90年代最高のサッカー選手。眉毛が繋がっている。
1966年5月24日フランス出身。
1983-1984シーズンに、フランス・オセールにてプロキャリアをスタート。その後、マルセイユ、ジロンディンズ、リーズ・ユナイテッドを経てマンチェスター・ユナイテッドに移籍。マンチェスターユナイテッドでは3度の優勝の原動力になる。クラブファンが選ぶ「20世紀を代表する選手」に選ばれた。重戦車のような体でピッチを駆け回り、相手選手を威圧。しかしそのボールさばきは天才的で、技術的には完璧に近かった。これだけなら他にも優れた選手はいるが、カントナをカントナたらしめたのはその類まれなるイマジネーションであった。ピッチ上で彼に不可能は無く、彼の頭の中で試合をしてるような、それほど他の選手に影響力のある選手だった。ユニフォームの襟を立てる着こなしは、彼が元祖といわれる(ガンバの松波が真似をしていた)。「唯我独尊天上天下」「エリック・ザ・キング」の異名を持つ。その実力と同じ位、ピッチの外での逸話は多い。
1987年8月21日西ドイツ戦でフルデビュー、主力として活躍するが、当時監督のアンリ・ミシェル監督を批判したことにより1年間の代表追放処分を受ける。
その後代表指揮官がプラティニとなると代表復帰を果たすが、パパンとの2トップで期待された1992年欧州選手権は不発に終わった。1994年ワールド杯欧州予選では最終戦にてブルガリアに出場権を奪われる不運、母国開催となる1998年ワールド杯にてメンバーから漏れた事をきっかけに31才にして自ら現役引退を決意、まだまだ余力を残していただけにその早すぎる引退が非常に惜しまれるものであった。当時の監督であったかの有名なエメジャケ監督は、カントナを外しジダン中心のチーム作りを目指す為、カントナに代表に呼ばない旨を通達する時、「殺されると思った」という逸話もある。
その他の、彼のトラブルの数々を紹介しておこう。
87年、チームメイトを殴り罰金、89年、ボールを観客席に蹴りこみ、審判にユニフォームを投げつけチームより無期限出場停止をうける。
90年、チームメイトにスパイクを投げつけ10日間出場停止、91年、審判にボールを投げつけ3試合出場停止。
93年、リーズサポーターにつばを吐きかけ1000ポンドの罰金、UEFAカップガラタサライ戦で審判に暴言カップ戦4試合出場停止。
94年、スウィンドンの選手を踏みつけ5試合出場停止。
1995年1月25日、クリスタルパレス戦においてレッドカードを宣告され退場するカントナに野次を飛ばした(カエル呼ばわりした)パレスのサポーター、マシュー・シモンズ氏に対して、カントナがいきなりとび蹴りを放った(ファンの間では「カンフーキック」と呼ばれる)。カントナは元々あまりおとなしいタイプでは無かったが、さすがにこれには大きな批判を呼び、罰金1万ポンド謹慎処分、裁判では禁固2週間の判決(かわりに120日間の社会奉仕活動1年弱の出場停止処分を言い渡された。
カントナが輝いた時代は、代表でも不遇である為、実質マンチェスター在籍時代の5年間のみだろう。そのカリスマ性、そしてシャンパンサッカーと言われた華麗なフランスサッカーにイングランド(マンチェスター)の荒々しさを兼ね備えたスペクタクルなサッカースタイルがファンの心を捕らえ、そして惜しまれたのであった。1997年に31歳で引退後は俳優、そしてビーチサッカーフランス代表も務める。ナイキのCMの出演が有名。