部 生けるいけにえの完成

【第二十章 コンソラータのイエズスとのミサ生活】 
コンソラータのミサ生活の入祭文──ミサ生活の奉献──いけえとしての生活──いけにえの香りを神のみに──愛と苦しみのいけにえ──ミサ生活の聖変化

【第二十一章 カルワリオのふもとに】 
十字架の御跡に──トリノからモリオンドへ

【第二十二章 精神のカルワリオ】 
墓地の静寂──誤解──霊的に火葬されて──絶え間ない戦い──濃い暗やみ

【第二十三章 心のカルワリオ】 
イエズスと二人のみ──コンソラータと第二次世界大戦

【第二十四章 肉身のカルワリオ】 
病気の始め──衰弱──健康の決壊

【第二十五章 三つの絶頂へ向かって】 
きわめて偉大な英雄心──英雄的信頼──英雄的忠実

【第二十六章 神と隣人に対する愛の絶頂】 
不動の愛の英雄──絶頂への最後の飛翔──愛の殉難──イエズス、マリア、あなたを愛します──隣人愛の絶頂

【第二十七章  苦しみと救霊の絶頂】 
苦しみを耐え忍ぶこと──緩和なしに耐え忍ぶ──緩和なしの霊魂の苦悶──緩和なしの肉身の苦しみ──喜びをもって耐え忍ぶ──コンソラータの神秘的群れ──コンソラータと教皇──コンソラータの神秘的な「私は渇く」

【第二十八章  いけにえの完了】 
「すべてはなしとげられた」を迎えて──胆汁のカリス──日記の最後のページ──
苦しい生き別れ──死に対する「はい」──完了へ向かって

【第二十九章  燔祭】 
なつかしい修道院へもどる──愛と苦しみに満ちた再会──模範の輝き──帰天──死後

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第一部 神への道

第一章 召し出しの恵み

〈幼年時代〉

ピエリナ・ベトローネは一九〇三年四月六日イタリア・サルッツォ町で生まれた。父はピエトロ・ベトローネ、母はジュセピーナ・ニリノで、父は再婚である。翌年一家はトリノ市に移り、一九〇九年にアイラスカに移って、パン屋兼喫茶店を開いた。

幼年時代は特別目だつこともなく過ぎたが、その初聖体の時には、自分で書き残したとおり、忘れがたい印象を受けた。そしてその印象は、のちに、信心生活への強い励みとなった。母はピエリナがいつでも聖堂にいると言って文句を言ったこともある。

ある晩、小さいピエリナは寝る前に、のどがかわき「少し水が飲みたい」と言ったが、姉のアンジェラは「煉獄の霊魂を思い出してがまんしなさいね。今がまんすれば、かわいそうな煉獄の霊魂の慰めになるのよ」と言った。ピエリナはがまんし、それ以来水を飲むたびにいつも煉獄の霊魂の慰めのために、少し残した。

姉のテレサと同じへやに寝ていたが、そこに無原罪の聖母の小さなご像があった。毎晩ピエリナは姉が眠るまで待ち、その間ご像の前にろうそくをともして、ひざまずき、ロザリオを唱えた。父が十一時ごろ店を閉じるまで、続けて静かに祈っていたこともたびたびある。また毎日ごミサにあずかり、ご聖体拝領をした。

祈りを好み、だんだん成長するにつれて修道生活への召し出しも成長したようである。まだ八才にならないうちに、姉たちは「あなたは童貞女になるでしょう」と言い、また
母に向かって「ママ、ピエリナは確かに童貞女になるよ」と言った。それを聞いてピエリナは心の中で喜んでいた。ある日、友だちと遊んでいた時、その子が突然立って、「ピエリナ、ぼくたちは大きくなったら結婚しようね。」と言った。ピエリナはすぐ「だめよ、私は童貞様になるのよ。」「じゃあ、ぼくは神父様になるよ。」ピエリナはその約束を守った。

十才のある日、ひとりで喫茶店の番をしていると、知らない人が、ぶどう酒を飲みに来た。ピエリナがぶどう酒を取りに地下室へ行くと、その人は跡をつけて来て、突然その強い腕で後からピエリナを抱擁した。ピエリナは大きな声で叫び、幸いにも逃げることができた。その経験によって少し冷淡になったが、よい告白をして再び最初の熱をとりもどし、心は強められてますますイエズスを愛するようになった。同じような経験をあとにも一度したが、ちょうどそのころピエリナは聖女ジェンマ・ガルガーニの伝記を読んでいた。危険に気がつくとすぐ「聖女ジェンマ助けてください」と祈った。その瞬間、奥のへやにいた母が大きな声でくり返して「ピエリナ、ピエリナ」と呼んだので、その人は逃げた。

〈心の声〉

ピエリナは一九一六年(十三才)無原罪の御やどりの祝日に「マリアの子」という信心会にはいった。その日、イエズスはピエリナの心の中に、「特別に選んだ」という恵みを知らせた。ご聖体拝領後、神秘的に次のことばを聞いたのである。

「あなたは全く私のものになりたい?」
「はい、イエズス様。」

全くイエズスのものになるとは、ピエリナにとって修道女になるという意味だった。二十年後、カプチン会にはいってから、指導司祭にはじめてその恵みの瞬間を告げるまで、ピエリナはこの小さい秘密を心の底に隠していた。その日からイエズスは、ピエリナの手をひき、のちに聖化と使徒職の最高位に達するまで、優しい心づかいと非常に大きな努力をもって、愛の道を案内した。

ある日信心書を読んでいると、「わが神よ、あなたを愛します。」ということばが、ピエリナを深く感動させた。またある日、アイラスカ町の寂しい道を通っていく時、神と深く一致して、自然に最初の愛の祈りが心からわき出てきた。「わが神よ、あなたを愛します。」その時、心は深い喜びに満ちてきたが、ピエリナにはまだそれがなぜであるかはわからなかった。ずっとあとになって、それが、絶え間なく神を愛する「愛の最も小さい道」への召し出しであったことを悟るのである。


〈最初の妨げ〉

 一九一七年二月、ピエリナ十四才の時、一家はトリノへひっこしマカロニ屋を開いた。ピエリナは姉のテレサ、妹のフランカ、アマリアと共に両親を手伝った。店の仕事と、学校の勉強に励み、静かな愉快な生活を過ごした。時々散歩に出かけると、自然界から神の愛はピエリナに語りかけ、日増しにイエズスと親しくなっていった。聖ひつのもとにひれふし、またご聖体拝領後、ピエリナの心は愛に燃えて夢中だった。自分のへやの、イエズスの聖心のご絵の前で、愛と痛悔の涙を流すのは毎晩のことだった。それは心の愛の、深い生活であった。

もちろんいろいろな危険がピエリナの心に近づいてきたが、毎朝のご聖体拝領によって心は強められ、注意と警戒の新たな力を与えられた。また聖母マリアによりたのんで、心を全く清く保ち、被造物に対して世間的に愛着しないように努めた。「あなたは全く私のものになりたい?」という神秘的なことばはこだまとなって、ひき続き心にささやき、全くイエズスのものになりたいという渇望に耐えず、ピエリナは「イエズスよ、どうぞ私を全くあなたのものにしてください。修道院へ導いてください。」と何度も祈った。自分は世間に向かないという感じはますます強くなった。

ある日、その問題について母に相談してみた。母は「そんなばかなこと! そんな考えをみんなおまえの頭から追い出してやる。」と言い、父も「修道院にはいったおまえよりも、死んだおまえを見たほうがずっとましだ。」と言った。親にしてみれば、今、開いたばかりの店の大切な手伝いであるし、上の娘たちはもうすぐ結婚してしまうから、まだ若いピエリナが自分たちの老後を見てくれるだろうと考え、それにピエリナを深く愛していたので、手離したくなかったのである。親の答えは刃のようにピエリナの心を貫いた。もう自分のこれからの人生は無意味だと感じ、とうとう病気になって、強い貧血を起こし、心臓をいためた。それ以来死ぬまこの心臓病は持病となった。

しかし、シルビア・ツァッピ先生と、サレジオ会の指導司祭フェリチエ・カーネ師(聖人のような賢明で信心深い司祭)のよい勧めを通して、神が助けてくださり、ピエリナの心は平和を取りもどした。それによっていくらかからだもよくなり、普通に店の仕事や学校のこと、また信心生活を続けられるようになった。ピエリナは非常な努力家で夜おそくまで勉強し、時々うたた寝をすることもあったが、よく夜中の一時過ぎまでがんばった。それは親を喜ばせたい、またカトリック女子青年会員としてりっぱな者になりたいためであって、何度も銀賞その他多くの賞をもらった。家庭生活の幸福を味わいながらも、ピエリナの召し出しへの愛は強く、しかしできるだけそれを隠していた。


〈使徒職〉

一日も早く修道院にはいりたいと待ちわびるピエリナの心は苦しかったが、それを和らげるように、神は使徒職の喜びを賜わった。ピエリナの記録によれば、第一の成功は兄の改心であった。第一次世界大戦後、兄のカルロが帰還すると、一家をあげて大喜びした。ピエリナが兄を抱擁しようとすると、兄は、「そうしないでくれ。ぼくは結核だ。」とさえぎった。その時ピエリナは、兄の病気がもはや直らないこと、そして信仰さえ捨てたことを直感した。一九一九年七月カルロはトリノ市付近のランツォ療養所に入院した。ピエリナは、兄の改心を、自分の祈りと犠牲によって、何がなんでもかち得ようと決意した。やがて「カルロ、キトク」の電報が来た。秘跡を受けることを拒んだ兄がいよいよ臨終近いのを知ったピエリナは、祈りと涙のうちに徹夜して、兄が「よき臨終の恵み」をいただくよう切願した。翌朝、療養所付きの司祭から第二の電報が来た。「カルロシンダ ヒセキゼンブウケタ」

その後、ピエリナは「ロザリオの会」の熱心な役員となった。ピエリナは子どもの会員たちの係である。毎月第三日曜日に、その子どもたちに共同聖体拝領をさせることになっていた。ピエリナは家の者に迷惑をかけぬため、店の仕事がすんだ夜のうちに、子どもたちへの招待状を用意した。そして昼間暇な時、もう一度それを調べた。いよいよ第三日曜が来ると、ピエリナは夜明け前から起きて、五時までに店のためマカロニの用意をしたので、大好きな子どもたちとならんでご聖体拝領台にひざまずくことができた。それは子どもたちをイエズスに、イエズスを子どもたちに導くというとうとい熱情の最初の現われだった。

子どもたちに公教要理を教える使徒職も同時に与えられた。ピエリナはどんなに心をこめてそれにあたったろう。店の関係で近所の子どもたちをよく知っているので、その子どもたちをみんな集めることができた。ピエリナの組はどんどん大きくなっていった。成功の秘訣はいつも同じだった。「神と隣人を犠牲をもって愛すること。」ピエリナはいつも、自分をいとわず、まわりの人を皆愛したので、愛されるようになり、子どもたちはピエリナを心から信用し、自分たちの小さい問題を打ち明けてきた。たびたび店がからになった時など、大急ぎで子どもがはいってくる。ピエリナを見つけると小さい心配のあれこれをささやくのだった。毎日曜日午後二時ごろ、サン・マシモ教会の前にピエリナの姿が現われると、大ぜいの子どもたちが喜んで集まってきた。

ピエリナは自分の力でなく、イエズスの力によって子どもたちの心を得たが、イエズスに子どもたちを導くために、子どもたちを愛した。やがて特に一番小さい子どもたちを指導する役に任命された。その子どもたちは、ヤコブの末っ子のように「ベンヤミーネ」と呼ばれていた。ピエリナは大喜びで一心にその役を果し、すぐにベンヤミーネは六十人にふえた。公教要理、道徳のお話、遊び、降福式、また遊びというプログラムで、日曜の午後は全部そのために費やした。ピエリナは子どもたちを愛し、子どもたちもピエリナが大好きだった。こんなことがあった。クリスマスが近づいたころ、ピエリナはベンヤミーネに相談した。

「今度の木曜日はクリスマスですね。赤ちゃんのイエズス様がみなさんに、お菓子だのいろんなプレゼントを持って来てくださるでしょう? そのプレゼントを少しかわいそうなお友だちにわけてあげましょうね。聖コトレンゴの『み摂理の家』に病気のお友だちが、いっぱいいるのよ。クリスマスにつれてってあげますから、みんなでそのお友だちに会って、クリスマスのプレゼントを贈りましょうね。」

クリスマスの日が来た。ピエリナがまだ昼食を食べ終わらないうちにもう外で、「ピエリナ、ピエリナ」と呼ぶ子どもたちの声がした。すぐにピエリナは出て行って、子どもたちといっしょに列をつくって聖コトレンゴの家に向かった。その小児科にはいった子どもたちは、深く感動して、白い病床に近づき、早速それぞれの小さな宝物を元気よく分配し始めた。その日家へ帰った子どもたちの顔は、きょう自分たちがした善業のために、美しく輝いていた。

〈「扶助者の聖母会」訪問〉

ピエリナは修道女になりたいと思っていたが、まだどの修道会にはいるかはきめていなかった。ただばく然と活動的な修道生活、それも青少年の指導に携わりたいと考えていた。ある日、ピエリナを指導していた聴罪司祭フェリチェ師は、「あなたは聖ヨハネ・ボスコが創立した『扶助者の聖母会』に行ったことがありますか。」と尋ねた。「いいえ、まだ行ったことがありません。神父様。」次の日曜日、コンソラーテックス会員が聖堂から出てくるピエリナの手をとり、「ピエリナさん、『扶助者の聖母会』の修院へまいりましょう。ご案内しますわ。」

修道院に着くと院長に紹介された。「ローズイナ様、ここへあなたの修道院の志願者をおつれしました。」ピエリナはちょっと違いますと否定したが、院長は感動したように、修道生活の美しさについて話し始めた。その間、ピエリナは修院の中庭で元気に遊ぶ子どもたちを見ることができた。非常によい第一印象を受けた。修院の小さな聖堂で降福式にあずかった時、ピエリナは祈った。「イエズスよ、全くあなたのものにしてください。『扶助者の聖母会員』になれますように、助けてください。」

その日から、ピエリナの心は、絶えず『扶助者の聖母会』の修道院にひきつけられ、できるだけ何度も電車に乗っては、そこへ行ってみるのだった。そこへはいりたい心はますますつのっていった。しかし理想への道には多くの妨害があり、危険も忍び込んだ。自伝に書いている。「そのころ一番苦しかったことは、結婚してほしいという多くの人々に断わることでした。」テレサ姉さんの求婚者、テレジオ・ジョルダノと結婚するように、ピエリナは姉にすすめた。非常にりっぱな人であったばかりでなく、その姉妹が三人まで修道院にはいっているので、あるいは、自分が修道院へはいるのに、両親の許可を得る時、援助してくれるかもしれないと考えたからだった。結婚式は一九二三年七月二日に行なわれた。そのころ一家はサン・マシモ街に移って新しい店を開いた。その店の一番よい所には、ピエリナの努力により、イエズスの聖心のご像が置かれ、その前にいつも小さなランプが燃えていた。



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