加藤恭子のノンフィクションの書き方講座

講座のブログを始めました!講師の著書紹介と講座のご案内をいたします。どうぞよろしくお願いいたします。

『歳のことなど忘れなさい。』 好評です!

2017-10-02 09:22:28 | 加藤恭子の作品

今回で23年目を迎えました!

第23回 加 藤 恭 子 の
                 「書き方」 講座   開 講 の お 知 ら せ

                                 受 講 生 募 集 中
 !


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先日、出版された『歳のことなど忘れなさい。』、お陰様で好評です。


「励まされました。」というコメントを、多くいただいております。

有難うございました。




ところで、以前、加藤氏がwebサイト「日経ビズカレッジ」からインタビューを受けられた記事が


大変好評でしたので、そちらもご紹介いたします。


まだご覧になっていない方は、下記からのぞいてみて下さい。


日経BP webサイト「日経ビズカレッジ」に掲載されたインタヴュー記事です。


ゆとり世代、業界の大先輩に教えを請うというコーナーでした。


前編と後編があります。


『言葉でたたかう技術』の著者、加藤恭子さんに聞く


(前編)


「日本が戦争に巻き込まれる日が、残念だけれどきっと来ます」


http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110217/260553/?rt=nocnt



(後編)


「戦争中も少女たちで集まって、こっそり英語の勉強会を開いていました」


http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110223/261202/


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以上です。


講座についてのお問い合わせは、下記へメールにてお願いいたします。


katoh_kohza@hotmail.com


詳細をお送りさせていただきます。


それでは、ご連絡をお待ちいたしております!


そして、講座にてお会いするのを楽しみにしております!


加藤恭子 「ノンフィクションの書き方」講座                                   事務局 一同




『歳のことなど忘れなさい。』が出版されます。

2017-09-18 07:51:57 | 加藤恭子の作品

新刊のご紹介です。





『歳のことなど忘れなさい。』という本を出版芸術社から、9月22日に出版します。

小さいけれど、良書を世に送る、志の高い出版社から出して頂けることをうれしく思います。

担当編集者は、上智大学でフランス語講師をして受け持った最初のクラスにいた人物です。

昔の教え子たちに支えられ、「ノンフィクションの書き方」講座の受講生たちに支えられ、私は自分の歳など考える必要もなしに、ここまでくることができました。

まだ、走れます。

まだ、重い荷物を毎日運んでいます。

教え子たちへ、有難う!

受講生たちへ、有難う!

そして、上智大学へ、有難う!


加 藤 恭 子
  





『SNOOPYと学ぶアメリカ文化』

2017-06-09 23:58:08 | 加藤恭子の作品


2017年も、気がつくともう6月。時間経過の速さに驚いています。
皆さまは、いかがお過ごしでしょうか。

2016年度の講座も本年3月に無事に終わり、今は、秋からの講座開講に向けて準備をしているところです。

詳細が決まりましたら、お知らせいたしますので、今しばらくお待ちくださいませ。


さて、加藤恭子氏は、『SNOOPYと学ぶアメリカ文化』を、ポプラ社より、2016年12月に出版されております。
でも、なぜ、加藤氏がスヌーピーなのでしょう。同じようなご質問をいただいております。
そのことについて加藤氏よりコメントをいただきました。





スヌーピーについての本が出ました。

『SNOOPYと学ぶアメリカ文化』(ポプラ社)ですが、周囲の方々から、「なぜ あなたがスヌーピーを?」と不思議がられています。

でも、私はアメリカに十五年住んでいた間に、娘を生み、小学五年生まで育てました。一緒にスヌーピーを読んだし、近所の子供たちとの交流は、スヌーピー世界の子供たちと同じようだったのです。
ですから、スヌーピー作品は、私にとっては、自分の生活の一部でした。

女の子たちがけんかに強いこと、すぐに人々が「告訴するぞ!」と言ったり、どの家にも銃があったり、自分の部屋を掃除するのにお金を要求したり、スヌーピー作品は、私たちの周囲におこったことをそのまま書いている感じ。表面からだけではわからないアメリカ人の考え方、生活、もちろん、たのしさ、面白さも含めて、自分の経験した”スヌーピーの世界”について書きました。漫画も沢山入っています。

携わってくださった笠原様、木村様とポプラ社に感謝しつつ・・・。

加 藤 恭 子


スヌーピー

2016-09-26 08:04:51 | 加藤恭子の作品

第22回 加 藤 恭 子 の「書き方」 講座 受 講 生 募 集 中 !

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こんにちは!皆さま、お元気ですか?
赤とんぼや虫の音に、すっかり秋の気配を感じるこの頃です。
加藤氏は変わらず家事に仕事に、忙しい毎日を過ごされております。

ブログをご覧いただき有難うございます。「FMヨコハマ」のラジオ放送をお聴きになった方から、「戦後のアメリカでの苦労話が面白かった」とのコメントをいただきました。
加藤氏は、終戦7年後に渡米されています。そのときの様子は『青春に悔いなしー学生夫婦留学記』(三一書房、1965年)のなかに収められています。残念ながら、すでに絶版になっておりますが、そのときの体験談を、10月からの講座のなかで少しずつお話いただく予定です。ご期待くださいませ!

さて、今年に入って取り組んでいらっしゃいました「スヌーピー」に関する本が、ようやく出ることになりました。詳細が決まりましたら、またお知らせいたします。

ところで、この4月、東京の六本木にスヌーピーミュージアムが誕生しています。2018年9月までの期間限定の開館(の予定?)だそうです。
一度、足をのばしてみるのもいいですね!

以下に、加藤氏からのお話をいただきました。

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皆さま、お元気にお過ごしですか。

12月になると思うのですが、「スヌーピー」についての本が出ることになりました。

「えっ、どうしてあなたがスヌーピーを?」

と周囲からびっくりされるのですが、実はスヌーピーとの縁は、何十年も前からありました。

昭和50年代の月刊『スヌーピー』という雑誌に、毎月「マダムKATOの楽しく読めるPEANUTS」という題でスヌーピー英語の解説を書いていました。

また、谷川俊太郎先生訳『スヌーピー全集』十巻(角川書店)(復刊ドットコム)に、「SNOOPYの英語レッスン」を書かせて頂きました。

アメリカで娘を生み、小学五年生まで育てた私にとっては、「スヌーピー」は、自分の娘も含む”子供たちの生活の一部”でもあったのです。

題は、また決定ではありませんが、『スヌーピーを通して学ぶアメリカ』になる予定です。

手にお取りいただければ、うれしく存じます。

加 藤 恭 子
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『スヌーピー全集』谷川俊太郎訳、十巻(角川書店)(復刊ドットコム)






『文藝春秋』9月号 巻頭エッセイ、立花隆 『昭和天皇「謝罪詔勅草稿」の発見』の引用

2016-09-06 23:54:26 | 加藤恭子の作品

第22回 加 藤 恭 子 の「書き方」 講座 受 講 生 募 集 中 !

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皆さま、FMヨコハマ「SUNSTAR WEEKEND JOURNEY」をお聴きいただき、有難うございました。
お聴きになった方から、
「少女のような声に驚いた」
「前向きなポジティブ シンキングと行動力が素晴らしいですね」
「続けていらっしゃる講座が、独自の視点で日本や日本人を考え、発信する基地となっていることに、敬意を表します」
というような声を多くいただきました。有難うございます。


ところで、現在発売中の『文藝春秋』9月特別号(2016)に、加藤氏が2003年に文藝春秋から出版された『昭和天皇「謝罪詔勅草稿」の発見』が引用されております。ご覧いただければ幸いです。

引用されているのは、以下の記事のなかです。


巻頭エッセイ

「天皇制の限界」立花隆


天皇陛下の「生前退位」のご意向がマスコミで報道されて以来、話題になっている内容です。

このような形で、立花隆先生に引用していただくことはとても光栄なことです。

有難うございます。



『昭和天皇「謝罪詔勅草稿」の発見」加藤恭子 文藝春秋 2003年


以下は、加藤氏からのコメントです。

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立花隆先生のような方に引用していただいたことを非常に嬉しく思います。立花先生の常に正確さを追及されるご姿勢には、感銘をうけております。

また、FMヨコハマの「SUNSTAR WEEKEND JOURNEY」をお聴きになった方々から、多くのお電話やお手紙をいただきました。有難うございました。

パーソナリティの本村さんは、うまく話を引き出して下さる方でした。そして、番組のディレクターや放送作家、そして技術の皆さまとも楽しい時間を過ごさせていただきました。
感謝申し上げます。

加 藤 恭 子

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『昭和天皇実録』の完成により再注目される「田島道治氏」

2014-09-09 10:05:43 | 加藤恭子の作品

第20回  加 藤 恭 子 の 「ノンフィクションの書き方」 講座  開 催 の お 知 らせ                            

受 講 生 募 集 中 !

詳しくは、下記へお問い合わせください。

katoh_kohza@hotmail.com

詳細をお送りさせていただきます。

ご連絡をお待ちいたしております!

http://blog.goo.ne.jp/kato-koza-nonfiction1995

 

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このところ、加藤氏の周辺が騒がしくなってきました。

それは、宮内庁が編纂した政府公認の『昭和天皇実録』全61巻が完成し、8月に天皇皇后両陛下に献上された、というニュースが流れたからです。

でも、なぜそれが、加藤氏に関係があるの? と思っていましたが、実は、『実録』を要約した文書を入手している宮内庁記者会の加盟社の記者たちが、『実録』のなかに記載されている「田島道治氏」に注目しているらしいのです。

「田島道治氏」といえば、加藤氏が、彼の伝記を2002年に、TBSブリタニカ、現阪急コミュニケーションズから出版なさいました。題名は、『田島道治ー昭和に「奉公」した生涯』。原稿用紙2000枚におよぶ、大作でした。

今回完成した『実録』のなかに、この伝記からの、主に「田島日記」の引用がなされているようなのです。

 

『田島道治ー昭和に「奉公」した生涯』 阪急コニュニケーションズ、2002年出版

とにもかくにも、2002年に出版された本が、また注目されるのはうれしいことです。

皆さま、ぜひご覧ください。

また、昭和天皇に関連した書籍は、他に3冊あります。

そちらも、併せてご覧いただければ「田島道治氏」という人物をよく知ることができると思います。

『昭和天皇「謝罪詔勅草稿」の発見』 文藝春秋 2003年12月

 

『昭和天皇と田島道治と吉田茂』 人文書館 2006年4月

 

『昭和天皇と美智子妃 その危機に』 文春新書 2010年3月

 以下は、加藤氏からのメッセージです。

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今回、「田島日記」などについて、新聞やテレビから面接、電話、手紙などの形で取材を受けましたが、一つの違いを発見しました。

この方たちにとっては、田島道治先生は、 ” 長官 ” なのです。 わたくしにとっては、 ” 田島先生 ” なのです。

自宅の隣りに駕籠町明協学寮を建て、東大の学生たちに最高の住環境を与え、御自身は、 『論語』 の講義をなさり、将来の日本の指導者を育てようとなさいました。

この寮が空襲で失われ、戦後になると、麻布明協学寮、高輪明協学寮が続きました。

昭和43年12月初旬、田島先生は肝臓癌のためにご逝去。 その後も、元学寮生たちは御命日に 「明協会」 を続け遺徳をしのんできました。 わたくしも、伝記の著者として、その中に加えて頂き なごやかな時を過ごさせていただきました。

田島道治氏は、確かに、宮内庁長官もなさいました。でも、私たちにとっては、厳しいけれども、あたたかい ” 田島先生 ” だったのです。

加 藤 恭 子

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新刊 『追憶のセント・ルイス ー 1950年代アメリカ留学記』

2013-06-18 08:47:32 | 加藤恭子の作品

 新刊のご紹介です。

以前、 ブログの中でも少し触れましたが、加藤氏がセント・ルイス滞在中の27歳のときに、日記のつもりで書かれていたものが、一冊の本になりました。

論創社から出版されますので、お知らせ致します。

『追憶のセント・ルイスー1950年代 アメリカ留学記』 加藤恭子著 論創社 2013年6月20日発行

「日本人の知らない、“庶民の”アメリカとは? 都会の片隅で暮らす普通の人々の姿を、エッセイの名手が限りない愛情をこめて描き出す、異色のアメリカ留学記。」(論創社のホームページからの引用)

「27歳のときに書いた文章なんて、生意気で、本当は、気恥ずかしいのよ・・・・・・」 とのご本人の弁ですが、留学生時代の若い感性に、50年代のアメリカはどのように映ったのでしょうか? 

 以下は、加藤氏からのメッセージです。

 

「この本が生まれたのは、友人の野中文江氏が論創社の若くて熱心な編集者、松永裕衣子氏を紹介して下さったからでした。

ただ、新しいものを書くだけの時間がなかったので、留学した27歳のときに「隣近所」と題をつけてノートに書いていたものを渡したのでした。

この隣近所とは、セント・ルイスで主人と私が間借りした家の家主、ベティ・ブラウンという当時私と同じ年の25歳だった女性の家の周囲の人々のことでした。でも、どうしてそのノートを松永氏に渡したのか?」

本の「あとがき」から引用します。

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「(そうだ、兵三さんが・・・・・・)

と、私は不意にわかった。「隣近所」ノートを渡したわけが、である。

兵三さんとは、芥川賞作家の柏原兵三のことで、四歳年下の下の弟の親友だった。二人の通う府立一中は、 三宅坂のわが家に近い。放課後の二人は、いつもわが家へ帰ってきて、下の弟の部屋で勉強していた。部屋の入り口には、「日本青年文学会」と墨で書いた木の札をかかげ、二人とも小説家志望なのだそうだ。

上の弟にとっても、私にとっても、兵三さんは、”もう一人の弟”のような存在になっていた。

 昭和28年(1953年)に、主人と私が渡米留学し、少しして下の弟が外交官試験に通り渡米してからも、兵三さんは時々母を訪ね、話相手になってくれていた。彼だけが初志を貫徹し、芥川賞も頂き、作家になっていた。

 一時帰国した私たち夫婦は、1965年には永住権を取り、再渡米した。主人は、マサチューセッツ州立大学の動物科の準教授だった。

 1969年の夏、

「お姉さまの家へ泊りに行っていいですか?」

 という便りのあとで、マサチューセッツ州西部の小さな大学町、アムハーストのわが家に、兵三さんが現われた。1週間の滞在予定だそうだ。話したいことは、お互いに山ほどある。ところが、彼が真先に口にしたのは、

「お姉さまの昨品、読みましたよ」

だった。荷物はほとんど、当時青山に住んでいた母の家に置いてあった。

「何を?」

「『隣近所』です。お母さまが見せてくださったので。あれは、実に面白い」

「そう?」

「僕たちは、”アメリカ”を考えるとき、政治経済や、社会や文化から入っていくじゃないですか。でもあそこでは、”個人”が生きている。それも、小説の中の作られた個人ではなく、生の個人そのもの。しかも、ほとんどの人が大学など行かない。ああいうアメリカ人を、僕たちは知りません。行動や、心の動きが手にとるようにわかる。すばらしいですよ、お姉さま、あの作品は!」

 あまり賞めてくれたので、しかも私は、”作品”とは考えずに書いていたので、どう答えればよいかわからず、「ふーん」とかなんとかいっていたように思う。」

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 加藤氏は、このときの柏原兵三氏の言葉を思い出し、ノートに書き溜めていた「隣近所」を編集者の松永氏にお渡ししたのだそうです。

その結果、『追憶のセント・ルイスー1950年代 アメリカ留学記』 の出版に至った、というわけです。

そうか! 日記、三日坊主にしないで書いておくものですね! もっとも、わたしの日記が出版されるとは思えませんが・・・(涙)

皆さまも、遠い昔に書いた日記や文章を読み返してみてはいかがでしょう?

 

さて、加藤氏は、近日中にもう一冊単行本を出版されます。

『MUSTの人生』 中央公論新社からの発売です。

次回のブログでご紹介させていただきますので、お楽しみに!

 

 

 

 

 


『伴侶の死』の復刊と梯久美子氏の解説

2013-05-21 15:16:53 | 加藤恭子の作品

皆さまへ お知らせです。

加藤氏の著書  『 伴侶の死 』 が 文藝春秋社 より復刊されました。

この本は、平成元年(1989年)4月に 春秋社 から出版され、ベストセラーになったものです。

そして、その8年後、平成9年(1997年)に 中公文庫 として発行されていました。

この度の復刊にあたり、表紙もあらたに。そして、梯久美子氏による解説が、 まるで 時代の ” 道案内人 ” のように、25年前に書かれた本書が現代へと繋がるすばらしい内容になっています。

下記に、オビにも紹介されている解説からの引用をご紹介させていただきます。

「本書は平成元年に単行本として出版され、ベストセラーとなった。それから現在までの間に、日本は大きな震災を二度経験している。おびただしい突然の別れがあり、多くの人が家族や大切な人を失った。日本人全体が大きな喪失感に包まれ、死者とどのように向き合えばよいかについて深く考え始めているいまこの時代にこそ、あらためて広く読まれるべき書であると思う。」―――梯久美子(解説より)

ぜひご覧下さいませ。

ちなみに、梯久美子氏は、著書 『 散るぞ悲しき ー 硫黄島層指揮官 ・ 栗林忠道 』 (新潮社 2005年7月)で、2006年に第37回 大宅壮一ノンフィクション賞 を受賞されております。

 

以下は、加藤氏からのメッセージです。

「 『伴侶の死』 の三度目の出版は、梯氏の解説で、過去を現在へとつなげて下さいました。

そして、担当編集者が別宮ユリアさん、上智大学でのフランス語の教え子でした。

優秀で、記憶に残る個性的な学生でした。

昔の教え子に支えてもらえるのは、本当に本当にうれしいことです。 有難う 。 別宮ユリアさん!

そして、現在の自主講座としての 「 書き方教室 」 も含め、 多くの ” 出会い ” を可能にして下さった上智大学に、感謝しております。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


40数年振りのスヌーピー

2012-11-23 23:59:10 | 加藤恭子の作品

世代を超えて愛されるスヌーピー。

一度は、必ずどこかで見たことのある漫画だと思います。

40数年前に、加藤氏が関わられた書籍に『スヌーピー全集』チャールズ・M・シュルツ 著 / 谷川俊太郎 訳があります。

その『スヌーピー全集』が、この度、復刊ドットコムより、出版されるという嬉しいお知らせが届きました。

加藤氏が関わられたのは、本の最後の部分にある「SNOOPYの英語レッスン」です。

スヌーピーと一緒に、英語を学べるなんて、楽しいですね!

ご興味のある方、ぜひご覧ください。

40年以上も前ということで、加藤氏も、すっかり忘れていたそうですが、本当に嬉しい出来事です。

復刊ドットコムにリクエスト投票して下さった皆さま、有難うございます!

加藤氏からコメントがきましたので、下記にご紹介させていただきます。

 

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どういうきっかけで、高名な詩人谷川俊太郎先生と知り合いになったのかは、記憶しておりません。四十年以上も前のことでした。

谷川先生は、角川書店から『スヌーピー全集』全十巻を出版しようとしておられました。原文も先生の訳も両方が、それぞれのコマについています。

そして、本の最後の部分に、「SNOOPYの英語レッスン」と題して、私が10ページの説明を書くことになりました。1971年の第一巻に書いた私の序文を引用します。

 

「原語で、または谷川俊太郎先生の翻訳で、過去10年の間にピーナッツの世界は、日本の若い人たちにも広く受け入れられてきました。外国の漫画がこれほど読まれ愛されてきたというのも、ちょっと例のないことでしょう。

本国でもちろん、最も人々に親しまれたものの一つです。子供から老人まで、読む人の年齢と環境に応じて、それぞれにチャーリー・ブラウンとスヌーピー・・・、そして、他の”ピーナッツ世界”の人物たちの魅力を感じてきたわけです。

そこには、人間なら、子供なら、どこでも共通、という要素も含まれています。まだ、必ずしも日本と同じではないけれど、知識として知っている、という部分もあるでしょう。

また、少数の人は知っているけれど、ほとんどは知らないという、異なった習慣、考え方、言語表現も含まれています。

最後の部分を中心に、多少の手助けをしたいというのが、私のねらいです。」

 

漫画と私を結びつける方は少ないのですが、アメリカで娘を育てた私たちにとっては、スヌーピーは”生活の一部”でもありました。

今回復刊ドットコムによって、十巻全巻が月に二冊ずつ出版されることになり、うれしく思っております。

スヌーピーは、チャーリー・ブラウンは、ルーシーは、楽しいです!

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『日本を愛した科学者』

2011-11-29 23:44:57 | 加藤恭子の作品

以前にもブログの中でご紹介した『渚の唄ーある女流生物学者の生涯』 (講談社、1980年)を出版した加藤氏は、次に 『日本を愛した科学者―スタンレー・ベネットの生涯』 ジャパンタイムズ、1994年を手がけることになります。そのきっかけとなったのが、『渚の唄』 の取材で知り合った人物との ” ご縁 ” でした。

『渚の唄ーある女流生物学者の生涯』の主人公、團ジーンは、昭和53年11月13日に千葉の舘山で急逝。千葉大学で病理解剖が行なわれました。そのとき立ち会われた関係者の中に、同大学教授永野俊雄氏がいました。

 そして、後年、永野氏は、ご自身の恩師スタンレー・ベネットの伝記を加藤氏に依頼することになります。

スタンレー・ベネットは、鳥取で生まれながら、太平洋戦争では米海軍士官として沖縄戦に参加した人物です。自分が生まれた国 ” 日本 ” と戦うことに悩み苦しんだ彼は、戦後、ワシントン州立大学医学部解剖学科教授になると、多くの日本人研究者を自分のところへ呼び寄せます。日本の若き科学者育成と日本における電子顕微鏡の発展に心血を注いだ、科学者の物語です。

彼の日本人の弟子たちは、「ベネット会」を作り、その会長が永野俊雄氏だったのです。

1992年8月9日、スタンレー・ベネットがアメリカで亡くなると、「ベネット会」の会員たちは、恩師の業績を顕彰するために、伝記の出版を計画。

永野氏は、『渚の唄』 の著者に依頼しようと声をあげ、他の会員たちも賛同。このような経緯で、團ジーンからベネットへと ” 縁 ” はつながっていったのです。

 この作品は、平成6年(1994)  『日本を愛した科学者 ― スタンレー・ベネットの生涯』 と題して、斉藤純一と笠原仁子両氏の担当によってジャパン・タイムズから出版されました。
 
 

 『日本を愛した科学者―スタンレー・ベネットの生涯』
加藤恭子著、The Japan Times、1994年

ちなみに、ベネット会の会員とは、日本を代表する生物学者たち。会長はすでに述べた永野俊雄氏、そして山田英智、濱清、三井但夫、水平敏知、管沼惇、山元寅男、山本敏行、飯野晃啓、高屋憲一、二重作豊、内薗耕二など、いずれもそれぞれの分野で錚々たる学者たちです。

そして、この作品は、平成7年度 第43回 日本エッセイスト・クラブ賞 を受賞。

ベネット会の会員たちとの出版記念会の様子と、第43回日本エッセイスト・クラブ賞の授賞式の写真がありますので、ご紹介させていただきます。

 

授賞式では、加藤氏は 「スタンレー・ベネット学校、一年一組134名、右副総代永野俊雄、総代加藤恭子」 として、受賞の言葉を述べられました。

これには理由があります。日本や米国での関係者への取材の際にお世話になった多くの方々、また、取材の折に出てくる多くの科学用語や専門的な部分について献身的に手助けしてくださったベネット会の方々のお蔭でこの作品が生まれたこと。つまり、スタンレー・ベネット氏を慕う日本人約70人、外国人60人の共著だということ。さらに、編集者や支えてくれた家族をあげられ、感動的な挨拶だったそうです。 

  

ちなみに、1994年にスタンレー・ベネットの作品 『日本を愛した科学者 ― スタンレー・ベネットの生涯』 を出版したあと、翌年の1995年には、彼に関するもう一冊の作品が出ました。

 
『戦場から送り続けた手紙 ― ある米海軍士官の太平洋戦争 』 スタンレー・ベネット著、加藤恭子/今井萬亀子 編訳、The Japan Times、1995年。

彼が太平洋戦争に従軍した際、激戦のガダルカナル、そして沖縄から妻アリスへ送り続けた手紙を訳したもので、沖縄戦の様子がよくわかる感動的な作品です。

そして、加藤氏がこの本のために取材した「ベネット会」会員の一人に、内薗耕二氏がいました。彼との出会いが、実は、次の伝記へと続く ” ご縁 ”となっていったのです。