カンマネの安心したいブログ

ラジオ

最近村上ファンドの村上世彰(むらかみ よしあき)氏がメディアに登場しますが、若き日の欽ちゃん(萩本欽一)にそっくりだと思うのは僕だけなのでしょうか?
欽ちゃんと言えば、最近自身で作った野球チームが話題になっていますが僕にとっての欽ちゃんとの出会いは「欽ドン」なのです。それもラジオの。ラジオのは「欽ちゃんのドンといってみよう」後にTV化されたのは「欽ちゃんのドンとやってみよう」微妙にタイトルが違います。ニッポン放送で毎日9時半くらいから10分くらいの番組だったのですがショートコントを視聴者から葉書で募るのはTVと一緒。学校で友達といろんなネタを考えて投稿した覚えがあります。確か1回も採用にならなかったような気がします。これは小学校高学年の頃。1974年前後のことかな。30年前かい・・・

笑福亭鶴光が最近なんかのCMで「ええかぁぁぁ~~ええのんかぁぁぁ~」ってやってますが、あれも元は「オールナイトニッポン」40歳以下の人があれ見て何のことかわかるのかな?僕は当時あのコーナーが楽しみで夜中まで起きていました。なんだかどきどきしながら聴いていた記憶が。その後にトラック野郎御用達「走れ歌謡曲」までも聴いていました。この時期も多分中学生くらい。1976年前後の事だと思います。これも約30年前かよ・・・・

「全日空ミュージックスカイホリデー」これは日曜日の11時くらいからのニッポン放送。DJのそらまめさんとオープニングだかエンディングだかの曲が頭の中にこびリついて離れません。ニューミュージック系(死語か?)の曲が多くさだまさし(?!)が好きになったのもこの番組の影響かな?とにかく毎週必ず聴いていました。どうしてもあの音楽が聴きたくてやっとこさ音源見つけました(PCからジャンプ)   歌入りはここ(懐かしくて鳥肌たった)
これは多分1979年前後でしょうか。25年前かよ・・・

堀江氏は放送メディアをインタラクティブにと言いますが、先日行った床屋さんも昔ながらのクリーニング屋さんも未だに「大沢悠里のゆうゆうワイド」とかをBGMで仕事してます。私自身も運転中はNACK5の小林克也です。ラジオにはインタラクティブは似合わない。昔の葉書の投稿もある意味インタラクティブだったのかもしれませんが今よりずっとスローなそれ。ながら聴きもよし、30年前に聴いていたことが未だに蘇るのはそのスローさが心に染み入ったからでしょう。ネットを中心に世の中もうすでに充分インタラクティブだってばさ。せめてラジオは今までのまま放っておいて下さいな。思い出を壊さないでよ。堀江さん。

30年前だの25年前だの・・・歳とったわけだよね。明日倒れて逝っちゃっても後悔のない様に生きないとね。進藤先生も言っていたなぁ。精一杯生きないと亡くなった人に失礼だって。
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