新刊のご紹介です。
以前、 ブログの中でも少し触れましたが、加藤氏がセント・ルイス滞在中の27歳のときに、日記のつもりで書かれていたものが、一冊の本になりました。
論創社から出版されますので、お知らせ致します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/67/6bccbca11d8d6e10f8996751dad2d2ec.jpg)
『追憶のセント・ルイスー1950年代 アメリカ留学記』 加藤恭子著 論創社 2013年6月20日発行
「日本人の知らない、“庶民の”アメリカとは? 都会の片隅で暮らす普通の人々の姿を、エッセイの名手が限りない愛情をこめて描き出す、異色のアメリカ留学記。」(論創社のホームページからの引用)
「27歳のときに書いた文章なんて、生意気で、本当は、気恥ずかしいのよ・・・・・・」 とのご本人の弁ですが、留学生時代の若い感性に、50年代のアメリカはどのように映ったのでしょうか?
以下は、加藤氏からのメッセージです。
「この本が生まれたのは、友人の野中文江氏が論創社の若くて熱心な編集者、松永裕衣子氏を紹介して下さったからでした。
ただ、新しいものを書くだけの時間がなかったので、留学した27歳のときに「隣近所」と題をつけてノートに書いていたものを渡したのでした。
この隣近所とは、セント・ルイスで主人と私が間借りした家の家主、ベティ・ブラウンという当時私と同じ年の25歳だった女性の家の周囲の人々のことでした。でも、どうしてそのノートを松永氏に渡したのか?」
本の「あとがき」から引用します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「(そうだ、兵三さんが・・・・・・)
と、私は不意にわかった。「隣近所」ノートを渡したわけが、である。
兵三さんとは、芥川賞作家の柏原兵三のことで、四歳年下の下の弟の親友だった。二人の通う府立一中は、 三宅坂のわが家に近い。放課後の二人は、いつもわが家へ帰ってきて、下の弟の部屋で勉強していた。部屋の入り口には、「日本青年文学会」と墨で書いた木の札をかかげ、二人とも小説家志望なのだそうだ。
上の弟にとっても、私にとっても、兵三さんは、”もう一人の弟”のような存在になっていた。
昭和28年(1953年)に、主人と私が渡米留学し、少しして下の弟が外交官試験に通り渡米してからも、兵三さんは時々母を訪ね、話相手になってくれていた。彼だけが初志を貫徹し、芥川賞も頂き、作家になっていた。
一時帰国した私たち夫婦は、1965年には永住権を取り、再渡米した。主人は、マサチューセッツ州立大学の動物科の準教授だった。
1969年の夏、
「お姉さまの家へ泊りに行っていいですか?」
という便りのあとで、マサチューセッツ州西部の小さな大学町、アムハーストのわが家に、兵三さんが現われた。1週間の滞在予定だそうだ。話したいことは、お互いに山ほどある。ところが、彼が真先に口にしたのは、
「お姉さまの昨品、読みましたよ」
だった。荷物はほとんど、当時青山に住んでいた母の家に置いてあった。
「何を?」
「『隣近所』です。お母さまが見せてくださったので。あれは、実に面白い」
「そう?」
「僕たちは、”アメリカ”を考えるとき、政治経済や、社会や文化から入っていくじゃないですか。でもあそこでは、”個人”が生きている。それも、小説の中の作られた個人ではなく、生の個人そのもの。しかも、ほとんどの人が大学など行かない。ああいうアメリカ人を、僕たちは知りません。行動や、心の動きが手にとるようにわかる。すばらしいですよ、お姉さま、あの作品は!」
あまり賞めてくれたので、しかも私は、”作品”とは考えずに書いていたので、どう答えればよいかわからず、「ふーん」とかなんとかいっていたように思う。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
加藤氏は、このときの柏原兵三氏の言葉を思い出し、ノートに書き溜めていた「隣近所」を編集者の松永氏にお渡ししたのだそうです。
その結果、『追憶のセント・ルイスー1950年代 アメリカ留学記』 の出版に至った、というわけです。
そうか! 日記、三日坊主にしないで書いておくものですね! もっとも、わたしの日記が出版されるとは思えませんが・・・(涙)
皆さまも、遠い昔に書いた日記や文章を読み返してみてはいかがでしょう?
さて、加藤氏は、近日中にもう一冊単行本を出版されます。
『MUSTの人生』 中央公論新社からの発売です。
次回のブログでご紹介させていただきますので、お楽しみに!