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庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

ユーモア

2014-02-17 10:20:00 | 拾い読み

ユーモアは人類に与えられた最大の天恵(天の恵み)である。
‐マーク・トゥエイン

Humor is mankind's greatest blessing.
- Mark Twain

まったくだなぁ・・・少なくとも繊細な言葉を使ったユーモアの能力は人間にしか与えられていないのかもしれない。他の動物のこと、特にイルカやクジラなどの海生哺乳類の言語能力については、今後研究が進み、意外と人間に近い、あるいは人間以上のユーモアに溢れる会話を楽しんでいる事実が明らかになるような気がしているのではあるが・・・。

誰だったか、「自分の苦境を笑えるかどうかで、その人の人間的・知的程度が分かる・・・」というようなことを言っていた。人生は笑ってばかりもいられないが、笑いが幸せの尺度であるなら、そのような人はどんな時にも幸福でいられるということになる。

だから、ユーモアは人が幸せであるための最大の道具の一つと言えるのかもしれない。 しかし、これを使いこなすのは結構むつかしいよ。



明日に

2014-02-15 10:11:00 | 拾い読み

明後日にできることを明日に延ばすな。
‐マーク・トゥエイン

Never put off till tomorrow what you can do the day after tomorrow.
- Mark Twain

普通は今日できることを明日に延ばすな・・・というところだが、マーク・トゥエインはこういうことを言うから面白い。未来は不確定であるから、やりたいことがあったら、今すぐに着手しておけ・・・というようなことだろう。

人間には出来ることと出来ないことがある。そして自分に何が出来て何が出来ないかを知ることは、そう容易なことではない。例えば、歩いて月に行くことなど、誰にとっても出来ないことは明らかだが、やってみなければ分からないことも多々ある。そして、たいがいの場合、やりたいと想うことの多くは出来る可能性を内包している。

もちろん夢や目標は必ずしも実現するとは限らない。しかし、目標を100%実現する確実な方法はある。それは、目標点に到達するまで止めないあきらめない、ということだ。

そして大きな目標は細分化して一日分の小さな目標に置き換えてみる。すると、当初とても達成できそうもないと思われた夢や大目標への道程が日常的な楽しみに変わる。後は地道な継続あるのみである。当たり前のことだが、忘れがちな、私の方法論の一つである。



怒り

2014-02-14 10:01:00 | 拾い読み

怒りは酸である。注がれたどんなものより、その容器自体を害する
‐マーク・トゥエイン

Anger is an acid that can do more harm to the vessel in which it is stored than to anything on which it is poured.
- Mark Twain

これは非常によく分かる。私もこれまで、つまらないことで何度となく腹を立てることがあり、自らを不必要に傷つけてきた。30代の頃には大量に吐血して胃に穴が開きかけたこともある。内に向かった怒りは間違いなく自分を痛める。外に向かった怒りが他人(ひと)を傷つけるかどうかは、その人の度量による。

では、怒りはどうして起こるのか・・・とりあえず狭量(人間としての小ささ)が思いつくが、その奥にはやはり無知があるように思う。事態の全体像やそれに対する自己のとるべき姿勢がはっきり見えていれば、腹が立つ前に問題は解決してしまうからだ。

そういえば、アインシュタインは"Anger dwells only in the bossom of the fool." 「怒りは愚か者の胸にのみ住む」と言っていた。しかり!である。

仏教では怒りに似た感情に瞋(しん)という字を充て、根本煩悩のひとつと教える。貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の三毒の一つだ。ここで「怒」を使わなかったのは、人間の心の世界を徹底的に追求した仏教世界が、怒りに積極的機能さえ見出していたからに違いないと私には思える。

寺院の入り口に立つ金剛力士像(仁王像)の怒りの姿は筋骨隆々でいかにもたくましいけれども、いつも怒っていたら内臓を壊してとてもあんな姿にはなれないだろう。

そして、人は本当に怒るべきTPOでは、正しく静かに、できれば楽しく怒らなければならないと私は思うのである。単なる羊の群れの一員にならないために。そのTPOの多くが大小の「有無を言わせぬ権力」であることは言うまでもない。



饒舌は

2014-02-13 09:52:00 | 拾い読み

静寂を保って馬鹿だと思われる方が、口を開けて(多くを語って)全ての疑いをなくすよりも良いことだ。
‐マーク・トゥエイン

It is better to remain silent and be thought a fool than to open one's mouth and remove all doubt.
-Mark Twain (November 30, 1835 - April 21, 1910)

饒舌は銀、沈黙は金ということか・・・人は多くを知ると多くを語りたくなるのが普通かもしれない。しかし、ことの多少は何と比較するかによって決まり、どんな分野でも造詣が深くなればなるほど、知らないこと分からないことが増加し、自己の無知と未熟を悟るのが大人(たいじん)のあり方だろう。ソクラテスはとうの昔に無知の知を説いている。

そして現代マスコミ業界に登場する、いわゆる学者・評論家・コメンテイターなどの皆さんの饒舌なこと。人間が元気に言葉を喋ることは健康法の一つでもあるのだろうからそれも良い・・・が、過ぎたるは及ばざるがごとし。私はテレビ番組の多くで、彼らのお喋りにうんざりして、時々消音スイッチを押すことがある。



年齢

2014-02-12 09:06:00 | 拾い読み

20歳だろうが80歳だろうが、学ぶことをやめた人間は老人である。学び続ける人間はいつまでも若い。人生でもっとも偉大なことは、精神を若く保つということである。
‐ヘンリー・フォード(フォード・モーターの創設者)

Anyone who stops learning is old, whether at twenty or eighty. Anyone who keeps learning stays young. The greatest thing in life is to keep your mind young.
‐Henry Ford (July 30, 1863- April 7, 1947)

私はこれまで自分の年齢をあまり気にすることなく生きてきた。20歳で成人した時は、「ああ、これで大人になったのか・・・」という感慨はあった。

しかし、30歳、40歳、50歳、と歳を重ねる自分はあっても、特段の感慨はなかった。もちろ否応なく流れる歳月の中では、否応なく様々な出来事が起こり、自分の外にも中にも大小幾多の変化はあった。

ところが、あと半年ほどで60歳・還暦という時に至り、ちょっと今までとは違うぞ・・・と感じることがある。孔子先生のいう耳順「六十にして耳したがう」からは程遠いが、「四十にして惑わず」や「五十にして天命を知る」がいっぺんにやって来つつあるのではないか・・・という奇妙な感覚である。

何に惑わないのか、何が天命なのか・・・などは、気恥ずかしいのでここでは触れない。



冬の夏

2014-02-11 10:34:00 | 拾い読み

底冷えの冬の最中(さなか)に、不屈の夏があることを、遂に私は知った。
‐フランスのノーベル文学賞作家 (1913年11月7日 - 1960年1月4日)

In the depth of winter I finally learned that there was in me an invincible summer.
‐ Albert Camus

今朝の室温3℃。松山はこの冬3回目の雪が降っている。まさに底冷えの冬の最中だ。北の地方の冬の寒さは、私の想像の範囲にのみ収まる。

カミュの言う冬はもちろんこんな気象的な意味ではない。彼の経歴をちょっと見てみると、晩年、といっても47年の短き生涯(交通事故)だが、サルトルとの論争やアルジェリア独立戦争に対する政治的姿勢などによって孤立していった・・・とある。

孤立や孤独は自由の異名のようなものだ。そして、それに耐えるためには厳とした自律を支える、真夏のような情熱も必要なのだろう。 

私の後ろを歩きなさるな。君を導くことなどできないよ。私の前を歩きなさるな。君についていくことなどできないよ。ただ私の横を歩き、我が友となりたまえ。

Don't walk behind me; I may not lead. Don't walk in front of me; I may not follow. Just walk beside me and be my friend.



年月は

2014-02-10 09:53:00 | 拾い読み

長い年月は一日が決して知りえないことを教える。
≠q・エマソン

The years teach much which the days never know.
- Ralph Waldo Emerson

当たり前のような言葉だ。しかし、エマソンが言うとかなり重い意味を持つ。

小さな子供の成長も、大人になった人間の成長も、大樹の成長も一日では見えない。しかし目には見えない一日一刻の中にこそあらゆる変化と成長の道程はある。

彼の思想は超絶主義などというやっかいな名称が付いているが、あらゆる現象の奥に精神性を観ようとする姿勢は老荘や仏教などの思想と縁が深く、その大自然を観る眼は実に深く鋭い。

彼はまた、一日一時《いっとき》の中に、時には長い年月を超え支える直観や啓示があり得ることも知悉し、実際、体験していたに違いない。



勇気とは

2014-02-09 08:57:00 | 拾い読み

私は勇気とは恐浮フないことではないことではなく、恐浮ノ勝ち超えることであることを学んだ。勇敢な人間は恐れを感じない人間ではなく、恐浮ェ服する人間である。
<lルソン・マンデラ

I learned that courage was not the absence of fear, but the triumph over it. The brave man is not he who does not feel afraid, but he who conquers that fear.
- Nelson Mandela

彼が27年間の厳しい獄中闘争に勝利して、1994年、大統領に就任した1年ちょっと後、私は南アフリカのダーバンの街中で黒人乞食の大群を見ていた。アパルトヘイトの厚い壁を取り払われた彼らは、手にした自由を完全に持て余していた。横暴な白人社会との壁は一応消滅したが、厳しい貧困が無くなったわけではなかったのだ。

マーク・トゥエインも同じことを言っている。「勇気とは恐浮ェ無いことではなく、恐浮ノ抵抗し、恐浮ノ打ち勝つことである」。

恐武Sの根っこをたどると、たいがいの場合、そこには「無知」があるものだが、恐武Sは人間が危機や危険を感知するための重要な要素でもある。

問題はそれをどのようにコントロールするか・・・恐浮フ克服にも、それなりの修業が必要なのである。



幸せな人生

2014-02-08 09:52:00 | 拾い読み
幸せな人生でさえも多少の暗闇なしにはあり得ない。そして幸せという言葉は悲しみによってバランスを取られなければその意味を失う。ものごとが忍耐と静穏を伴うものだと悟ることは、はるかに良いことである。
‐カール・ユング (スイスの心理学者)

Even a happy life cannot be without a measure of darkness, and the word happy would lose its meaning if it were not balanced by sadness. It is far better take things as they come along with patience and equanimity.
 - Carl Jung 
  
風がなければ波は立たない。波がなければ波乗りはできない。生きるということは、ある意味、絶え間ない事象に伴う流れや波動に身を任せるということであるが、人生の海面は、時に優しく時に厳しい風の抵抗に晒《さら》されることがなければ、美しい波を形作ることはできないのだろう。

プレゼント

2014-01-23 10:02:00 | 拾い読み
昨日は過去であり、明日は未来であるが、今日は贈り物である。だから現在はプレゼント「present」と言われるのだ。
<rル・キーン (アメリカの漫画家)  

Yesterday's the past, tomorrow's the future, but today is a gift. That's why it's called the present.
-Bil Keane (October 5, 1922 ~ November 8, 2011)

うまいこと言うなぁ~・・・! 今日、今の時を大切に生きた人、生きている人、生きようとしている人にしか言えない言葉だろう。

彼も生涯、若い精神を持ち続けたに違いない。人は年齢を経るにつれて、過去が増加し未来が減少する・・・経験的、物理的には。しかし、人間の(人間だけではないかもしれないよ)、心の世界、精神の世界は必ずしも物理法則が当てはまらず、経験則を超越することがある。

その一つの証左が「夢」だ。想像力と言っても良い。その中では、人は何でも出来てしまうし、その内容が具体的な物質的手段を手に入れると、この物理世界の現実となる。

未来から現在へ、現在から過去へと流れ続ける時間の中で、今の瞬間をとらえることは容易なことではなく、通常の認識手段では不可能である・・・と断言できると私には思えるのだが、認識しようがしまいが、それは厳然と存在する何かで、その中に「全て」は収まっている ・・という直感は動かしがたいものである。