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アヴェマリアの祈りは聖書的な祈り 

2022-09-05 13:12:29 | 日記
【アヴェマリアの祈りは聖書的な祈り(神父の放言2012/04/07)】

 マリア信心がキリスト教的でないと、プロテスタントの人々から
 批判を浴びることがある。

 行き過ぎた信心なら、「その通りだ」と思うが、バランスの 
 取れたものなら、キリストへの信仰の助けになる。

 批判を浴びて答えられないカトリック信者もいるだろうから
 書こうと思う。

「アヴェ・マリアへの祈り」とは、かつては「天使祝詞」
 と呼ばれていた。この祈りは聖書から来ている。

 「アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
  主はあなたとともにおられます。」

 これは大天使ガブリエルからマリアに向けられた、
 受胎告知のときの言葉だ。(ルカ1章28節)

 「あなたは女のうちで祝福され、
  ご胎内の御子イエスも祝福されています。」

 これは、マリアがエリサベトを訪れたときに、
 聖霊に満たされたエリサベトが口にした言葉。(ルカ1章42節)

 「神の母、聖マリア」

 これも、エリサベトの「我が主の母が私を訪れてくださるとは…」
 から来ている。エリサベトは「わが主の母」と言ったのだ。

 「わたしたち罪びとのために、
 今も死を迎えるときもお祈りください」

 これは付け加えられた祈りだ。

 エリサベトの祝辞を受けてマリアが高らかに神を讃えた歌が
「私は神をあがめ…」から始まる「マグニフィカト」。
 教会では時々これを歌うし、司祭や修道者は毎日これを唱えている。

 このマグニフィカトの中で「いつの世の人も、
 私を幸いな者と言うでしょう」とマリアが歌った。
 この聖書の言葉を成就しているのが「アヴェ・マリア」の祈りだ。
 いつの時代も、「アヴェ・マリア」によって、
 聖母を幸いなものと呼んでいる。

 ちょっと前に読んだ本の中で、この指摘をしていたのは、
 アメリカでプロテスタント長老派からカトリックに改宗した神学者、
 スコット・ハーン博士だ(「ローマ・スイート・ホーム」の著者)。
 博士も、カトリックになるに当たっての最期の難関が
 マリア信心だったようだ。

 ちなみに主の祈りとアヴェ・マリアの祈りを繰り返し唱える
「ロザリオ」の祈りも聖書的だ。ロザリオの祈りで大切なのは
 これを口で唱えながらいくつかの聖書的神秘を黙想するところだ。

 たとえば受胎告知、イエスの誕生、十字架の死、復活などなど、
 現在全部で20の黙想箇所がある。同じ祈りを口にしながら、
 人となられたキリストの神秘を黙想するのがロザリオだ。
 小さな福音とも呼ばれるゆえんだ。3環、あるいは4環唱えれば、
 キリストの生涯をひととおり黙想することになる、
 けっこう単純なようで優れた祈りだ。

 バランスの取れた聖母信心は聖書的で、キリストの神秘へと
 導いてくれる、とカトリック教会が言うのをわたしは信じている。


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