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貸本マンガ史研究会
貸本マンガと戦後の歴史
 



今日12月28日、石川球太さんが10月15日に亡くなられたことが報じられました。78歳でした。
石川球太さんは、動物マンガの第一人者として知られています。それもかわいい動物ではなく、リアルな恐怖の対象としての動物を描けば、右に出るものはいない存在でした。
若くは『漫画少年』の常連投稿者でしたが、貸本マンガにも『ななし野ものがたり』(漫映出版、1956年)をはじめとして、若木書房などでいくつかの作品を残されています。
私事になりますが10数年前、ある仕事が終わった打ち上げで石川球太さんに初めてお会いしました。その席で研究会の会誌をお渡しし、その後も会誌を送ると、励ましのお葉書が届いたりしました。
2007年に開催した『貸本マンガRETURNS』の出版記念会にもご出席いただきました。そのときの芳名帳に残る石川さんのサインです。



力強く「球太」とだけ書かれています。
会場で石川さんがこう言われたのを憶えています。
「つげ(義春)さんは来てないのか。会いたかったのにな」
石川さんは、ともに「むさしのプロダクション」を結成した永島慎二さん、杉村篤さん、深井ヒローたちとの交遊は知られていますが、つげ義春さんとも交流がありました。
心から石川球太さんを追悼いたします。(H)


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