そういえば経済関係のネタはあまりフォローしていなかったな、とか思ったけど特に面白いネタもなかった。
・かくりつ
「誕生日のパラドックス」なんて言葉をぐぐると、結構へぇーって感じじゃないか多分。
詳しい話はウィキペディアさんに譲るとして、つまり1クラスに23人以上いるなら誕生日被ってる人がいる確率の方が高いよ、という話。
ちなみにこういう意外な高確率というのは身近にもあったりして、ポケパを例に出すと、このブログの左側に置いてある”くじ”なんかそれっすね。
例えば俺の場合、アリーナでは鉄火を除く33匹から4匹をくじで選び出してるんだけど、このとき、二連続で選ばれるポケモンがいる確率は50%を若干超える。
ぐーぐるさんに計算式をぶち込んだところ
1 - ((29 / 33) * (28 / 33) * (27 / 33) * (26 / 33)) = 0.519340664
というお返事で、約52%の確率で二連続で選ばれるポケモンが存在しますね。
なので、○○ばっかりひくんやけど、ってのは、くじがぶっ壊れてるわけじゃなく、確率論的にまあ普通です。
・じょがくせー
女学校とか女学生なんて言葉は、まあその戦前のにおいのする言葉ですけど、最近これについての本を見つけて読んでるんだけど、これが面白い。
稲垣恭子『女学校と女学生』中公新書 がそれ。まんまですね。
今年に入って3ヶ月、せいぜい30冊くらいしか本は読んでいないのだが、今のところ今年のナンバーワン。
何が面白いかというと、本の内容はびっくりするほど女学校と女学生のことしか書いてない。それしか追ってない。にもかかわらず、その端々から色んなものが想起されてくる。つまり、夢がひろがりんぐってことですねはい。普段のキャラから勘違いされそうだけどエロイ意味じゃねーぞ。
例えば、女学生は休みの日をどう過ごすか。そりゃお稽古事とかはあるんだけど、それを終えた後は、友達と文房具屋に便箋を買いに行ったり、ウィンドウショッピングするんですって。
便箋とか一体何に使うのかというと、学校で友達とやり取りするため。しかも退屈な授業中に教師に隠れて回したりするそうですよ。もちろんこれ戦前ですよ戦前。もう70年以上前の人が日記にそういうこと書いてるんだよ。
今ならまあ携帯メールなんだろうけど、俺自身が中学生だったときはまだその携帯持込が禁止されていたのもあって、ノートの端だとか可愛らしい紙だとかにくだらないこと書いてやり取りしてる女子、というのは一定数おり、というかクラスほぼ全員やってたんじゃないかこれ。戦前から続いてるんならそりゃなくならんわなあ。
他にも、女学校とは別に各都道府県に設置が義務付けられた実用女学校というのが、女学生に必要なシグナリング効果を得られないため、廃止され、特に冠詞のない女学校という名称に統一されたなんていうくだりとか。
これは俺が経済学部ということもあり、2001年にノーベル賞を受賞した学者の唱えたシグナリング理論を知っているからこそだろうけど、ああこんなところにも実例ありましたね、そういう発見が面白い。ちなみにこの理論も概要を眺めるだけだとふーんって感じだろうけど、深く学ぶとかなり凄くて面白いよ。
話を戻そう。
実用女学校とは名のとおり、「○○なんて勉強して何になるのさ」という、古今東西どこからでも出てきそうな批判に対して、「じゃあ実際役立つこと勉強しようぜ」というわけで、なんとカリキュラムの約半分が裁縫の授業という、そんな学校。
なのだが識者や保護者、そして生徒からも、実用女学校という名称と内容はかなり評判が悪かった。
一体全体なぜか。
とりわけ戦前という時代を考えれば分かることだけれども、女学生に期待されたのは将来の「良妻賢母」となることであって、さらに両親から見れば「いいとこに嫁に」行ってもらえればいいわけだ。
「家事手伝い」なんて言葉を想起してもらうと良くて、要はニートじゃん、ってことなのだが、ニート=家事手伝いって裕福な家庭じゃないとできないよね、役立つことを教えてる実用女学校より、女学校で無駄な勉強してる女の子のほうが裕福な階層ですよね、というイメージがあるわけで、女学生とはそういうシグナルを発生させることになり、みんなにとって望ましい。
実用女学校だとちょっと下々の感じがしてしまうのでやめませんかと、これは俺が言ったわけでは当然なく、当時そういう話になったのだ。
こういうのは現代にも当然あって、高校や大学で勉強したことが社会で(直接)役立つかというと結構微妙なところなのだが、それでもおそらく(比較的・直接)役立つことを学ぶことができる工業学校やあるいは専門学校より、普通高校・総合大学が志望される事が多いことなどとも繋がってくる。どんどん話が広がるね。
さらには、今なんか凄い盛り上がってるお話にまで繋がってくる。
当時、お嬢様である女学生達の間では小説が大流行していた。ところがまあその源氏物語の内容は云々と言うまでもなく、小説、しかもうら若い女生徒が熱心に読むとなれば、ええまあ大体が低俗な恋愛ものとかそういう類ですよね。今でいうBLものもそれなりにあったはずだ。
となると、そんなものは風紀が乱れるからけしからん、勉強やらないで小説ばかり読んでけしからんと、かなりの学校で小説が禁止されることになる。
今ならDSやPSPかな。10年前は携帯電話、20年前で漫画とかになるんだろうか。更に40年前になると、あのビートルズだって禁止されていた。
とにもかくにも、こういう問題視される標的、はっきり言ってしまえばスケープゴートだろうが、そういうものはいつの時代にもあったわけだ。
もちろん、恐らくそれだけが直接の原因でうんたらこうたら、というものはまず間違いなくない。
学生がそのまあ「最近の若者はなっとらん」と言われるのはいつものことですけど、その原因が学校と教師の教育のせいにされてはたまらんので、その時代に学生の間で流行っているものが悪の元凶ですよと、まあそういうことにしておきたいんだろう。
大分長くなったのでこの辺にしておくが、そんなわけで、ひたすら女学校と女学生についての文章なのに色々広がってきて超面白いっすよこれ。
・ねんきん
巷ではまだまだ騒がれているというか、今年に入っても経済紙上での論争が面白かった。
年金とか特に問題もねーじゃん他のことやれよと冷静だった週刊東洋経済に対して、週刊ダイヤモンドが年金やばいよ日本やばいよと特集まで組んで煽りまくっていた。そんなわけで真正面からやりあったのだったが、ふいんきに流されずにきちんと論証するとは流石に東洋経済さんは格が違うな。
ダイヤモンド側を担当したのは何を隠そううちの経済学部教授だったりして、更に実は去年担当講義を履修していたりして、持ち込み可でゆるゆるなテストでしたね、俺の持論とは正反対で突っ込み入れまくりたいようなことを書かなきゃいけなかったのは苦痛でしたけど、まあそれはそれ。
現在の年金制度は問題だらけだとばっさり斬り捨てて、なので賦課方式から積立方式への移行を提唱するという感じ。
なのだが、積立方式にしても世代間格差がなくならない話や(現役世代は既に保険料を払い続けているわけだが、それは既に受給世代が年金として受け取っており、現役世代が引退後にもらう年金分はまた別に拠出しなければならない=二重の負担が発生するため、時既に格差はなくならない)、
ていうか積立方式なら人口構成には中立的でも運用リスクはモロ被りしますよねとか(実をいうと積立金の運用収益も人口構成の影響を受けるのだろうが、まあそれには目を瞑ったとしても、積立方式はつまりは投資信託のようなもなので運用失敗した場合の目減りが当然おこりうる、賦課方式では長期に渡って償却できるのでほぼ顕在化しない)、
以前ここでも書いた気がするが「年金未納問題」じゃ年金は破綻しない話とか(大多数の現役世代は時既に給料から天引きされているので未納しようがない、未納できるのは自営業者などごく僅かであり制度破綻はきたさない、ていうか未納されるとお金が足りなくなる!!1と単純に捉えられがちだが、未納だった人には年金いかないんだから足りるんだよ)、
などに対して、全く有効な再反論がなされていない。
それでいて、官僚やら御用学者()やらへのレッテル張りと罵詈雑言に終始していて救いようがない感じだったか。
なんでこんなんがうちの教授に、ていうかなんだよこいつの文章、と思ったら、師匠が八代尚宏と八田達夫ですか、ああはい何もかも納得。
・かくりつ
「誕生日のパラドックス」なんて言葉をぐぐると、結構へぇーって感じじゃないか多分。
詳しい話はウィキペディアさんに譲るとして、つまり1クラスに23人以上いるなら誕生日被ってる人がいる確率の方が高いよ、という話。
ちなみにこういう意外な高確率というのは身近にもあったりして、ポケパを例に出すと、このブログの左側に置いてある”くじ”なんかそれっすね。
例えば俺の場合、アリーナでは鉄火を除く33匹から4匹をくじで選び出してるんだけど、このとき、二連続で選ばれるポケモンがいる確率は50%を若干超える。
ぐーぐるさんに計算式をぶち込んだところ
1 - ((29 / 33) * (28 / 33) * (27 / 33) * (26 / 33)) = 0.519340664
というお返事で、約52%の確率で二連続で選ばれるポケモンが存在しますね。
なので、○○ばっかりひくんやけど、ってのは、くじがぶっ壊れてるわけじゃなく、確率論的にまあ普通です。
・じょがくせー
女学校とか女学生なんて言葉は、まあその戦前のにおいのする言葉ですけど、最近これについての本を見つけて読んでるんだけど、これが面白い。
稲垣恭子『女学校と女学生』中公新書 がそれ。まんまですね。
今年に入って3ヶ月、せいぜい30冊くらいしか本は読んでいないのだが、今のところ今年のナンバーワン。
何が面白いかというと、本の内容はびっくりするほど女学校と女学生のことしか書いてない。それしか追ってない。にもかかわらず、その端々から色んなものが想起されてくる。つまり、夢がひろがりんぐってことですねはい。普段のキャラから勘違いされそうだけどエロイ意味じゃねーぞ。
例えば、女学生は休みの日をどう過ごすか。そりゃお稽古事とかはあるんだけど、それを終えた後は、友達と文房具屋に便箋を買いに行ったり、ウィンドウショッピングするんですって。
便箋とか一体何に使うのかというと、学校で友達とやり取りするため。しかも退屈な授業中に教師に隠れて回したりするそうですよ。もちろんこれ戦前ですよ戦前。もう70年以上前の人が日記にそういうこと書いてるんだよ。
今ならまあ携帯メールなんだろうけど、俺自身が中学生だったときはまだその携帯持込が禁止されていたのもあって、ノートの端だとか可愛らしい紙だとかにくだらないこと書いてやり取りしてる女子、というのは一定数おり、というかクラスほぼ全員やってたんじゃないかこれ。戦前から続いてるんならそりゃなくならんわなあ。
他にも、女学校とは別に各都道府県に設置が義務付けられた実用女学校というのが、女学生に必要なシグナリング効果を得られないため、廃止され、特に冠詞のない女学校という名称に統一されたなんていうくだりとか。
これは俺が経済学部ということもあり、2001年にノーベル賞を受賞した学者の唱えたシグナリング理論を知っているからこそだろうけど、ああこんなところにも実例ありましたね、そういう発見が面白い。ちなみにこの理論も概要を眺めるだけだとふーんって感じだろうけど、深く学ぶとかなり凄くて面白いよ。
話を戻そう。
実用女学校とは名のとおり、「○○なんて勉強して何になるのさ」という、古今東西どこからでも出てきそうな批判に対して、「じゃあ実際役立つこと勉強しようぜ」というわけで、なんとカリキュラムの約半分が裁縫の授業という、そんな学校。
なのだが識者や保護者、そして生徒からも、実用女学校という名称と内容はかなり評判が悪かった。
一体全体なぜか。
とりわけ戦前という時代を考えれば分かることだけれども、女学生に期待されたのは将来の「良妻賢母」となることであって、さらに両親から見れば「いいとこに嫁に」行ってもらえればいいわけだ。
「家事手伝い」なんて言葉を想起してもらうと良くて、要はニートじゃん、ってことなのだが、ニート=家事手伝いって裕福な家庭じゃないとできないよね、役立つことを教えてる実用女学校より、女学校で無駄な勉強してる女の子のほうが裕福な階層ですよね、というイメージがあるわけで、女学生とはそういうシグナルを発生させることになり、みんなにとって望ましい。
実用女学校だとちょっと下々の感じがしてしまうのでやめませんかと、これは俺が言ったわけでは当然なく、当時そういう話になったのだ。
こういうのは現代にも当然あって、高校や大学で勉強したことが社会で(直接)役立つかというと結構微妙なところなのだが、それでもおそらく(比較的・直接)役立つことを学ぶことができる工業学校やあるいは専門学校より、普通高校・総合大学が志望される事が多いことなどとも繋がってくる。どんどん話が広がるね。
さらには、今なんか凄い盛り上がってるお話にまで繋がってくる。
当時、お嬢様である女学生達の間では小説が大流行していた。ところがまあその源氏物語の内容は云々と言うまでもなく、小説、しかもうら若い女生徒が熱心に読むとなれば、ええまあ大体が低俗な恋愛ものとかそういう類ですよね。今でいうBLものもそれなりにあったはずだ。
となると、そんなものは風紀が乱れるからけしからん、勉強やらないで小説ばかり読んでけしからんと、かなりの学校で小説が禁止されることになる。
今ならDSやPSPかな。10年前は携帯電話、20年前で漫画とかになるんだろうか。更に40年前になると、あのビートルズだって禁止されていた。
とにもかくにも、こういう問題視される標的、はっきり言ってしまえばスケープゴートだろうが、そういうものはいつの時代にもあったわけだ。
もちろん、恐らくそれだけが直接の原因でうんたらこうたら、というものはまず間違いなくない。
学生がそのまあ「最近の若者はなっとらん」と言われるのはいつものことですけど、その原因が学校と教師の教育のせいにされてはたまらんので、その時代に学生の間で流行っているものが悪の元凶ですよと、まあそういうことにしておきたいんだろう。
大分長くなったのでこの辺にしておくが、そんなわけで、ひたすら女学校と女学生についての文章なのに色々広がってきて超面白いっすよこれ。
・ねんきん
巷ではまだまだ騒がれているというか、今年に入っても経済紙上での論争が面白かった。
年金とか特に問題もねーじゃん他のことやれよと冷静だった週刊東洋経済に対して、週刊ダイヤモンドが年金やばいよ日本やばいよと特集まで組んで煽りまくっていた。そんなわけで真正面からやりあったのだったが、ふいんきに流されずにきちんと論証するとは流石に東洋経済さんは格が違うな。
ダイヤモンド側を担当したのは何を隠そううちの経済学部教授だったりして、更に実は去年担当講義を履修していたりして、持ち込み可でゆるゆるなテストでしたね、俺の持論とは正反対で突っ込み入れまくりたいようなことを書かなきゃいけなかったのは苦痛でしたけど、まあそれはそれ。
現在の年金制度は問題だらけだとばっさり斬り捨てて、なので賦課方式から積立方式への移行を提唱するという感じ。
なのだが、積立方式にしても世代間格差がなくならない話や(現役世代は既に保険料を払い続けているわけだが、それは既に受給世代が年金として受け取っており、現役世代が引退後にもらう年金分はまた別に拠出しなければならない=二重の負担が発生するため、時既に格差はなくならない)、
ていうか積立方式なら人口構成には中立的でも運用リスクはモロ被りしますよねとか(実をいうと積立金の運用収益も人口構成の影響を受けるのだろうが、まあそれには目を瞑ったとしても、積立方式はつまりは投資信託のようなもなので運用失敗した場合の目減りが当然おこりうる、賦課方式では長期に渡って償却できるのでほぼ顕在化しない)、
以前ここでも書いた気がするが「年金未納問題」じゃ年金は破綻しない話とか(大多数の現役世代は時既に給料から天引きされているので未納しようがない、未納できるのは自営業者などごく僅かであり制度破綻はきたさない、ていうか未納されるとお金が足りなくなる!!1と単純に捉えられがちだが、未納だった人には年金いかないんだから足りるんだよ)、
などに対して、全く有効な再反論がなされていない。
それでいて、官僚やら御用学者()やらへのレッテル張りと罵詈雑言に終始していて救いようがない感じだったか。
なんでこんなんがうちの教授に、ていうかなんだよこいつの文章、と思ったら、師匠が八代尚宏と八田達夫ですか、ああはい何もかも納得。