からはだふくらか】によって、全ての生命は、死ぬその時まで、快い身体で、愉しく、悦びにあふれた毎日を過ごします。
わたしは、死ぬ瞬間まで成長し続け、全ての生命から感謝を受けて、豊かな暮らしをすることができます。
私は学生時分、
どこに段差があるのさ?コレッ。
というようなところで、つまずくことが、よ~くありました。
郵便配達をしていた時には、屋根付きの駐車場で、どうしても低い方からじゃないと、ポストにたどり着けないお宅がありまして。
ヘルメットもかぶっているので、視線が上に行かないということもありますが、必ずと言って良いほど頭をぶつけていました。
次の時は注意してぶつけないようにするのですが、またその次にはもう忘れていて、思いっきりぶつけるようなことを、繰り返していましたね~。
一度はクリーンヒットをもらったボクサーよろしく、崩れ落ちるほどぶつけたこともあります。
「バカになる~」
と思わず大声を出してしまいましたが。
最近はかなり減ってきていますが、先日も猫のエサ皿を踏んづけて、割ってしまい、足の裏を切ってしまいました。
そんな風に足の裏などに傷を創りますと、身体を支えるバランスが崩れやすくなります。
2本の足で立つ、ということは、そもそもが不安定で、高度な身体操作が必要なので、少しの歪みが大きな歪みを引き起こします。
土台が歪めば、当然、その上に載っている部分はバランスを取り直すことになります。
そうして、アチコチに無理が出てくるんですね。
その結果、腰とか肩、ヒザなどに痛みが出てくることになります。
これは、怪我をしてからもそうなんですが、実は、すでに歪んでいるから、怪我をするんです。
不注意だっただけ、というのも心が調っていないために、見えるハズのものが見えていなかったり、気付けない、ということもあります。
心がが調っていないときというのは、身体も整っていません。
身体のバランスが崩れているため、自分で思っているのと、実際の身体の動きとの間に、小さなズレが生じ、そのせいで、
タンスの角に小指をぶつけたり、
つまづいたり、
ドアに指を挟んだり、
包丁で指を切ったりしてしまうのです。
目を瞑って、両手の人さし指同士を、身体の前で合わせることができますか?
全ての指でやってみましょう。
それができるようになったら、今度は、右手は人さし指、左手は薬指、のように互い違いの指でやってみましょう。
案外、「調子が良い」と思っている時ほど、怪我をしやすい状態だったりします。
調子よく感じている時というのも、「普通じゃなない」という意味では、バランスが崩れている、ということになるんです。
つまり、普段の自分の身体の調子、動き、といったものが分かっていて、そこと、今の状態が、どれだけズレているか、ということに気付けるか。
ということが、怪我をする、しない、という結果に関係してくるのです。
「怪我をしないことが、一流選手の証し」と言われるのは、つまり、それだけ、自分の身体を、思った通りに動かせているからなんですね。
だから、怪我をしないと同時に、優れたパフォーマンスができる、ということになるのです。
テクニックを学ぶよりも、身体の動かし方の基本ができていれば、何だってスグにできるようになります。
怪我をしない身体である、つまり、整った身体であるためには、正しい立ち方ができていないといけません。
そして、正しい歩き方を知っていなければいけませんし、身体の動かし方の基本も知っておく必要があります。
その上で、思った通りに身体を動かせるようになる必要があります。
その練習法は、単純です。
何でも良いので、一つの動作をとにかくゆっくり行ってみる。
例えば、何かを掴む、という動きを10分くらいかけて行ってみる、とかですね。
もうひとつは、とにかく小さい動きをする。
例えば、首を左右に振る、という動作を、極限まで小さい動きで行う。
どちらも、動いてるのか、どうかが、分からないくらいの動きをする、ということになります。
これは、やってみると分かりますが、なかなかに難しいですよ。
大きく、早く、というのは、思った通りに動かせていなくても、何とか形になるんですが、やっぱり雑な動きなんです。
ゆっくり、小さく、が滑らかにできるとき、思いと、実際の動きとのズレは無くなっていきます。
そうなれば、怪我もしなくなっていきます。
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