
私はバッハの音楽が大好きで、評論家や演奏家が書いた解説書も、これまでにいろいろ読んできました。そして先日、たまたま立ち寄った古本屋で求めた音楽学者の磯山雅(2018年に71歳で逝去)が書いた『J・S・バッハ』を読み、いたく感じ入ったのでご紹介します。NHK-FM「古楽の楽しみ」で語りを耳にしたことはありましたが、磯山氏の本を読んだことはありませんでした。音楽的な知識の広がりと深みのある氏が紡ぐ文章は、素人には難しい部分もありますが、バッハに対する尊敬と愛情がしみじみと伝わってきます。そもそも磯山がバッハに傾倒したきっかけが浪人時代のこと。次のように書かれています。「カンタータ第78番《イエスよ、汝わが魂を》のテノールレチタティーボ<ああ、われは罪の子なり>を聞き、電撃的な感銘を受けたのがきっかけだった(中略)私はそのとき、未熟な自分を苦しめていた内面のあるものを、バッハにぐっとつかみ出されたような気がして、おののきを覚えたのである。ああ、バッハも同じなのかと、私は思った」。高校を卒業したばかりの時期に、これほど高邁な精神を宿していたとは…そのことに驚かされますが、無事に東大合格を果たしたのはバッハのご利益? もあったのかもしれません。実は私も高3の受験期に、毎日バッハのブランデンブルク協奏曲や管弦楽組曲をかけながら、勉強をしていた思い出があります。勉強を苦痛に感じさせないセラピー効果に、どれほど救われたでしょうか。学校に勤務していた時には、生徒諸君にも1つの勉強法として紹介していました。
本書はさまざま興味深い記述にあふれていますが、その中の一節が執筆当時のこと。バッハの演奏に革命が起きていたという話です。このことにより磯山は「新しい録音を聴くのが、楽しくて仕方がない」と書くほどの出来事でした。ではバッハ演奏の革命とは何か? それはバッハの音楽がその時代の楽器によって、声楽であればバッハ時代の発声法や唱法によって再現されるようになったということです。なるほど、言われてみると私たちが耳にするのは、楽器の進化とともに演奏家が追及してきた、最新の技術を取り入れた演奏なのでしょう。それをバッハの本質に迫っていくために、17世紀から18世紀の楽器と奏法を再現させるという試みは、古くて新しい挑戦だと感じました。それを主導していたというグスタフ・レオンハルトやニコラウス・アーノンクールの演奏など、私も何枚か持っていますが、こうした音楽史の中に位置づけられている流れは認識していなかったのです。その後、古楽器演奏はますます広範に高い水準で営まれており、新時代の演奏常識になろうとしているとのこと。文章を読んで、さっそく10枚ほどのCD を注文し、併せて磯山氏の解説本もポチしました。自分にとってのバッハの世界が、また変わってきそうな予感がいたします。
※磯山が招聘教授を務めていた国立音楽大学のホームページには、彼が書いた文章が残されています。ここに書かれている「いつからか、私は「音楽には神様がいる」と思うようになりました。音楽の神様に喜んでいただくことが音楽の目的であり、だからこそ音楽を愛する人たちは、寝食を忘れ利害は二の次にして、音楽に励むのではないか…」という文章は、バッハの本にも同様の意味の記述がありますので、彼の揺るがぬ信念なのでしょう。