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【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第3部・第15章)

2022-09-05 14:13:35 | 日記
【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第3部・第15章)

第三部 愛の完成


第十五章 すべての人のうちにイエズスを見、イエズスのように取り扱い、ほほえみを与えること

愛のおきては神に対する愛と隣人愛を含んでいるが、実際にはただひとつの愛である。隣人愛にそむくことをやめないなら、完徳への進歩は不可能になる。修道者にしろ、世間にある者にしろ、いくらか苦業して信心に励んいでいても、人から手伝いを頼まれてことわるのを全然罪と思わないことがたびたびある。また貞潔に対する小さな誘惑にも非常に不安を感じるのに、人の悪口、批評、暴言をはいても平気でいる。コンソラータは救霊のために、神に対する愛とともに、絶え間なく隣人愛を実行した。

─イエズス─「神に対する愛と隣人愛の、絶え間ない愛の心をもって私に忠実に従いなさい。そうすれば私はあなたを愛と苦しみと救霊の絶頂へ導いてあげよう。あるご聖体拝領から、次のご聖体拝領までの間に、神への愛と隣人愛の機会をひとつも怠らないようにしなさい。」

〈すべての人の中にイエズスを見ること〉

 イエズスはコンソラータに、「すべての人のうちにイエズスを見、イエズスのように取り扱い、ほほえみをもって忍耐すること」を命じた。コンソラータは信仰の目で姉妹たちをイエズスのように見、彼らに仕えるよう努力した。一九三四年一月コンソラータは日記にしるした。

「私の姉妹はイエズスですから、私は考えと批判に非常に注意し、柔和で親切なことばを用い、また優しい温和な態度で、皆のしもべとして仕えるよう熱心に励まねばなりません。」

しかしコンソラータは激しい性格だったから、それは決して簡単なことではなかった。一生懸命にがんばってもなお隣人愛にそむいた時は、深く痛悔し、真面目にお詫びした。コンソラータは中途半端なことがきらいだったので、すべての人のうちにイエズスを見るため、指導司祭の指導と許可を得て、次のように誓約を立てた。

「……私はいつでも平和と愛の天使で、正義と厳格で悲しみをもたらす天使ではありません。姉妹たちを皆イエズスのように取り扱い、愛する誓いを立てたことを決して忘れません。」

イエズスはコンソラータに次の信仰に基づく態度を勧められた。

「だれであっても、姉妹そのものはもはやあなたにとって存在しない。存在する者は姉妹の心に下ったイエズスである。姉妹が手伝いや、心尽くし、犠牲を願いに来る時、それはイエズスだから、イエズスに拒むことができるだろうか。喜んでイエズスに従い、イエズスを大事にし、各瞬間すべての愛を尽くしてイエズスに自己献身しなさい。何かを言うべきとき、相手はイエズスなのだから心から従順に素直に、親切な柔和なことばを使いなさい。つまりすべての人のうちに私を見、思い、ことば、行ないによって私のように取り扱いなさい! 絶え間ない愛の心とともに、それを臨終までの特別決心としなさい。」

この誓いを守るために特別大きな恵みを要するので、コンソラータは毎朝この誓いをあらためる時、心からイエズスの御助けを願った。コンソラータの善意を見てイエズスは約束された。

「はい。私は、上長と姉妹たちを常にイエズスとみなす恵みを与える。」(一九三六年九月二十日)

〈すべての人をイエズスのように取り扱うこと〉

 「私があなたがたを愛したように、互いに愛しなさい」(ヨハネ15-12)という聖福音のおきてを、イエズスはコンソラータに次のことばで説明してくださった。「私はあなたの醜悪さをすべて愛の外套で隠した。私はあなたの欠点を今までも、今もがまんしている。私はあなたの悪かったことを親切に理解し、いつもゆるす。私はあなたのためにいつも優しい、温和な、愛に満ちたことばを用意している。私はあなたのすべての困難を助け、まちがえたことも直してあげる。私はあなたが必要とするものはすべて配慮してあげる。私はあなたを母のように最もこまやかないたわりをもって愛している。私はあなたと共に喜び、あなたと共に悲しむ。私があなたにしたと同じように、あなたは姉妹たちを取り扱いなさい。あなたは私の浄配(清い配偶者)だから。」(一九三五年四月一日)

利己心のため、私たちは他人の長所よりも短所を見がちであるが、一九三五年のはじめごろ、コンソラータは姉妹たちの欠点を全然見ない、かまわないという決心をした。しかしすぐに成功することはできなかった。ほとんど三年間たった、一九三七年九月二日書いている。

「今イエズスは私のうちで隣人愛が深くなるよう骨折っておられるようです。それは姉妹たちのすべてを肯定するばかりでなく、すべてに寛大であることです。しかしまだ私にはそれができません。それでこのころ、私をいらいらさせがちなこともすべて私の中で押し殺すほうがいいと思われてきました。それもむずかしいけれども、そうすると深い平和が心にはいり、その平和と共に、私が望んでいる完全な愛も心にはいってくるでしょう。そしてそれによってイエズスの浄配なる姉妹たちを実際にイエズスとみなし、イエズスとして取り扱うことができるでしょう。」

ある日、そのため必要な絶えざる親切を得られるよう聖母マリアが励ましてくださった。

「すべての人に対していつでも親切にしなさい。親切だけが心の中を支配しているように。あなたの死後、人々が、あなたのことを単に優しい人であった、ということを私は望みます。」

またあるちょっとむずかしい性格を持っている姉妹について、聖母は仰せられた。
「あなたの親切によって、この姉妹の欠点を直し、それに勝ちなさい。この姉妹が、あなたに愛され、理解されているように感ずれば、あなたは愛の完成へと力強く進むでしょう。毎日その姉妹のために祈って、恵みを降らしてあげなさい。ただひとつの天使祝詞(アヴェ・マリアの祈り)だけでも私の心をその姉妹に向けるでしょう。」

ある日レクリエーションの時間、他の姉妹たちと過ごすために、ひとりの老姉妹の付き添いをちょっとやめたとき、イエズスは注意された。

「あなたは隣人愛がなんであるかを知っていますか。その年とった姉妹をあなたよりも好むこと! 全部の時間年とった姉妹のそばにいたならば自己放棄したのだから、より大きな隣人愛となったのに。」(一九三五年十月二八日)

それでイエズスはコンソラータに、休憩時間はいつも老姉妹を喜ばせるため全心を尽くす決心をするよう勧められた。

〈すべての人に「はい」ということ〉

─イエズス─「私があなたを愛するように、あなたは姉妹たちを愛しなさい。これは私のおきてである。……すべての姉妹たちに、私の喜びと私の優しいほほえみを与えなさい。あなたの態度とことばによって私がどんなに優しく謙遜であるかを示しなさい。私のように、全く私のようになりなさい。」(一九三五年十月二八日)

─イエズス─「私は自分を──自分のすべてをあなたに与える。あなたも自分のすべてを人々に与え、なしうる限りの奉仕をしなさい。あなたの全生涯が、私に対し、隣人に対し、姉妹たちに対し、すべての人に対して絶え間ない愛の心となることによって、自我を全く消滅させなさい。」

 ─イエズス─「私がそこまで高めてあげたその純粋な愛で人々を愛しなさい。これは私の許可、いな命令である。天国で、天使と聖人たちが互いに愛するように愛しなさい。世間的に考えず、上長のかたがたや姉妹たちや隣人がしたいと望んでいることばかり考えなさい。」


イエズスはこの隣人愛の偉大なプログラムを、次のことばでまとめていられる。

「すべての人に『はい』と言いなさい。常に、またにこにこしながら。」

コンソラータは台所、畑、靴屋、秘書、看病、洗濯、掃除、生き物の世話など、昼も夜も身にかかってくる多くの仕事にほとんど押しつぶされそうだったが、イエズスは励ましてくださった。

「コンソラータ、よくわかりましたか? 人々があなたの時間をいろいろな仕事で利用することを許してあげなさい。時間のある間にできる限りのことをして働きなさい。あなたはもうすぐ死ぬが、死後には働くことができないから、どんな犠牲からも逃げず、どんな願いも退けないように。私はいつもあなたの愛の勤めをよく果たせるよう助けてあげよう。」

どんなに人の願いが大きすぎても拒まないように、またつまらない必要のない些細な事を願った姉妹にも服従するようにイエズスは勧められた。

─イエズス─「イエズスはあなたに最良の部分を与えた。あなたに要求する忍耐を他の人にも要求するわけではない。人の欠点、自己心、虚栄心などすべてを知っていてもよく忍耐してそれを見せず、黙ってにこにこと愛を尽くしなさい。死ぬ時、あなたは黙って何も言わなかったことについて喜ぶだろう。」

人に何も拒まないだけでなく、いつも自分の都合や趣味を犠牲にすることも、イエズスは要求された。一九三六年四月二日コンソラータは書いている。

「けさ、ご復活の手紙を早く書き終ろうと急ぎました。手紙を副院長様の所に差し上げてから、自分の仕事をしてしまおうと思ったからです。ところが手紙を持って行きますと、副院長様は『ちょっとお暇がありますか。』とお聞きになりました。自分の夢が消えるのを恐れて黙っておりますと、『いいですよ、あなたも忙しいですね。まあ自分でやりましょう。』 私は大急ぎで『私がやります』と断言し、書類をいただいて個室へもどり三冊の書きものを作りました。心の中に『あなたは自分を忘れ、自分の都合を考えずに、上長や姉妹たちの手の中の従順な道具となり、彼らの思うままにいつでもどんな目的のためにも使われたほうが完全である』というイエズスの御声を聞きました。それで完全に悟ることができました。きょうから新たに隣人愛のおきてに励もうと決心し、最後の息をひきとるまで、神の御助けによって自己放棄の生活を覚悟します。」

すすんで人のすべての要求に「はい」と答えるには、自分の最もとうとい個人的、霊的な希望をも犠牲にしなければならない。コンソラータは一九三六年の聖木曜日に書いている。

「私は自分の暇は自分の持ち物とみなして、夕方の時間イエズスのみ前に過ごそうときめました。しかし私の自己心を全く殺そうと考えておられるイエズスは、ちょうどその時、ひとりの姉妹、続いてもうひとりの姉妹によって小さな手伝いを願いました。私はすぐに従いました。でも心の中に『どうも彼らは私の休息時間までつぶしてしまう』という不満が浮かんできました。そこでイエズスの御足もとに帰ると、『姉妹たちの中に実際にイエズスを見たならきっともっと親切に助けたでしょう。』といってあやまりました。その時イエズスは悟らせてくださいました。

「いまから被造物を見ないように。彼らをイエズスとみなしたら、どんな犠牲でも、しやすくなるし喜びの源となるだろう。私はあなたのために自分を犠牲としてささげたので、あなたもまた自己を捨てなさい。ごらんなさい。人々は、ご聖体にいる私を取ったり、顕示台に入れて聖櫃の上に置いたり、ひとりぼっちにしたりなど、自分の思うとおりにいろいろな方法で取り扱う。あなたもそのとおりにしなさい。姉妹たちが自分の思うとおりに、どんな方法であなたを利用するのもゆるしなさい。」

 一九三五年のご昇天の祝日にコンソラータが聖堂で祈っていると、聖母マリアが「自己を全くなくしなさい。上長と姉妹たちを通じて、神の御手のうちの素直な道具としていつでも自由に使われなさい。」と仰せられた。その瞬間、ある姉妹から「用があるからちょっと聖堂を出てください。」と合い図され、聖母マリアのお勧めをすぐに実行するため、聖母のおことばを最後までお聞きせず、姉妹の用を果たすため聖堂を出た。ところが優しい聖母は、コンソラータが個室にもどると先の続きをさとされ、お勧めを完了してくださった。
「……神が望みたもうすべてにおいて、望みたもう時に、望みたもう方法で。」

 ある時コンソラータは、ある姉妹の用をするために、聖堂へ行ってきまった免償をうることができなかった。イエズスはコンソラータを慰めて、「すべての免償の中で最も良い免償は、絶え間ない愛の心である」と仰せられた。

トリノの修道院は召し出しがふえて狭くなったので、コンソラータは他の姉妹と共にモリオンドの新しい修道院へ移った。そこから送った一九三五年八月二日付の最初の手紙にこう書いた。

「……ここでは犠牲と隣人愛を実行する機会が無数にあります。ひとりでいることを熱望して、暇の時サンダル直しをするため隠れた隅を見つけました。ところが病気の姉妹はその場所を見つけ、私といっしょに暇の時そこで過ごします。そこで私の唯一の喜びは奪われてしまいました。けれどもすべての人をイエズスとみなすこと! その姉妹は遠慮をしていますから少し勇気づけてあげなければなりません。晩になるとその姉妹は、痛む背中にチンキを塗ってもらうために、私の個室に来ますので、この個室の隠遁(いんとん)もできなくなります。しかし隣人愛によってすべてに勝つことができます。どんなに自分の中の自我が反対しても、この修道院という姉妹たちの団体に完全に自己献身し、修院内のあらゆる姉妹たちのはしためとなって、えこひいきなしにいつでも喜んでだれにも『はい』と答えるつもりです。」

─イエズス─「あなたは助けを要する姉妹を見たら、自分がどんなに忙しくても決して放っておいてはいけない。まずこの隣人愛の行ないをすることを覚悟しなさい。そうすれば私はあなたのすべての義務を正確に果たすことができるように、よくしてあげる。」(一九三五年九月一日)

─イエズス─「あなたは世話好きで、しすぎるのではないかなど恐れなくともよい。すべての人を私とみなせば、私の希望に対して世話をしすぎるということがあろうか。」(一九三五年四月十九日)

イエズスは願われるまで待たず、自発的に、まっ先にするようにお勧めになった。一九三五年四月十九日書いている。

「私は自分を『兄弟たち』のため神にささげましたので、私は自分に対して使用権が全然ありません」 また一九三五年七月二四日指導司祭に報告した。

「神のお助けによって、あらゆる人々のあらゆる要求に対して『はい』という決心を守りました。それによって隣人愛を絶え間なく実行する機会が与えられました。」

〈ほほえみをもって〉

 私たちは、人に奉仕するとともに、イエズスの聖心の御慈悲と親切を発散しなければならない。そこでイエズスは、「愛の行ないをひとつも怠らず、すべての人を私とみなし、私が確かに助けると確信して、雄々しく私のあらゆる勧めにすぐ『はい』といって従いなさい。それからにこにこしなさい。私はあなたによって、人々にほほえみを与える」と仰せられた。

─イエズス─「私はすべての悲しみを隠して自分のものとするが、人々にはいつでもほほえみを与える。あなたも同じようにしなさい。」(一九三五年十月二九日)

イエズスはコンソラータにほほえみの召し出しを授け、コンソラータは雄々しくそれを受け入れた。

〈まかぬ種は生えぬ〉

コンソラータは善徳をうるため非常な努力をしたが、特に隣人愛と貞潔は、最も激しい戦いを要した。そのことについて正直に語っている。「一九三四年の黙想会から隣人愛の善徳をうるためにがんばりました。やがて、隣人愛に反する考えと望みがひどく私を攻撃してきました。なんだか変にかんしゃくを起こしがちになって、姉妹が会則にそむくとすぐ立腹しました。そしてそのことについては私に責任があると思い、霊魂にひどく重荷のように感じました。告解しますと『あなたの霊魂に光がいっぱいはいったので、隣人愛にそむくことによく気がつくのです。すべての人をイエズスとみなすという決心をぜひ続いてよく守ってください』と言われ、光と平安を新たにいただきました。」

〈コンソラータとその修道院〉

コンソラータは姉妹たちを心から愛し、皆が聖人になることを望み、率先して会則をひとつひとつ忠実に守ることによって、よい模観を示すように努力した。そればかりではなく、姉妹たちのため一心に祈ったので、たびたび姉妹間の感情問題──悪感情や悲しみなどを消すことができた。よい模範と祈りによってこそ修道院の精神は改めることができるのである。自分は改心しないで、何もかも批評しながら改革しようとする人は、かえって混乱を招く。コンソラータのような人こそ、その修道院にとって大きな祝福である。コンソラータの祈りによって突然召し出しは非常に増加し、テストナのモリオンドに新しい修道院を増設する必要を生じた。

〈慰め手なるコンソラータ〉

コンソラータは自分の修道名 Consolatrice(慰め手の意)を自分の使命だと感じた。イエズスが「あなたはすべての人のコンソラータとなるだろう。」と仰せられたが、その使命を、もはや地上で実行し始めた。英雄的な隣人愛にかられて、人の苦しみを自分の苦しみとし、その手紙の中でも親切なことばのみ書くように注意した。

「一九三四年のクリスマスから、心の中にふしぎな悲しみを深く感ずるようになりましたが、それがなぜかはわかりませんでした。全世界の苦しみが私の心に響いてきました。夜、私の個室の窓べで礼拝をしながら、外に立ち並ぶ家々の長い列を見、その家の中に住んでいる人々の寂しさ、神からの慰めもなしに非常に苦しんでいる心を思いやりました。私は世間で苦しんでいるすべての人々のために祈り、泣きました。

その時から神は、すべての苦しむ人々に対する深い同情の心を与えてくださいました。私は泣いている人を見るとすぐそのかたを抱きしめたくなります。私の心には神が住みたもうので、神がそのかたを慰めてくださると考えます。幸いなことに私は世間に住んでおりません。もし世間にいれば、まわりにかわいそうな人があまり多くて、いつでも深く感動ばかりしていることでしょう。ある日、母様が非常に苦しんでおいででした。私は心に抱きしめたい強い望みに負けないため、大急ぎで母様の部屋から出ました。」

 「私は靴直しの職人として、買物のため外出する助修女(修道院の雑務を担当する)と話す必要があり、二人だけで時々話しました。ある日そのシスターの悲しみに気づき、慰めのことばがかけたくてたまらなくなりました。そこで少し静かに祈ってから慰めのことばをかけました。慈悲深いイエズスはそのかたへの慰めのことばを与えてくださったばかりでなく、イエズスご自身が私の心の中で『ああ、シスター・コンソラータ、ご親切をほんとうにほんとうにありがとうございました。』と仰せられました。

 自分の心から出たことばに驚きましたが、『あなたが沈黙すれば、私が、あなたによって語るだろう』とのイエズスの御ことばを思い出しました。」

コンソラータの激しい隣人愛は修道院の塀を超えて、世界じゅうのすべての苦しむ人におよんだが、特に刑務所にはいっているかわいそうな囚人のことを心にかけていた。イエズスはゲッセマニの園で捕えられ、カイファの裁判にかけられたのち、牢獄で一晩刑吏たちにひどく苦しめられたことによって、囚人たちの苦しみに参加された。また「牢にいた時、あなたがたは尋ねてくれた。」ということばによって、ご自身を囚人たちと等しくされた。そしてそれによって不正なさばきにより無罪でありながら刑務所で拷問その他の責め苦を受ける人々に、耐え忍ぶ力の恵みを与えられたのである。キリストに生きているコンソラータも同じように感じた。一九三五年九月二十九日書いている。

 「きのうイエズスは私にたいへん大切なことばを仰せられました。『コンソラータ、あなたは私に対して、すべてを惜しみなくささげて雅量(がりょう:寛大な気持ち)を示してくれた。私もあなたに対して雅量ゆたかにすべてを惜しみなく与えよう。』『では、イエズスよ、あなたはそんなに慈悲深いおかたですから、私のかぎりないほど大きな希望をすベて全うしてください。すベてを。……イエズスよ、私の死後、私を囚人たちの優しい姉妹、彼らのコンソラータとなる恵みをください。』『はい、よろしい、コンソラータ、私はそれを約束する。死後、私はあなたを刑務所へ行かせるだろう。このことを書いておきなさい。』

私は昨年、ゲッセマニの悲しみを感じ、その後苦しむ人、特にかわいそうな囚人に深く同情して、彼らのため一生懸命祈っておりましたが、さきほど応接間へ呼ばれ、『二十万人の人が政治関係で刑務所にいる』と聞き、たいへん感動しました。わが神よ、あなたのみ彼らを慰め、その悲しみを愉快な平安にお変えになれるでしょう。」

 囚人のためばかりでなく、煉獄の霊魂のためにも、十字架の道行、ロザリオその他多くの祈りをしたことはもちろんで、その祈りをしながら、「兄弟姉妹」のため、絶えず愛の心を起こし続けた。

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